2006年01月31日

情報は重要だ

 有史以来、最も広範囲にその支配力を及ぼした国家はモンゴル帝国で、それはいま日本でチヤホヤされているローマ帝国の比ではないですが、その繁栄を支えた要素の一つとして、彼らは情報を非常に重要視したと言われています。他国との戦争時はもちろんのこと、繁栄を遂げたのちもジャムチ(站赤・モンゴルの言葉で道という意味らしい)と呼ばれる、今で言う道の駅にあたるものを一定距離ごとにもうけ、伝達者はそこで馬を乗り換えて遠距離へ情報をいち早く届けるのに役立てたということです。歴史的にみてイスラム世界が数学や医学において欧米よりはるかに進んでいたこともそうですが、イメージだけでアジアやイスラムを野蛮だと卑下したり、欧米(というかアメリカ)を崇拝するのは止めましょう。仮にも皆さまからの献上金だけでやっていってるんですから、って、話が変わってしまいましたが。

 だから、一風堂がミナミにもあるということを教えてくれただけで、その住所まで控えてくれたおかげで店をみつけることができた(私には住所だけで迷いなく場所を探し当てられる疑わしい特技がある)というだけで、並ぶどころか行列を見るのも嫌いで有名店には足を向けない私に赤丸の方が美味だと教えてくれただけで、十分なわけです。博多まで行ったってどこにあるのか分からなければ一風堂のラーメンを食うことはできないわけですから。

 昨日の記事の続きでした。
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2006年01月30日

生命力の有無とそれに対する価値観について

 私はバイタリティ(生命力)が他人より不足していると常々感じております。それは体力であったり、行動力であったり、時間であったり、生きていく資本といえる力が足りないということです。たとえばテレビを見ていても、松浦亜弥だったらLG38人分、藤原紀香だとLG45人分、鈴木宗男であればまあ百人以上必要だろうな、というようなことを考えます。あの年だったら百人以上のLGのうちの20人近くは死んでるでしょうからねえ。それだけに、老いて体固まり頭が動かなくなる前にと思って今のうちにせめて見れるものは何でも見ておこうという気は強いのですが。

 先日、数年振りに知人に会いました。そいつは私の知人の中では最も年が下で、まだ現役で大学生をやってられるほどに若いのですが、先日会ったときに、喋れば喋るほど、何も変わっていないなあ(相変わらずだ、ではない)と驚かされました。
 将来のことはわかりませんが、人生結局はハタチ前後の10年(をどのように過ごしたか)で決まるだろう、というのが、現時点までの私の基本的な考え方です。60から思い立って、という人が達人としてテレビなんかに出ていることがありますが、その人は若いときに相応のバイタリティを発揮していただろうというのが私の勝手な推測です。
 この年代に年単位で会わない場合、大抵の人間は自身か身内に武勇伝の、もしくは向こう脛に疵の一つや二つこしらえて、それを話すにしろ話さないにしろ、半日会えば有るか無いかくらいは誰でもわかるものです。そういった価値観自体が存在しない。
 私「バイトはしてないのか?」
 知人「してないですね。ていうか、したことないです」
 私「……金は? 遊びにいくのにどうすんねん?」
 知人「遊びにいくことがないから、特に困らないですね」
 私「・・・今日は?」聞きたいことからどんどん遠ざかっていく。
 もちろん私などに見せるものかという気概もあるはずもなく、一事が万事、無関心、無気力の輪は聞けば聞くほど、見れば見るほど、広がっていきます。数年振りに再会したいきさつにはそれへの期待が少なからずあっただけに、失望もひとしお(そんな言葉あるのか)でした。

 今どきの若者にはさほど珍しくないのかもしれないこのLG0.3人分くらいの人間とどうして知り合ったかは、つまるところこの知人は小説を書くからですが、小説にだけは心血を注ぐことを切切と語るさまを見ていると、無菌室でどんな世界が構築されているのか、とても見たいとは考えられないですね。

 何かを(経験)すればそれで良いわけじゃない。より多くのCDを聞けばそれが偉いというものではない。大功も瀕死も、それ自体に価値はない。と、分かっているつもりでいます。でも、変われば良いもんじゃない、変わらないのが良いといって、じゃあ一歩でもそこから動いてみての答えなのかと問うてそれは違うと悪びれもせず答えられると、ジェネレーションギャップってやつを感じざるを得ないです、ハイ。
 今日書きたかったことはこんなつまらん話ではないのですが、とらわれて字数を食ってしまいました。こっちとしては、そんな人間の一人くらい知人がいても損はないかという程度ですけど。
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2006年01月29日

同じひとには判る、と言ってるのか?

