2006年02月28日

長ければ納得するのか?

 判決理由が短い判事、退官へ。記事はこちら

 この記事を読んだだけなので、何とも言えない(情報が足りない)んですが・・・
 判決理由が「短い」というのが「(再任)不適当」の理由になるというのは、判然としないですね。
 「司法のしゃべりすぎ」という新書は、仕事場で見たことはありますが、読んだことはありません。オビを見た感じやや過激かなとの印象をうけましたが、オビなんで何とも言えません。

 つまり勉強不足で、この人が具体的にどういう主張をしているかは知らないのですが、基本的な発想として、無駄に長すぎるという点は同感です。大学1年生のとき、判例を読みはじめた途端、瞼が極度に重くなった記憶がありますが、あとから友人に聞いても大抵皆そうですね。
 法律学は、学問には違いありませんが、自然科学と違って、はじめから人間の手で構築されたものです。「人智を越える」ということは有り得ないし、あってはならない。そして広く一般市民を統制するものである以上、できる限り分かり易いものでなければならないと思います。

 だから、論理的か、明確か、結論が妥当か、が判決理由の評価の判断基準の要であって、長いか短いかは問題にならない、むしろどちらかと言えば短くて済むのなら短い方が良い、と思うのですが。
 もっとも、記事には「訴訟当事者からの苦情も多く」とあり、省きすぎでスカスカになっていた可能性は否定できません。どうせ負けた側の弁護士が管を巻いてるんだろうと言ったところで、「判決理由というのは、負けた側(を説得させる)のためにある」(裁判官だったゼミの先生が言っていた)という真理は否定できないのだから、第三者からみて足りてたとしても解決にはならない。

 本はともかく、判決を読めばもう少し中身のある議論ができるんですが、それにしても退官というのはどうなんでしょうねえ。
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2006年02月27日

これで終幕(3)

 ギョーザがない! ショーユにラーユをかけて飲むオリンピックなんざ知ったこっちゃない

 詳細はこちらから。無駄に長い本文より的を得たコメントを読んでいただければ十分です。

 書きたいヴィドヘルツェルとか我慢して四十九日か森本平か

2006年02月26日

もしも、今回の騒動を法的に解釈したら

 *注:法律用語や知識については丸カッコ( )内に入れて伏せてあります(つまり法律に興味がなくても問題なく読めるということをさりげなくアピールしてるわけです)。興味のある方は反転させてときどきふくみ笑いを浮かべてください。基本的にツッコミは受けつけません(笑)。
 ではどうぞ。

1.<今回の騒動・民事編>
 (株)ジミントーの常務取締役であるクロイツフェルト竹部氏が、自身の次男の銀行口座を通じて違法に会社資金を着服していた、と株主長田が訴えた、とします。

 これを実際の騒動に沿って結論づけた場合、株主長田が証拠不十分により敗訴したわけですが、それによってクロイツフェルト(以下略)氏の無実が証明されたことにはならない。株主(代表訴訟とか)の例はひとまずおいといて、土地の所有権を巡る争いなんかが分かり易いです。すなわち、実際にはCの所有である土地について、Bが何の権利もなくそこへ居座っていたとします。そこへ無関係のAが現れて、Bに対して「俺の土地だからどけ」という(所有権に基づく土地明渡請求)訴えを起こせば敗訴(請求棄却か却下)しますが、(請求棄却の場合)判示内容は「本件土地はAの所有ではない」というものであって、この判決をもってこの土地がBのものであるということにはならない。そんなことは当たり前なんですが、実際の騒動を見ていると、あたかも次に書く刑事編のように進んでいる気がしてなりません。

2.<今回の騒動・刑事編>
 被告人、竹部BSEは、選挙に協力する見返りとして賄賂を受け取ったとして、収賄罪に問われたが、功にあせった検察官長田の思わぬ取りこぼしにより、証拠不充分で無罪となった。

 結論を事例に組みこみましたが、骨組みは民事と変わりません。要するに「クロとは言いきれない」。これが刑事の場合、疑わしきは被告人の利益に、という原則により、クロと言いきれない場合は全てシロ、よって無罪、となるわけです。先に書いた土地の(所有権帰属の)問題とは決定的に違う展開を見せます。
 民事:クロとは言いきれない、でそのまま。
 刑事:クロとは言いきれない→シロである(無罪)。

