2005年10月13日

disease or idleness 〜精神疾患についての一考察・前編〜

 先日バイト先に大声で「怖い怖い、人は怖い」と騒ぎ立てるおばちゃんが来ました。その人は連勤術師の名をせわしなく連呼して、(その人による)接客を要求していたようでした。

 術師「あの人はパニック症候群か(何か)でな、ケンジョウシャが怖いらしいねん。でもよくウチに来てくれるから(ちゃんと応対せんといかん)」
 LG「(ケンジョウ…)ああ、健常者が」
 術師「俺のことは怖くないらしいねんけど。俺健常者なんやけどなあ?」

 去り際の背中に「(パニック)症候群じゃなくて、障害です」と言いかけてやめました。指摘することに価値がないと思ったので。そのお客さんはレジでも執拗に早くしろだのあんたは恐ろしいだの術師に代われだのということをヒステリックにがなりたてていました。

 同じ病名を持つ友人がいますが、調子が悪いときは会ってくれないので私は症状を知りません。術師の言葉の誤りから考えてもその人が本当にパニック障害なのかは甚だ怪しいものです。ただ、精神に何らかの疾患を来していることは纏う空気で分かりました。

 ***

 他にも綜合失調症(かつて分裂病と呼ばれていたもの)、うつ病、人格障害、対人恐怖症他、病名は非常に多岐にわたりますが、私はこれらはイソギンチャクの触手の一本一本に名前をつけている作業のように思われます。触手の先に行けば行くほど症状が重いというイメージです。そして(何本あるのか知れない)まだその全てに名前がつけ終わっていないためか、はたまた触手が複雑に絡み合っているためか、病名がはっきりしないケースも珍しくありません(とりあえず鬱症状が出てますね、みたいな)。でもそれは私からすればごく自然なことのように思われるのです。
 心の疾患というのは、身体の疾患と違って、病名を特定すること自体には価値がないと思うし、また不可能なことのように思われます。結局その人に合う薬を探し当てる作業を合理化するというマニュアル的な要素であろうと。
 先ほど私はイソギンチャクの触手の先へ行くほど症状は重いと例えましたが、人間であれば誰もが少なくともイソギンチャクのどこかにいると思うんですね(人間が集まってイソギンチャクを形成しているというイメージでも構いません)。その例えでいえば。そこから遺伝か素質か環境か、何かのきっかけで触手の方へ進んだ人は細い分風当たりが強くなって少しの波にも大きく動揺する状態におかれている、と。
 哲学かぶれには一様に評判の悪い「ソフィーの世界」という本に、毛の先の方へ進むのが哲学者だというような例えがあったようなおぼろげな記憶がありますが、イメージとしてはあれに近いですね。

 自分の経験を踏まえて言うんですが、触手に位置する人って傍から見てるとすごく自分勝手に映るんですよね。理不尽なくらいに。全く縁の無い人も、立ち寄る本屋ですらそんな調子だとすれば、近くにいたらどんなことになるかはおおよそ推測はつくと思います。でもそれより一番大変なのは本人だと私は思いますけども。


posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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