 ここ最近はバイトづめで、しかもわりと頭をフリーにしてられる仕事が多かったので、店内で販促にかけている東京小火の新アルバムを100周以上聞いてました(言いすぎ)。耳に残っているのはハープシーコードと手拍子のリフレイン16小節と、「僕ーは透ー明ー人間さー」のみ。しつこいってわけではないですけども。自家受精。

 そんなフリーな頭で「**カレ!」(少×コミック連載中)の新刊にビニールをかけているだけで新発見をしてしまったんです(あんたまたそっちの話かいな)。いやはや。

 私はこれまで、ショッキングピンクの髪と50%増量中(当社比)の瞳のみで顔が構成されているキャラクターに目を奪われていて、それを中心に捉えていたのですね。それは何と視野の狭い捉え方だったか。
 タイトルを素直にとって、あれは少×2匹をお嬢様が隅々まで舐め回す、真正面からショタコンを取り扱った人気作品だったのですね。少×誌であるという外見ばかりに囚われて、私は愚かだった。
 それに気付かせてくれたのは、○番○隊長、あなたです(ヒント:最初の○にはフタケタ最*の数字が入る)。
 また未知の世界が僕を誘うというのか。ははははは!

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2006年01月28日

人という字は、互いにもたれあってできている(仮)

 ご無沙汰でした、というほど日は空いてないのかも知れないですが、最近つゆどんを訪れてくださる方が増えているようで、それが自意識になっているのかいないのか、中途半端に書きかけては消すということを繰り返しておりました。どうも書くときのノリを忘れかけているようなので、こういうときは勢いだけで乗りきろう! ……以前にもそういうことをやったことがありますが。

 仕事中に聞いたハイロウズのベストをレンタルしたいと思って店に行ったらなかったので、ブルーハーツのベストアルバムを2タイトル借りました。そのうちの1つは2枚組なので全部で3枚あります。現時点では2枚組の方の1枚しか聞いていないのですが、ライナーを見ると、「情熱の薔薇」が(そのアルバムの中では)一番古くて、一番売れています。というより、他のシングルがふるわない。年を経るごとにますます売れなくなっていってますが、他のほとんどのシングルがオリコン最上位30位以下で、10週もってないことから考えると、結局「情熱の薔薇」だけで持っていたのだと思われます。ちなみにこの曲はその年の年間チャートで5位以内に入っていた記憶があります。
 結局、90年代以降は「情熱の薔薇」一発で終わったということのようです。

 興行の話はこれくらいにして、ブルーハーツ、というか甲本ヒロトの魅力って何なんでしょうね。単調なメロディ、コード進行、リズム。特にどうということもない、むしろ作品によっては作為が鼻につくような歌詞。声がそんなに良いとも思わない。なのに惹かれる。
 「情熱の薔薇」は名曲です。私は今回、ベストばかりCDを3枚分も借りたのに、それでも「僕の右手」も「人にやさしく」も、「歩く花」も入ってない。思うに、キムチみたいなもんですかね。キムチって、何と合わせて食べても大抵食える。なぜかって、何と合わせても結局キムチの味しかしないから、キムチが嫌いでない限り、食える。ベストを何枚集めても足りないと思わされるのは、個人的にはビートルズ以来じゃないかと思います。こうなってくると、好きなのか好きでないのかも良く分からない。

 言葉で表せない魅力は多くの若者を惹きつけ、興行のふるわなかった曲の寄せ集めも今や名盤です。彼(ら)の影響を受けたと公言するバンドは無数にありますが、その大半はとても聞けたものじゃない。じゃあ何が違うのかって、確実にいえることは人が違うということぐらい。私はイミテイションが嫌いですが、中途半端なオリジナリティはむしろ邪魔だと思わされたたほどです。今でも聞いてるのはスピッツぐらいでしょうが、それとて模倣に作為を思わせるような、ひねくれた模倣です。むろん、(外形のみの)模倣によって浮き彫りになるほどのオリジナリティがあるから成り立つ技なんですが。

 そうです。その通りです。別にブルーハーツを語りたいわけじゃあない。
 よく分かってないですしね(笑)
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2006年01月25日

いつもアンカー

 こういう話は誰しもがします。すなわち、自分は幼稚園のときはかけっこでいつもビリだった。ところが小学校に入ってからなぜか足が速くなって2年、4年、5年の時にリレーの選手に選ばれた。3年の時は補欠だったけどたまたま足の速い奴ばかり自分のクラスに集まったためで、現に一周近い差を開けて圧勝だった。ところが突然太り出して、6年ではまさかの徒競走ビリ。そして二度と晴れ舞台へあがることは無かった。結局それほどの差はなかったってことなんだ、というようなこと。