***

 国会の質疑応答は司法権の及ぶところでなく、当然ながら民事事件でも刑事事件でもありません。だからどちらでもない展開を見せるのは当たり前のことです。そんなことは分かってます。
 ただ、確たる証拠もなしに他人の違法行為があったことを主張した人間が道義的に責任を追うのは当然として、違法行為があったとの指摘を受けた側も自ら率先して潔白であることの証拠を見せるべきだと思います(たとえば、カネの受け渡しはあったが次男と私とは全く関係ない、もちろん選挙とも無関係だというものでも、それについて確たる証拠があるならそれで構わない。)。そうでなければ、自ら被告人であるとの前提を受け入れていると考えざるをえない。
 もちろん、根も葉もない主張にいちいち潔白を証明するのは骨が折れるし、その価値もないのは当然です。しかしそれを判断するのは指摘された人間ではなく、その取り巻きでもなく、国民です。だったら国民とは誰か、世論調査でもするのかというのは議論のすり替えで、ただ「証拠はあるのか」「みろ、無いじゃないか」だけでは納得できないのはごく自然なことでしょう。

 最後は論理的でないぶっちゃけトークになりますが、BSEのときもそうでしたが、あの人モロに顔に出ちゃうんですよね。今回も、株主だか検察官だかミンシュトーだか知れない、ナガタさんだかオサダさんだかの主張よりも、それに対応するあんたの顔を見て私は確信しましたよ。
 ああ、あんたはクロだって。
 文句があるならシロであることを見せればいい。真っ白(漂白剤)ってのは地球環境に優しくないというなら、せめてシロであるように見せてみればいい。
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2006年02月25日

未整理。

 今年の司法試験の出願期間は終わりました。前日に出願しないことに決めて、当日は普通に忘れていました。今日、とりあえず取り寄せた出願書類を捨てました。
 何やかや書くとかえって遠ざかってしまうので、この2行でご理解ください。

 他人からよく驚かれたのが、荷物の重さ(多さ)です。一度に何冊もの(分厚い)教科書が読めるわけでもあるまいにと口に出す人もいましたけども。例えば民法の場合、千をこす条文があるわけですが、それらの規定が一つ一つ無関係に乱立してるわけではない。1条から174条(の2)までをひとかたまりとして、そこまでしか勉強しない日であっても、175条以降について書かれている教科書が不必要ということにはならない(分かりやすくいえば113条と110条と109条と761条を関連付けて考える必要のある問題もある、という具合です)。
 でまあ、鞄の中でそんな具合だから、部屋とかはもっとひどいことになるわけです。本だらけ、プリントだらけ、紙だらけ。

 部屋の整理を長いことしてません。記憶では、年末に一度やりかけて途中のまま放り出していて、そこへまた雪でも積もったような有様です。
 高校時代は、勉強が嫌になったら整理をして時計をごまかしていたので、根は整理好きなんだと思うんですが、最近は部屋を整理するのがとにかく億劫です。

 同じような思いで本まみれの部屋に佇んでいる人が大勢いるんだろうかなんてぼんやりしながら、なるべく早く片付けないとと思いつつ、そのままになって。
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2006年02月24日

幼い微熱を下げられないまま

 去る2月15日に自転車を失った(撤去された)という記事を書きましたが、去年と一昨年、2年続けて2月14日に私は財布を落としました(因みに私はこれまでスリに近いものも含めて財布を20回弱ぐらい無くしているが、届いたことは一度もない)。今年は2月14日を財布の日と決めて普段よりさらにガードを固くして、事無きをえたと思った矢先のことだったんですね。今ふと気付いたことですが。
 逃れられない厄災と受け入れたら楽になるでしょうか。

 ここ最近軽く鬱だったんですが、無意味と知りつつ原因を探ると、発症する前日から一週間前までの7日のうち4日が昼食がジャンクフードでした。(朝夕は栄養のある食事をきっちり摂っている)
 全くの笑い話ですが、過去に鬱入ったときは必ずと言って良いほど同じ状況にあって(うち2回は一週間三食でそういう食事が続いて、舌が回らなくてまともに喋れなくなったことがある。これは笑い事ではない)、栄養不足と鬱症状の相関関係はともかく(というか私自身がそんな関連を信じていない)、分かってるんなら避けろよって話なんですが、金が無いから定食屋に行けないわけで安いジャンクフードに手を出すんですがこれがまた美味いもんで。安くて美味いんだからいいじゃないかと続けてるうちに……となるわけです。

