さて、巷で良く言われますこの言葉、「幸せになりたい」。幸せになるためにはまず幸せがどのような状態を指すのかを定義づけてからアプローチする、というのが一般的に定石ですが、今回はあえてその作業をせずに考えてみたいと思います。
「言いたいけど言えない」ということがあります。日常にごくありふれたこのシーンは、何らかの明確な事情があって言えない(ことを本人がわかっている)というケースが一般的です。上司の悪態をつくとか、学校の先生の本日のハゲ具合とか、阪神ファンに日本シリーズの話とか、まあそういうことです。
ところが、なかには明確な理由が本人に見出せないまま、「言いたいことが言えない」ということがあります。私から言わせれば好きな相手に告白できない(相手が親友の恋人である等の特殊な事情もなしに)というのもこちらに入るので、想定しているよりもかなりたくさんあるでしょう。
告白なんかを例にとった方が分かりやすいかもしれませんが、「言いたいけど言えない」って言いますね。今私もそう書きました。けど、結局は言わないということを前提にして考えた場合、その人は本当に「言いたい」んでしょうかね?
そんな前提は無茶だと思われるかもしれませんが、女の子のなかには最初から言うなんてことは選択肢になくて、ただ想う相手を遠くから見てるだけで満足、というのがあるみたいですし、まあそれはそれで恋と呼べるだろうと思います。
それで、それが一番極端なケースで、(言いたいけど)言えないと強く思った場合、結果的に告白しなかった場合と、程度に差はあるでしょうが、やはり言いたかったのかというのはあやしくなってきます。そして、対極に位置する極論として「言いたかったら言ってるはずだ」という理屈があるわけですね。
私が試験についての悩みを友人に相談していたら、「勉強するとかしないとかの問題じゃなくて、受かるか受からないかの問題だろう」と、心無い言葉を浴びせられました。言葉通り心はありませんが、自分は本当に受かりたくて勉強しているのかということを改めて考えさせられました。
まさか、受かりたいなら受かってるはずだとまでは(その友人も)言いはしないでしょうけども。
幸せになりたい、幸せになりたい。・・・そのためには、まずは幸せの何たるかを考えて――といくのも大事でしょう。けれども、幸せになりたいというフレーズは、幸せになりたい(になりたいんだろうとまでは言わないにせよ)ために呟く呪文であって、幸せになりたいと思、っ、て……るわけでは……ところてんのように思考がつるりとぬけてしまいました。
意味わかりませんね。
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