 今日私の言うアンカーというのはそれのことではなくて、つゆどんのことですね。今日のバトンはムービーバトンです。少し書いてみましょう。

 Q:映画は好きですか

 この点についてはブログを始める前から記事を書こうとして(つまりこれを書くためにブログを始めて)、未だに書いてません。覚えてる限りでは最初から引っ張って未だに書いてない唯一のネタです。保留。まあ好きなんだけど。

 Q:今まで観た映画でベスト5を挙げてください

 書きたい映画はありますが、通して観たわけでもないし、これも挙げません。「これを観ろ」というほど(良い)映画をたくさん観ていない。よく分からないけど、読書量の少なさよりも遥かに大きなコンプレックスがあります。

 Q:好きな俳優・女優を5人挙げてください

 同上。しかし人間(俳優)は映画よりさらに見れていない。この人が出てるから良い映画だと決め打ちして映画を観に行ける人は人生の勝者だと私は思う。

 Q:一番最近に観た映画は何ですか

 「THE有頂天ホテル」 またこれは何とも当たり障りのない。
 劇場で映画を観たのは半年ぶりぐらいでしょうか。

 Q:観た感想を聞かせてください

 面白かった、と一言言えばそれで全て表せる映画なんですが、ここまでがあまりにも乾いたコメントなんで、ちょっと無駄口叩いてみます。

 のっけから細かいネタで仕掛けてきて(「ぼくんち2」らしい)、作者の意欲は感じられるのですが、コメディと聞くと構えてしまうのが人情で、ちょっとのことでは笑わない。それは他の観客もおおむね同様のようで、会場全体に構えたような、堅い雰囲気を感じました。それはもちろん、自分の笑い声で他の観客の迷惑にならないようにという配慮もあります。
 そんなことにお構いなくドタバタ劇は続いていくのですが、ネタを重ねられていくうちにだんだんと笑いがこらえきれなくなってくる。個人的には篠原涼子が台車に腹ばいになって漕ぐあたりでああもうこれは駄目だと、笑ってしまいました。
 劇場の笑い声は大きくなる一方なのですが、自分も一緒に笑いながら、ふと考えてみると、大声出して笑っても、それが障害になって(展開が分からなくなって)笑えないということがない。笑い声で俳優の声が聞き取れないということもない。ちょっとこれは恐ろしいな、と思った次の瞬間にはまた笑わせられている。それもその多くは展開が読めていて、その通りになるのに笑ってしまうという、いわゆる王道です。
 もう最後の方になると、それほどおかしくなくても笑けてしまう。こっちでは負けたとして、話に収拾がつくのかということが気になり始めます。それも計算ずくのようにストーリーは収束に向い、もの寂しさすら感じさせます。
 小さなストーリーをたくさん散りばめてそれらをあちこちつなぎ合わせるという手法も、それ自体はありふれていますが、結構入り組んでいて、しかし誰が観てもはっきり分かって、かつ笑えるとなると簡単ではないはずです。豪華なキャストも無駄遣いがなく、各キャラクターがそつなく描かれている。でも個人的には、(客が)笑う間を取っていることの方により驚かされました。これをやれば客がどのくらい笑うかということ、つまり作品を客の視線で観ることができないとこういうことはできない。それに加えて技術的な問題ももちろんあります。
 最後は歌だけで無理やり終わらせてる、というところまで笑えせてもらえますが、YOUの歌が上手いことに驚かされて、エンドロールの最後まで観させられてしまいます。
 映画館から出るまで、年明けから何日も過ぎていることに気付かなかった人は、私だけではないはずです。

 どうも自分は映画に求めるものが多すぎるのかも知れませんが、今回は2時間以上笑わせてもらえたという点だけで十分かもしれません。行こうと思っている方は是非どうぞ。劇場にまで行く必要はないと思っている方は、どうぞ間と雰囲気を掴みに足を運んでください。家で観たら一番良いところが曖昧になるおそれがあります。