 周囲からは羨ましがられますが(すぐに心身に異常を来すため、不摂生できない=健康に過ごさざるを得ない)、自身は不便なことこの上ない。ジャンクフードといっても、インスタントやハンバーガーだけでなく、ラーメン屋のラーメンとか牛丼屋のちょっとした定食とか安いめのコンビニ弁当とかも頻食はNGで、はっきり言ってこの年の男にとっては昼飯の3本柱みたいなものを同じように、一週間食べ続けているだけで「お、おぉ、おお、おはぁ、おはあようござ、ござい、」になる(但しやたらに早口)んだから(*事実です)理不尽です。
 他人から指摘されるまでもなく、中華料理屋の得体の知れない野菜で作られた野菜炒めやらサラダやらで保たれる健康だから、もっぱら精神的なものだろう(その意識がなかったにしても)と思うのですが、ある日倒れて病院へ運ばれて、診断結果が栄養失調で、医者に詰問されて牛丼を1ヶ月食べ続けてたことに気付いたという知人もいましたし、注意しておくにこしたことはありませんけども。

 ちなみに、一日の睡眠時間が4時間を切ると、翌日は日常生活に支障を来すほどひどい胃もたれを起こすので、もう何年も徹夜してません(し、したときは必ず次の日一日寝込むことになる)。ハタチすぎてから急に老体になりました。それまで特に身体に悪いこともしてないんですけどね。

 ホリエモンとライブドアについて、(いずれ我が身を滅ぼすことにつながるとの自覚もなく)ただ成長するだけが目的であって、えらくバイタリティである点で腫瘍(ガン)と同視できるなんてふざけたことを口走っていた三流の小説家がいましたが、生命力がなきゃただ息を吸って吐くだけで人生が終わっちまって、お前みたいにくだらん話をだらだら書いてる暇なんてとてもじゃないがないんだっつうの。
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2006年02月21日

神経伝達物質とシナプスの百年愛(言葉の力・本編)

 ピカソの絵は分からないと一般によく言われますが、絵画は数学の問題ではない(ダビンチコード? は?)ので、価値という語句を補って解釈するべきでしょう。私の友人に絵の上手い奴がいるんですが、絵は分からんというから、自分絵上手いやん、って言ったら、ピカソの話を始めました。そいつはピカソのエビの絵を(テレビで)見たんだそうですが、友人いわく「辛うじてエビと分かる程度」で「子供が描いた絵みたい」と言ってました。私は「ピカソがエビの絵を描いた」と、間抜けた返事をしました。
 この続きも書きたい(書くべき)ことはたくさんあるんですが、それはまた次の機会に譲って。

 一方、ヴィトゲンシュタインという哲学家が著書にしめした「語りえないものについては沈黙しなければならない」という有名な言葉があります。これもやはり、一般人(というかわたくし)にとっては(いたずらに)もてはやされるという点について確かに分からないこともありますが、ピカソの絵よりはよほど、その価値と中身について、平衡感覚が保たれている気がする。つまり、わかったような気になれる。それが言葉の力なんだと思います。

 人は皆自分の世界を持っていて、他人とは互いに相容れない、遠い異国の空か、あるいは異星人です。ホテルは宇宙船です(違います)。恋愛にしがみつく価値観も土台は哲学的であるとさえ思います(でなきゃわざわざ取り組んだりはしない)。そうして隔絶された世界を繋ぐ、あるいは共有する手段として、言葉が(その能動性に鑑みて)最も可能性があるのではないかと。

 力というのは、脅威でもあります。私は他人より若干舌が回るそうですが、そのために見落としているものは少なくないと思っています。他人と共有できる要素が多い反面、個々のインスピレーションを汲み取る神経が麻痺してるだろうと。

 ピカソの作品はむろん技術探求もあったことは明らかですが、それが(究極の)目的ではなかったこともまた明らかです。ピカソの絵から汲み取ったインスピレーションがあれば、それは言葉では表せないだろうし、言葉で表した瞬間に言葉で表せる以上のものでなくなってしまう。そうやって他人と共有された世界は自分が得たインスピレーションの残骸すらなく、私はそれは寂しいことだと思います。(そんなわけで、3ヶ月に一回程度、ハリウッドのCG動画を120分前後見るたびに「感動する」ような、あるいは良い大人がいつまでもネズミやアヒルの着ぐるみにはしゃいでるような感覚にはきわめて懐疑的に接することになる(どだい輸入モノじゃないか)のですが)

 ええと、それで何だったっけか……映像についてはまたちゃんと(たくさん)観てから書きたいと思います。
 すでにお別れしたようです。

 おまけ(使えなかったピカソネタ)
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2006年02月20日

モデルケース(言葉の力・前編)

 ――ないことをあることのようにって、どうやって?

