言葉は息が長いものですね。そして私はスティールとインターセプトの違いが分からないLG18です。こんばんわ。
なぜサッカーやラグビーでスティールと言わないのかも気になるところです。
さて、今日のタイトルですが、比喩的な意味合いではありません。無論スター・プラチナのせいでもありません(多分)。
現実に世界が止まる、のだそうです。伝聞なのが歯がゆいですが。
私の友人は時おり世界が止まる体験をするそうです。その人が言うには、多分止まっているのは世界ではなくて自分の方なんだと思う、とフォローしてましたが、どちらにしても私にはよく分かりません。
テレビでは定期的に「UFOは実在するか?」みたいな番組をやるし、「私は○○星から来た」などと公言して憚らないアイドルもいます。人は何かしら説明のつかないものを欲することがあって、その需要に対する供給の範囲内においては不思議を不思議として受け入れることがあります。まぁ日常の刺激になるんでしょう。でも、その需要をこえて自身に説明のつかない話をされると(たとえば相手が真剣であるとか)、相手にしないというのが一般的な対応なのでしょう。
私は今まで、私には想像すら及ばないようなものの見方、考え方や経験をする人の話を何度か聞いたことがあります。それは決まって面白い。でもそういう人は、大抵の場合自分の言うことは他人に受け入れられないということを経験してるから、少し仲良くなった程度では口にしてくれません。だから「聞き出したことがある」と言った方が正確かもしれません。
逆に、自分と同じ思考パターンを持つ人間には興味がありません。
自分に理解できないものを受け入れない、というのは保身だとよく言われます。しかし、私には守るほどのものがない。だから自分の引き出しにない話をされると、自分の視野の狭さをひそかに恥じつつ、そこから得られるものは全て得ようと貪欲になります。
世界が止まっている経験をしている友人は、自分の手を見ても自分であるとの実感がわかない(つまり、実感を得たことがない)とか、他にもいろいろ興味深い話をしてくれました。そのさまざまな話は私の中では一つに繋がりましたが、それをここで全て書ききる力量はありません。あしからず。
そういうのってナントカ同一性障害っていうんじゃないの、みたいな、現実の世界の理屈に組み込んで処理することも現実の世界に生きる以上無益とはいえないかもしれないですが、生活に支障を来してるわけでもないし、ましてや他人に迷惑をかけているわけでもないので有益というほどでもないだろうと思います。
ひととは少し違う風に世界をみている友人たちから得られるものは非常に多いです。少なくとも、こんな風に感じる人間も世の中にはいるのだ、ということを長話するうちに少しは実感として得られるだけでももうけもんです。
分かってくれとは言いませんが。
追記