 こんな感じでいかがでしょうか。

 Q ではこのバトンを5人の方にどうぞ

 だからいつもアンカーなんだってば。ごきげんよう。

2006年01月23日

もぎたての悪夢

 問 次の5人の言葉を正しく並べ替えて会話を成立させなさい。

 @「荷物が重いから待とう」
 A「私達の前におじさんが2人待ってんじゃん」
 B「次のバスは3分後に着くよ」
 C「歩こうよ」
 D「私も賛成。寒いから」

 うおお、わかんねー! 文章理解あんなに勉強したのに(たいしてしてない)。と思ってるうちに、自分もその人達に混じってバスを待ってる状況におかれました(ただし私はその状況を、自分が問題を解くために想像した状況だと捉えている)。その人達(全員若い女)と一緒に何とか会話になってるような会話を交わすうち、バスは到着して自分たちもそれに乗りました。
 運転手の格好をしたバスガイドが、「バスに乗ってきた人の順を正しく並べなさい」というと、人がつぎつぎ乗ってきて、初めのうちは覚えていた(つもり)のですが、続々乗ってくるのと、メモがないので慌てているうちに、席を譲る人やら狭い車内を走り回るガキやら入口近くでケンカが始まるやらでバス内が騒然として、順番どころでなくなってくるんです(なにやら文章がおかしいな)。
 騒乱するバス内で、一人「あーもう俺はおしまいだ」とうなだれて、ただ目的地へ進むバスに身をゆだねるのみ、という。

 問 次の人物の返答から会話を推測し、返答を正しい順番に並べなさい。

 @ Go for it.
 A No,he doesn't.
 B Tom is a middle of good boy.
 C Here we go.

 うおー、これも全然分かんねー!(こんなもの分かるわけがない。それとBの英語は聞いたことがない)
 無理にでも解こうと想像をめぐらすうちに、トムと二人でバス停へ向う画(状況)が思い浮かびました。バス停に着く前にトムは消えました(着いたバス停がさっきのバス停で、それは家の近くに3つあるバス停のうち、一番使わない所だった)。

 自宅の台所で自己採点をしながらそれらの問題を振りかえっていると、隣で母親が、私が買ってきた宝くじ(バラで10枚)の当たりを調べてくれていて、4等(¥19,800)と下5桁まで同じのが一枚ある(けどハズレだ)と言いました。7桁しかないうちの5桁までが同じなら4等としては十分だ、それは当たりのはずだという私の主張が通り、このくじは4等として当たりになりました。末等(¥300)は下1桁が1で、10枚のうち8枚が当たりでした(注*これは明らかに私の願望であるが、それにしても何と小さい願望だろうか)。

 そして私が試験に不出来で沈痛な表情を浮かべていたのか、母があんたの宝くじはよく当たるなあと感心して、私は当たった宝くじと外れそうな受験番号を食卓に並べて何とも複雑だった、と。

***

 問題が解けないことに対するどうにもならない焦りや悲しみから目覚めて、起きてしばらくはもう(試験は)終わったと思いこんでいましたが、枕元にある文章理解のテキストの表紙をぼんやりと眺めるうち、自分が眠ぼけていたことと体が異常に暑いことに気付きました。
 環境が悪い(寝苦しい)と悪夢を見がちですが、毎度のことながら、自分の見る夢っていうのは、なんでこうも現実に近すぎるんでしょうね。友人の(悪)夢の話を聞いてると、確かに悪夢には違いないのですが、ちゃんと現実離れしていて、いかにも夢らしい夢でうらやましい。私の悪夢は性質上結構引きずりますからね。
 もっとリリカルな夢が見たいです。それこそ三島や川端が小説に描くようなやつを。
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2006年01月22日

先生、あのですね

 考えてみたんですが、アンパンマンがあんぱんであることに必然性はないと思われます。すなわち、パンであれば「〜パンチ」は打てるし、顔をちぎって子ども達に食べさせてやることもできるわけです。
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2006年01月21日

万華鏡(あることないこと)にこだわる理由

 最近、「本当にあった話」とか、「実話をもとにした」とかいう接頭辞が流行しているようです。流行は流行なんで何とも思わないですが、気になるのが複数の創作家たちから「実話には敵わない」「感動する」等のコメントがちらほらと聞かれることです。

 別に作者がどう思おうと物語が面白ければ問題ない、私はもともとそういう立場を採ることは去年の大晦日にも述べました。しかし、あまりに容易に認めすぎることは、スプリンターがスクーターに感心することのナンセンスに近いものを感じます。

 (自分が創った物語が)実在した話に敵うか否か(といった客観的な事実)や、またそのコメントが控えめながらも前向きであるとか(いう主観的な事情)どうとか、そんなことはあんまり興味がないです。そういった流行があって、(自分がその流行を興したとか、あるいはそれを貪欲に利用するとかいう気概でなく)簡単に流行に口を開けて感心していること自体が問題だと。

