どれもこれもひどく使いにくい。
なかには親指の第一関節から先だけで1から9までのボタンが大方うまってしまうものもありました。
メールが打てない。
ななめドラム(洗濯機)なんかもそうですが、少しはデカい人間のことも考えてくれないですかね。とはいっても私が格別デカいわけではありません(から、なおさら考えるべきだと思う)。みんな使いやすいなんてウソです。
ああ、ちょっとすっきりした。
最近コメントをよく頂いてるので良い気になって書きますが。
着せ替えケータイやら、きらきらしたシールやら、着うたやら、あるいはそれらを組み合わせて、他人と違うものにすれば個性的だと考えるのは間違いです。
これは推測ですが、そういうことに「個性的」であろうとする人が求めているのは恐らくアイデンティティだと思われます。しかし、そんなことでアイデンティティは得られないという意味です。
今や空前の恋愛ブーム(もはやブームでは済まない)で、二十歳過ぎて今まで一度も彼氏(彼女)いないと言うと、人より下に見られるということがほぼ通用してしまっています。(それはマスコミの思想統制ですが今それは問題にしない)
これを理屈で説明するとすれば、アイデンティティが確立されていないと見られるから、くらいしか思い浮かばない。(もちろんそれも言うまでもなく偏見ですが)
たしかに恋愛は一番手っ取り早くアイデンティティをこしらえることができます。「世界であなたしかいない」と囁いてくれる(かどうかは知りませんが)相手がいるわけですから。それに何かしら甘い経験も伴うわけですから、マスコミ云々以前に若者にとって魅力的であることは間違いない。
社会学者みたいな物言いをすれば、現代の若者は恋愛でしかアイデンティティを確立することができない。だから恋愛未経験の人間をアイデンティティを確立していないものとして蔑む、ということでしょうか。この前提として、アイデンティティは(人生の早い段階において)ある程度確立されなければならないという価値観が不可欠なのですが、それがなぜなのかは、私にはわかりません。(考えてみたい方はこちらを参照)どちらにしても、そもそも恋愛未経験者がなぜ「モテない」などと称されて蔑まれるのかが私には理解できないですしね。
個性とアイデンティティとでは指す意味に違いがあるのは当然ですが、自分の代わりなどいくらでも利く現代(島田紳助が活動自粛したときに、彼のレギュラーの番組を代役が事も無げにやってるのを見たときはさすがにショックだったが)において、自分でなければならないものがないと生きていけないというのは、理屈では分からなくても感覚で分かります。そこから他人と違うものを求める発想にたどり着くというのも、これまた論理的ではありませんが経験則で分かります。その需要に応えて商品化されたものが着せ替えケータイであり、シールであり、着うたであると。それが携帯の本体にまで反映されて、あんなけったいな形のものが次々と工場のラインから作り出されてくるわけです。
「そんなものには乗せられないぞ」という人間の方が個性的だと私は思うのですが、どうでしょうか。
私は自分にとって使いやすいものを作ってくれればそれを買います。話がだいぶ膨らみましたが、今日言いたかったことはただそれだけです。