2005年09月07日

一夜限りの時代論

 いつだったか、母にこんなことを訊いたことがありました。

 戦後の勃興起、まだ皆が貧しかった(戦中戦後直後のそれとは比べものにならないとはいっても)最後の時代に生まれ育ち、良くも悪くも秩序に縛られた共通の価値観を同年代の多くの人間たちと共有し、高卒で就職、集団就職、高度成長のまっただ中、オリンピックに新幹線開通に万博に、自分の給料も毎年ポンポンあがって、結婚して仕事辞めて子供産んで育てて、やがてバブルがきて不景気になって……

 物語があるじゃない。自分たちが時代を作ったんだ、自分もこの時代の一端を担ったんだという自負がどこかにある(むしろない方がおかしい)んじゃないかと。
 そしたらなんとなく肯定しているふうでした。それはそうだなあ、みたいな。

 自分(たち)は、まあ、年代的にはこれから時代を作っていく(べき)役回りではあります。しかし、大方済んで次世代にそのバトンを渡すというときに、物語ができるかというと、難しいように思います。そもそもバトンを渡す次世代がいるのかすらも危惧されます。

 別に自分は地下にビリヤード台のある家を建てる夢を夢のままに、全国へ転勤しながらあくせく働いて他人の都合のままにこき使われる人生も悪くはないと思い始めています。ただ、立場はどうであれ時代をしょえないまま、しょったつもりにすらなれないまま干からびるのは孤独だと感じました。

 明日になればまた朝が来ます。なかなか字数に収まりきらない。
posted by LG18 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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