 私もノンフィクションはどちらかといえば好きです。ただし、本当にあった事実であるという点が(定義ではあれ)それほどの武器であるとは思いません。
 何が言いたいかというと、本当にあったから、それで、あなたに何の関係があるのかという。たとえば10年間一途に思い続けた恋人が難病で死んだという「切ない恋物語」があって、それが実際にあったから感動するとか、作り事だからそれほどでもないとか、そういう問題なのか、ということです。そうじゃないだろう。
 それに「実話をもとにした」ということは、実話をもとにしたフィクションということです(皇帝ペンギンが人間の言葉を話すわけがない)。それと、作者の頭の中で描かれたフィクションとどれほどの差異があるのか。私に言わせれば他人を感動させるイマジネーションを持つ作者の頭の中の方が賞賛に値すると思いますけれどもね。

 創作物に触れる者の姿勢として、誰かがそう言ったらその通りのことを考えてるとか、表現した通りのことが事実であるとか、あまりにも発想が貧困で思考が短絡的に過ぎます。フィクションの中に描かれるノンフィクションが生の事実を超えるというその気概なくして、どうやって創作ができるのか。その意味において「実話には敵わない」なんて公にコメントして憚らない創作家の神経が理解できないですね。そんなだから「他人の作り話なんかにいちいち相手してられない」なんて言われるんだ、……と思っているのかどうなのか、っていう(言い逃れだという批判は甘んじて受けますが、そういうスタイルでやってるから仕方ない)。

 一方でファンタジーが流行して久しいですが、これはこれでまた私は斜に構えています。全くの浮いた虚構を共通の認識で甘やかしあって、剣と魔法でらったった、ってね。もちろん、作者の溢れかえるイマジネーションを表現しきるためには設定から全て自分で作らないと表現しきれないんだ、というような傑作もあるので、全てを拒絶するわけではありませんが。

 30前のヨレたギター弾きが「僕ももうすぐ30歳」などと延々繰り返すだけの音楽騒音をバックに、スカートがめくれてるだけの漫画にビニールをかぶせるだけの仕事を毎日延々くり返していると、いい加減で愚痴の一つもこぼしたくなります。

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2006年01月20日

頭のカタい人の説く「思考の柔軟性」

 Q:18歳のお兄ちゃんと、15歳の弟がケンカしました。弟が勝ちました。それはなぜでしょう?

 A:18歳→高三→降参

 このテの問題をスイスイ解く人が「頭が柔らかい」などと言われることがありますが、私は全くそうは思いません。解答に何の根拠もないという点はお愛想としても、既成概念にガチガチに囚われている(=年齢から学年を断定する点。そもそも義務教育でもないのに)ことのどこが柔軟な思考なのか理解できませんし、どだい論理性のかけらもない思考は非生産的だと思います。鬼の首を取ったように「頭カタいなあ」って言う、その頭(=価値観)のカタさがまた何とも哀れに思われてしまいます。

 Q:ある切符売り場では、2000円で指定席をとれる切符と、1500円で自由席をとれる切符が販売されています。A君は2000円を差し出したところ、係りの人に指定席をとるのか自由席をとるのか尋ねられましたが、B君が2000円を差し出したところ、係りの人は何も尋ねずに指定席の切符を売りました。それはなぜでしょう?

 A:(A君は1000円札2枚で支払ったが)B君の支払った2千円には小銭が含まれていたから。

 やっぱりこの程度の論理性は保ってもらわないと、いい大人がクイズに取り組もうとは考えないですよ。本問の場合は論理性というより実践ですけども。

***

 私の考える思考の柔軟性とは、価値観が相対的であるということをどのくらい理解しているかが判断基準です。今日の記事は「頭のカタい」記事ですね。一つの価値観を延々引き伸ばしてるだけのもので、展開もありません。
 言うまでもなく、これらは私の仮定する頭のカタい人間の一類型であって、「私」個人の価値観とは違いますので、そこは柔軟な思考でご理解頂きますよう。

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2006年01月19日

「あんな奴、死んで当然だ」って、言うじゃない?

 少しご無沙汰でした。雨の中を傘もささずに走って軽く風邪をひいてますLG18ですこんばんわ。いい加減半角か全角か統一しろって話ですが。

 随分長い間記事を書いていないように感じて、半ば発作的に書き始めています。風邪をおして無理に書く理由もないのですが、それまでサボっていたことで何かに追われているようです。これも貴重な体験です。
 ネタは溜まっていく一方で捌ききれないフラストレーションもあるにはありますが、こんな日に使ってもモノにはならないので、一番用意できてない題材を使います。

 最高裁、宮崎勤に死刑判決。

 ヒューザーの社長の国会での証人喚問や神戸の震災を抑えてのトップニュースってやつですね。
 判決自体に異論はありませんが、あまりに偏った見解がこれほどまでに通用しすぎると、危惧を感じざるを得ないです。

