2006年01月30日

生命力の有無とそれに対する価値観について

 私はバイタリティ(生命力)が他人より不足していると常々感じております。それは体力であったり、行動力であったり、時間であったり、生きていく資本といえる力が足りないということです。たとえばテレビを見ていても、松浦亜弥だったらLG38人分、藤原紀香だとLG45人分、鈴木宗男であればまあ百人以上必要だろうな、というようなことを考えます。あの年だったら百人以上のLGのうちの20人近くは死んでるでしょうからねえ。それだけに、老いて体固まり頭が動かなくなる前にと思って今のうちにせめて見れるものは何でも見ておこうという気は強いのですが。

 先日、数年振りに知人に会いました。そいつは私の知人の中では最も年が下で、まだ現役で大学生をやってられるほどに若いのですが、先日会ったときに、喋れば喋るほど、何も変わっていないなあ(相変わらずだ、ではない)と驚かされました。
 将来のことはわかりませんが、人生結局はハタチ前後の10年(をどのように過ごしたか)で決まるだろう、というのが、現時点までの私の基本的な考え方です。60から思い立って、という人が達人としてテレビなんかに出ていることがありますが、その人は若いときに相応のバイタリティを発揮していただろうというのが私の勝手な推測です。
 この年代に年単位で会わない場合、大抵の人間は自身か身内に武勇伝の、もしくは向こう脛に疵の一つや二つこしらえて、それを話すにしろ話さないにしろ、半日会えば有るか無いかくらいは誰でもわかるものです。そういった価値観自体が存在しない。
 私「バイトはしてないのか?」
 知人「してないですね。ていうか、したことないです」
 私「……金は? 遊びにいくのにどうすんねん?」
 知人「遊びにいくことがないから、特に困らないですね」
 私「・・・今日は?」聞きたいことからどんどん遠ざかっていく。
 もちろん私などに見せるものかという気概もあるはずもなく、一事が万事、無関心、無気力の輪は聞けば聞くほど、見れば見るほど、広がっていきます。数年振りに再会したいきさつにはそれへの期待が少なからずあっただけに、失望もひとしお(そんな言葉あるのか)でした。

 今どきの若者にはさほど珍しくないのかもしれないこのLG0.3人分くらいの人間とどうして知り合ったかは、つまるところこの知人は小説を書くからですが、小説にだけは心血を注ぐことを切切と語るさまを見ていると、無菌室でどんな世界が構築されているのか、とても見たいとは考えられないですね。

 何かを(経験)すればそれで良いわけじゃない。より多くのCDを聞けばそれが偉いというものではない。大功も瀕死も、それ自体に価値はない。と、分かっているつもりでいます。でも、変われば良いもんじゃない、変わらないのが良いといって、じゃあ一歩でもそこから動いてみての答えなのかと問うてそれは違うと悪びれもせず答えられると、ジェネレーションギャップってやつを感じざるを得ないです、ハイ。
 今日書きたかったことはこんなつまらん話ではないのですが、とらわれて字数を食ってしまいました。こっちとしては、そんな人間の一人くらい知人がいても損はないかという程度ですけど。
posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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