 「こないだ働いてるときさ、『牛すき鍋定食並みでつゆだくで』とかいう意味わからん客が来てさ、意味わからんやろ? もとからつゆだくやっちゅう話で。それでからかい半分で鉄鍋ひたひたにつゆ入れて出したら、その客それ全部飲んだんよね。ありえなくね?」
 とか言ってあとは適当に前後繋いだら、吉野家の店員だということになる。

 「ちょっと聞いてよ、やっとこの仕事慣れてきたと思ってて、いつも通り掃除しに部屋入ったら、いきなりコケたの! でさ、はじめ何が起こったか分からんくてさ、起きあがってみたら超ビックリ! 床がローションまみれでぬるぬるべとべとなんよ! もう信じられへんくてさ。も〜お前ら何やらかしてんとか思って。その日その部屋のせいでめちゃ残業やってんから〜」

 体験談を入れれば体裁が整う(自分の場合、会話形式にしたらさらにやりやすい)のは確かですが、私が言いたかったことはそういうことではないということを、また次にでも。

 注釈を読む
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2006年02月16日

男と女のラブゲーム♪

 10点満点中、男が何点だったら付き合いを「続ける」ことができるか、という話になったときに、6点(以上)なら、と答えた女がいました。急に鼻持ちならない気がして、興味なさげに「はーん」とだけ言っておきました。

 私の友人に、彼女である女に振りまわされているようにしか見えない男がいます。ノロけるか愚痴るかはその都度違いますが、あとから考えるとそいつは会うたびにその女の話をしているように思います。もっとも、私もその女と知り合いではあるので、ただ単に女の話をする、というわけではありませんが、聞いていてどこか隔たりを感じざるを得ません。
 先日、意地悪い気持ちになって、最初に書いたのと同じ質問をしてやりました。私の心積もりとしては(言うか言わないかは別として)お前の彼女は10点満点なんやろうけど、というのがありました。
 男「それは1点だろう」
 LG「ほう。…じゃあ、」
 ほとんど誰でも良いってことになるな、という言葉を制して友人は続けました。
 男「ただしその1点は、(自分にとって)『これだけは』という1点でなければならない」
 LG「はあ」蕁麻疹がかゆいわ。
 男「あとの9点を耐えられるかがどうかが、続くかどうかなんだろうと思う」
 勝者の言葉は意味がなくても意味ありげに聞こえるものですが。構わず男は続けます。
 男「もちろん、それは相手にとっても同じことだと思う」
 要するに、その1点の堅い結びつきによって関係が保たれてると。続くというのはそういうことなんだと。蕁麻疹を押さえながら聞いてたがよく解らないって感じです。

 この会話からもわかるとおり、一本気で、私の「いい」友人たちのなかでも最も「いい人」ぐらいいい奴なんですが、考えたらこれは素直に9点だと言えば良いじゃないか(結局は同じことだ)と思いました。それはのろけだと思ったからでしょうかね。まあどっちでも良いですけど。

 そいつのノリで言えば、私は0点ですよ(笑)優しい男性が好きだって、結局自分に都合が良い人間が良いって言ってるだけで、そんなものは単なるワガママだと吼えたアイドル男に、それで何が悪い、そもそも何で私がそんなこと言われなきゃいけないって切り返したアイドル女をテレビで見ました。とかくこういう話を語りたがる人間は多いけど、なんだかんだいったって、結局は巡り合わせなんだろうと。そう思います(出会いという言葉は使いません。運命論者じゃないけど、数の問題ではない)な。

2006年02月15日

先着1名様限り! 中古自転車を格安で譲ります

 大学時代に乗り回していた自転車を久しぶりに拾って大阪市内を乗り回してたんですが、どうせ走るなら走ったことの無いところが良いということで、ミナミからさらに南、新今宮周辺を走りました。灰色の雲立ち込める下、「JAM」を聴きながら新今宮をチャリで走ると、それはもうイッてしまいます。
 でまあ、若干自転車に飽きたので(この日は門真から大日経由で天六、梅田、福島、野田、中之島を土佐堀川に沿って東へ。松屋町筋を南下して日本橋、ミナミからさらに南で新今宮着。土地鑑のある人は驚くかもしれないが、走るだけなら2時間半か3時間弱で十分走りきれる。大阪城さえ避ければなんたって平らだから)駅前に自転車を置いてその日は帰ったんですが。
 後日(というか今日)、胸騒ぎがして新今宮に戻ってみたら、自分のチャリが置いてた場所に無いんですよね。これはパクられたかなと思って諦めかけたとき、自転車撤去車が走ってるのを見かけまして。よく見たら地面に撤去した旨の紙が貼ってあって、日付が今日になってまして、走ったら信号待ちをしてるその車に追いついたんですが、声をかける前に自分の自転車が積まれていることを確認しなければと思って、たくさんの自転車を目で追ってたところ、なんとそこに積まれていたんですね。ああ俺のチャリと思ったときに車が動き出して。