 「あんな奴、死んで当然だ」「今までのうのうと生きてるなんて」って言う人(特に50代以上の人に多いと思うんですが)のほとんどは事件および捜査や公判とは無関係で、被告人と面識すらないわけですが、その事実に相応するポリシーやプライドを持って「死んで当然だ」と言ってるんでしょうかねえ。それがまた「ゲームで簡単に人を殺すから人の命の重さが分からないんだ」とか言う人の口から出て来たりするものだから、私にとってはさっぱり意味がわからんのですが。
 伝わらない人に痛い喉をからしてまで言うつもりもありませんが、私とて面識すらない宮崎某の肩を持つつもりも義理もありません。ただ、罪は裁かれるべきであるという主張と、某が殺されるべきであるという主張は別問題です。

 裁判官が言い渡す「被告人を死刑に処する」と、被害者の関係者の言う「死刑は当然だ」と、それらの報道と、あなたの言う「死んで当然」は、その全て、持つ意味が違います。当たり前のことです。
 でもその当たり前のことすら、どうも分かっていないらしいのが首相をやってる国のことなので、どうにも不安です。

 はっきりいって、見も知らぬ他人が死刑になろうと知ったこっちゃない。
 ただ私が恐れるのは、言われなき罪で自分が殺されるのみ。

 「いつか自分が加害者になった時のために、今から加害者の立場を有利にしておこう」今回私の意図が汲めない、受け入れられない、という方は、そのように理解して頂いて構いません。人道主義者の人権擁護主義者のと、漢字のかたまりで括られるよりはそっちの方が余程近いです。
 マラソンを0秒で走ることは不可能だけど、蚊を殺したら死刑っていう世の中は、不可能ではない。

 今日の一句
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2006年01月16日

で、質問

 三島はネコだったんですか? それともタチだったんでしょうか?

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2006年01月12日

ナビゲーターズ・ハイ

 友人が探していた「やさぐれぱんだ」という本を仕事場で見つけたので立ち読みしましたが、所詮は素人、吉田戦車には及ばないですね(あまり良く言わないもんだからリンク等の情報提供はしない)。たとえば、「パンダのくせに上野を知らず、か」というくだりがありますが、カニとジャンケンしてパーを出したカニにグーで負けた人間が「カニのくせに」と呟く(吉田戦車の作品)のと普遍性のレベルが違う。一言でいえばパンダは白浜にもいるし、くわえて関東以外の人間には上野なんて縁もゆかりもないんだから笑える土台がない。全国ネットで東京の料理屋しか紹介しないマスコミと同じ不届きを感じました。作者の責任ではないですが、これが関西ベース(早い話が白浜)だったら本にはなっていないでしょうね。そう思わせるあたりが白けるんです。
 ――というようなことを友人に言ってやろうと思ったら、すでに別の本を探してました。「八犬伝」。(よその店で)店員に在庫を尋ねたら、「誰が書いたやつでしょうか?」と聞かれた。滝沢馬琴以外にいるのかよ。(いるんですか。へええ、そりゃ大変失礼しましたとさ)
 からむからむ関西人、客寄せはできないやさぐれLG18ですこんばんわ。上はこれをやるためだけのものであり、決して愚痴や野次の類ではありません、ねんのため。

 白浜といえば、先日友人と行ってきました。ひとっ走りで。

Z3と円月島

 Z3(BMのオープン2シーター)の右に乗れる日が来るなんて、持つべきものは友ですね。左ハンドルでマニュアルという、筋金入りのバカに乾杯です。
 もちろん(私が)うれしがってオープンで走ってもらったんですが、寒いのは最初だけで、案外あったかいものです。こんなものは乗ってみないと分からない(うへへ)。
 屋根をつけて高速にのったあとは(私が)思うように飛ばしてもらいました。それまで友人は80km/h以上は出さない主義だったそうですが、私の口上と前を行く車がどんどん避けていくので、ノリやすい友人は目を吊り上げて笑いながらアクセルを踏んでました。スルーして下さって構いませんが、車が喜んでる気がしました。普段「あんなアホみたいに飛ばして何がええんやろ」って言ってるけど、そのアホの気持ちがわかったわ、と二人で笑い転げてました。

 私「80以上出さんのになんでBMやねん」
 友「低速でオープンを楽しもうかな、って」
 私「それもいいけど、それだけじゃあまりにもったいない」
 友「そっかあ、せやんなあ。はははは」
 車「ふーん」
 私「うおおおお!」
 加速度が(普通の車と)段違いです。正直ここまでとは思いませんでした。

