2005年04月12日

後生おそるべし

 「夜を照らすタバコの吸いがら踏み消して『自縄自縛』すれる靴裏」(自作)

 今の若い方々のなかには(ってお前いくつだ)、自分さえよければいい、と考える方がいるみたいですね。その考え方自体はエゴに忠実なので、決して否定はしない(する意味がない)けど、問題なのは、エゴのスケールがとても小さいことですね。
 だから(というのも正確でないが)、海の向こうで戦争があろうが大津波がこようが、日本の領土がどこまでだろうが、どうでもいいと考えるむきがあるようです。自分に直接関係無いから。
 勉強してる知り合いの中には、サッカーで日本代表が戦っていたことすら知らない、それも勉強づけだからというのではなく、どこが勝とうと自分には関係無いからだ、と言いきる人もいましたが、それは法曹になるための根本的な資質に欠けてると個人的には思いました。
 というのも、そんな風にしか物事を考えられない人が、他人のために仕事ができるんでしょうかね? また不合理なことに、勉強以外何も見えていない人の方が試験には早く受かるのですが。

 自分にはその尋常でないエゴの(スケールの)小ささと、その中での濃さが理解できないですが、思春期にインターネットがあるかないかの違いは、以後の人格形成に与える影響が甚大なのは事実だと思います。
 この私のたわごとは、つい5,6年前であれば、確実に(名実ともに)たわごとでしかなかった。同じことを私が自分のノートに書きつけたところで、読む人がいるはずもなく、数年後には廃品回収車のお荷物となっていたものです。それが今や世界中から見られるのですから。そうなると(名の方は)たわ言ではない。そうだとすると、思春期から世界中に自分の言葉をばらまくことに慣れっこになっている人は、自分の発した言葉がたわ言であることに気付くチャンスがないことになるのではないか?
 あまりピンとこないけど、これは恐ろしいことだと思う。

 もちろん、子供が荒れるのはネットのせいだけではないし、子供の責任でもない。一番の原因は大人がルールを守らないからだ。(こちらを参照)
 そこで上のうたです。私が吸ったんじゃありません、と書かないと伝わらないと思われるほどの駄作ですけど。一応「夜」と「世」は掛詞ですんでよろしく(笑)、でも「靴裏」と「苦痛ら」は単なる誤変換です。残念!
posted by LG18 at 02:36| Comment(3) | TrackBack(1) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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