 ・・・あとはご想像の通りです。orz
 地味なママチャリですが、地味に1万円以上しました。そこらへんの女より長い付き合いでしたよ。前輪は事故で、後輪は破れるまで乗りました(もちろんどちらも交換済み)。撤去3回、サドル盗難1回。

 取りに行けば良いじゃないかという話なんですが、保管場所が南港なんですよ。無意味に遠い(帰りは乗って帰らなきゃいけない。阿房列車ではないが、用事がなければ距離は問題ではないが、用事の為に遠距離を自転車で走るなんてごめんだ)上に、ついでの用事(沈めとく人間とか)も全くないし、手数料(¥2,500)払ってまで、度重なる事故で前輪が若干左にいがんでる「事故車」を取りに行くなんてさらさら面倒でけったくそ悪いし。

 そこで考えたのが、手数料を払って引き取るという人が現れたら譲りますという話です。幸いというか何というか、私の自転車は番号錠なんでそういうことが可能なんです。南港は、私には用事のない場所ですが、用事のある方々にとっては遠く中国・九州地方からも来られる方がいるくらいのところです(東から来ることは無い)。先にも述べましたとおり、平野が広がる大阪市内は自転車一台で簡単に行けます。この機会をぜひお見逃し無く!

 ……それにしてもこの保管場所、1ヶ月を過ぎたら処分するっていうんですけど、業者に売りつけてマニラに飛ばす気満々の場所じゃないか。(小説に出てくるような)女じゃあるまいし。どう考えても「取りに来てください」って場所じゃない。
 恐るべし×成区(他の区で撤去食らったときはここまであからさまではなかった)。中途半端に行方がわかっているだけに、盗まれるよりも恨めしいです。

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2006年02月14日

踊らされているのは―― 〜信じるということは(3)〜

 同じ年の友人が言った「この年にもなれば、合コンはもはや義務だ」というセリフは、惜しくも「名言!」からは漏れましたが、いい加減このトシにもなってチョコレートがどうのこうのもありません。くれる人には森永ダースのビターか明治ブラックチョコレート(要するにメーカーもんのスーパーで100円を切るぐらい安物のビターチョコレートが良い。お返しに気を遣わなくて良いから)を所望してますが、今年は女の子と会う予定がないのでもらえません。話すことも無いので世論調査にケチをつけたいと思います。

 このテの話を書くときは、読者の方は読まなくても先が見えてるのではなかろうか? といつも思ってしまいます。私の話は一部の面白い小説や漫画と違って、話の先が分かっててなお読む気にさせる類のものではないので、先が見えてしまうことはわりと致命的なことだと思っているのですが。

 少し前、選挙がありました(このブログでも2,3記事を書いた)が、終わったあと、「自民党が勝ちすぎたと思うか」との質問に、「そう思う」と答えた人が80%いたという世論調査が報道されてました。バカバカしいことこの上ない。
 私が何を根拠にそう記憶しているのかは定かでありませんが、前回の選挙で自民党は80%の支持を得て選挙に勝ったと記憶しています。(事実はさておき)仮に得票率が80%だとして(サバ読みすぎというわけでもないだろうし)話を進めると、自民党に票を入れた人の割合と同じ割合の人が「勝ちすぎた」と思っていることになる。分かり易くするために論を飛躍させると、自民党に票を入れた人の相当数が「入れなきゃ良かった」と思ってるということになります。

 そんなバカな話はない。もちろん実際に自民党に票を入れて、結果が出たのち「こんなに勝つなら入れなきゃ良かった」なんて思ってる本物のバカも、自分は投票にすら行かないで結果だけ知ってぬけぬけとぬかしとる本物のバカ以上のバカも、いることはいるでしょうが、それは世論調査とは無関係です。私がバカバカしいというのは、メディアが、自分が言いたいことを独善にしないために、80%のカラクリを作り上げてるということです。