 思えば私は友人にロクなことを教えてません。西村京太郎が好きだという出不精な人を旅に連れ出して以降旅に狂わせたり、バクチを打たない友人に花札を教えてハマらせたり、友人の描いた小説にもっともらしいコメントをつけてますますのめりこませたり。今回も安全運転が信条の友人にBMを飛ばさせたし。
 私は決して強要などしませんよ。ただ彼らに渦巻いてる欲求の扉を一度だけ、ノックするだけです。そうすることが自分にとって楽しいから。今回も急カーブを130で走ったり、自分で抑制が効かないだけにかなりの恐怖を伴いましたが、そこはそれ、楽しむためのスパイスです。

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2006年01月07日

アンコールまたは自己弁明・谷亮子

 本ブログへの検索ワードで「谷亮子が嫌い」等の語句が最近並んでいるので、無駄な弁明は承知のうえで断っておくと、私は別に谷選手が嫌いなわけではないです。会ったことも無い人に好きだの嫌いだのと言うのはおかしいというのがポリシーなんで、感情的な問題に関しては一切中立です。何とも思ってません。嫌いだと考えるエネルギーがもったいない。……なんて書いたらまた「それを『嫌い』というんだ」と評価されそうですが・・・難しい。

 いただいたコメントの一部に、「浮かれすぎ」との見方がありましたが、これについて私はどちらともいえないとの立場を採ります。今日はそれを書きたいと思います。

 1.少し前になりますが、北野武の「座頭市」という映画を観た時、友人が非難して「タップ(ダンス)はやりすぎだ」といってました。そいつは生活の一部に映画を取り込んでいるような奴なので、映画のねらいや意図を取り入れて自身の感性というフィルターで濾過して解釈することが、呼吸のように容易く、また無意識でできる人間です。
 一方私はタップの部分も含めてこの映画は高く評価しているのですが、それは必ずしも私個人が気に入ったという意味ではない。ただ、エンターテインメントをやるといって、本作品のように数多の、(それも恐らくは計算された)引きだしを用意されたらこっちは笑うしかないだろうという意味で、優れているということです。誰しもが自分の基準で観ているわけではない。ましてや座頭市をたけしがやる、という触れこみでは、バカ殿がオーバーラップする人ような人だっているだろう。本人も金髪でテレビ番組に出演している。これらの状況においては、映画の中でもかなりエンターテインメントの要素が高いことは観る側も意識に入れるべきだ(と私は思う)。それが作品をもっとも楽しむための(文字通りの)姿勢と考えるからですね(それは製作者のためでなく自分のためである)。そういう意味で私は創作に触れるとき、なるべく主観を排除しようする意識を働かせています。いくら排除しても排除しすぎることはありえないので、弊害はないです。

 これらのことから、友人の「タップは不要だ」という(恐らくは主観的な)意見に対して「イヤ必要だ」と反論することは、共通の土俵に立っていないので議論になりません。

 今回の記事に関連する一連の反響に対しても、これと同じことがいえます。
 つまり、私個人がこの場でだれそれが嫌いだと言ったところで、何の進展もない(と私は考える)わけです。面白くないというのも同義です。同じ考えを持つ者同士が騒ぎ合っても、あるいはそこへ反対の考えを持つ者が飛びこんで異を唱えたとしても、それが純粋に主観的である限り、議論にはならない。
 決してそういった反響やコメントを拒否あるいは拒絶する意図ではないです。私の発信がどのように受信されているのか、その一端に触れることができるという一点だけでも、そのへんの(作者個人の些細な)価値を既に駆逐していますので。ただ、私自身がそういった風に考えている、と捉えられるのは誤解だと。それだけのことです。

 2.次に、大勢に見られることに対する意識、というものもやはり求められると思います。分かりやすい例が、人気漫画作家が自分の思い描くストーリーを描かせてもらえず、編集側で読者の意図(要求)を汲んで話を捻じ曲げるというものです。この場合は意識ではなくて強制ですが、やはりカメラに映る姿が普段の自分と違う、というのは個人レベルでも往々にしてあることかと思います。

 そういうことを考慮に入れたとき、柔道と10をかけたとしても、あるいは10連覇のゲンかつぎと言いつつ実は彼氏の背番号だったとしても……まあ許容するにしても限界でしょうが、そこは1で述べた点と結びつけて理解頂きたいと思います。私は(主観的な問題としては)どちらでもない。例の選手が、柔道の振興とか、あるいは愛想は良い方が良いとか、諸々の事情を考慮の上での言動とは感じられなかったから前回その趣旨の記事を掲載し、それについて頂いた反響については賛成ですけども。

 などと偉そうに言ってみたところで、あれが自分の打ち込んだ競技の選手だったら私もやはりぶち切れてる(そしてその趣旨の記事を過去に掲載している)ので、弁明する資格があるかどうかすらあやしいLGでございました。

 結論:1.知らない人を嫌いだと思うことに価値がないから考えない。
    2.結果、どちらでもない。
    3.だから「LGは谷亮子が嫌いだ」という命題には偽と答える(言うまでもなく「好きだ」という命題にも偽と答える)。

 今夜はこの辺で。失礼します。(この記事は1月8日 02:31 に書かれました)

2006年01月06日

いっしょうけんめいの愚痴

 自分がいっしょうけんめいにやっても、それが他人に伝わらないということはしょっちゅうです。そんなくらいでいちいちへこたれていられない。
 でも、自分がいっしょうけんめいにやっても、それが自分自身に伝わらないとしたら。
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2006年01月04日

一年の計

 初出勤(バイト)で朝番が店長に替わって、開店前の普段と違う指示を受けているうちに気持ちが新年になりました。
 勤務後、いきおいでスーパーカーの「B」を衝動買いして、(別に好きでもないのに買ったことに対する)少しのリグレットと(好きでもないCDを衝動買いできるほどに大人になったことに対する)満足感を感じているLG18ですこんばんわ。コルトレーンを探してたんですが、新年早々コルトレーンってガラでもないな、と。まあスーパーカーってガラでもないんですけど。
 聞きたいのはくるりと倉ヨエの新アルバムです。てんでバラバラです。

 (仕事場で)一年の目標を立てろと言われたので、立ててみましょうか。そんなことしたことないですけども。

 1.友人と絶縁するようなハメにならない。

 ・・・痛い。痛いよママン。ママンってよく使われてるけど、そのうち「異邦人」を知ってる人はどれくらいいるんだろう。村上春樹は売れるのにジャズは流行らない。なぜだか分からないけど、別にどうでもいい。
 毎年誰かと切れていきます。それはもちろんありがちな自然消滅ではなく、それ以上新たな誰かと繋がるわけでもなく。去年もありました。一昨年もありました。その前も(あれはどうにもしようがなかったな)。さらにその前の年も(たぶん)、さらに・・・・・・(適当に濁してるんじゃなくて思い出すのが怖い)。
 今ふっと思ったけど、毎年失恋してる人っているんでしょうか? それもただフラれるだけでなく、半年以上ないしそれに匹敵する付き合いをして別れた、ということが5年で5回以上とか。いたとしたらすごいですよね(まあ私もそれと似たようなもんですかね)。ペットを飼うたび1年で死なれてそれでも飼い続ける人ぐらいすごいですよね。イヤ決して彼氏は犬だった、それもあなたの狂犬だった、とかいうわかりにくいホモネタではなくて。

 まあでももう絶縁する友人がいるのかって位に友人がいないのでこの目標はクリアできるかもしれないですねって、ものすごく暗い話のように思われるかもしれませんが、中途半端な付き合いは面倒なだけだし、体当たりで得られたものは少なくありません。自分の貴重な時間もそれ以外に誇れる使い方はしてません。今このブログを読んで、もし書き手の印象を良く思ってくださった人がいたとしたら、それは一重に去っていった友人たちのはなむけですね。

 2.試験に受かる。

 うーん、良い目標だ。しかしこんなものは読んでる方はつまらない。次。

 3.・・・時間を有効に使う?

 抽象的になってきた。具体的に、3日前、1週間前、1ヶ月前、3ヶ月前、半年前、1年前、3年前、それぞれ自分が何をしていたか、そのとき誰が友人だったか、何の音楽を好んで聴いていたか、思いだせないんですね。何かの病気なんじゃないかと思うんですが。思い出せるようにと日記をつけたりするんですが、何かをしたということはほとんど書いてない(このブログもそうですが)。どうもいかんということで友人に相談すると「お前はいつも同じことを言ってる」とこう、すかさず追い討ちをかけてくれるわけです。ああなんて貴重なんだ、友人。

 4.一年を振りかえって、今年は良い年だった、といえるようになる。

 これが至上命題ですかね。ここ3年は(始まる前から)闇に閉ざされていたので、端から見て司法試験くずれの妥協の何のといわれようとも、結果を出したいですね。さっさと稼いでどんどんCDを衝動買いしないと。

***

 オチがありませんでしたが、しょっぱなからオチつけて今年にオチがついても何なので――って、この程度はオチには入らないですよ(焦)。
posted by LG18 at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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