 まず第一に、というかこれがほとんどなんですが、あの結果(議席数とか数字は忘れましたが)を見せられて「勝ちすぎか」と問われれば、大抵の人は「それはそうだ」と答えるに決まっている。その結果を初めから知ったうえで、しゃあしゃあと質問している。その結果を記事に載せて、ほら見ろみんなそう思ってるんだっていうことを読者に読ませて、再びその意識を植え付けるわけだが、今度のは「勝ち過ぎか?」「それはそうだ」と(いう単純な感想とは)違って、自分たちの都合の良いように意識を改竄させている。早い話が思想統制です。

 話はそれますが、前から申し上げているように、私は右翼です。首相の靖国参拝大賛成です。しかし自民党に票を入れたことはない。私のような思想をもつ人間が主流であることは危険だと考えるからです。民主主義は現段階で理想的な国家形態とされていますが、それは国民各人の不断の努力が不可欠の前提です。よく「自分の好きな人に投票すれば良い」といいますが、厳密にはそれは間違いだと思います。自分が(感情的に)譲れない思考と、理性的に思考(志向)する国家形態が同じだなんてことは、まあ少数ではないでしょうか。たとえば、毎日休みの世の中を作ると言って、政策や公約を掲げた候補者が現れても、勝てないでしょう。ところがその理性と感情の垣根をとっぱらって分からなくしてしまうものがある。それは宗教です。かくして宗教団体の一部である政党が固定票を得て与党に居座る。タブロイド紙のノリで言えば、日本は宗教国家だとなります。

 生きている限り、他からの刺激を受け、それに(程度の差はあれ)思考は影響を受ける。損保21のCMを見たら「見っなおそーう見なおそう♪」とハモりたくなるわけです。あれ、21だったか24だったか。LG21だったか18だったかがお送りしました。

 この先のループだかスパイラルだかに付き合う
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2006年02月12日

分類分けすること

 左にあるカテゴリ欄を一新しました。ついでにプロフィールの邦楽の趣味も更改(4回目)しました(友人の中には邦楽と聞くだけで鼻で笑う奴も少なくないが、探せばまだまだ良いのはあると思う。第一自分はミーハーだし)。

 分類分けについて、自分で設定する「カテゴリ」以外に、ブログ自体にも「ジャンル(分け)」というのがあるのですが、たくさんのジャンルが用意されているにも関わらず、自分の記事は(趣味で書く音楽や小説について以外の)ほとんどがどれにも当てはまらなくて、最近では放棄しています。ジャンル分けは宣伝のためであって強制ではないので。
 それは自分で設定した「カテゴリ」でも同じことで、複数にわたる場合もたびたびあります。これもやはり強制ではないので、「全般」というカテゴリを一つ設けてそこへ全て放りこんでおけば済むことなのですが、読者のためとか、後で自分が見たときの便宜のためとかより(実際カテゴリを利用する読者はきわめて少ない)も、使いこなしたい機能であると自分が考えるから、どうしても拘ってしまいます。

 小説でも音楽でも、ジャンル分けというメディア側の便宜にノセられて安易に手を出すのは好きじゃないし、それに甘えている作品も(基本的に)嫌いです。ミステリーや時代小説を好まない一因でもあります。「本格」という接頭語がいけない。どだい無能だし、集団でオナニーごっこをしてるようにしか見えないから。
 しかし、そのことと自分で自分の書いた記事をカテゴライズできないことは無関係です。たとえ日常の思いつきの切り取りの寄せ集めであっても、100集めてそれがてんでばらばらというような恣意的な人生には興味がない。そういうのは行き当たりばったりとはいわない(と思う)。

 表面に現れているテーマについて素直にジャンル分けすべきか、自分が取り組んでいるテーマに沿って分けるべきか。もちろん記事の出来にも左右されます。後者の場合、自分の無能をジャンル分けでフォローするなんて真似はしたくないですしね。

 最近の記事では「ホラー映画の限界」や「人という字は……」なんかが、かなり未消化ですね。どうも調子がよろしくない。
posted by LG18 at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

やる気あんのか

 私が本屋で働く理由は、(自分の興味に関わらず)より多くの情報が得られると考えたからです。実際思ったほど多くの有益な情報が得られるわけではありませんでしたが、考えてるほど何も得られていないわけでもありません。マガジンで連載中の人気漫画「KYO」の単行本に限定版が出ますが、ウチには入ってこないだろうとか。書き下ろしイラストが30点にものぼるそうなので、欲しい方は本屋よりもアニ○イトとかに行った方が手に入りますよ。
 といった具合です。

1.今日はスキを見て「ちゃお」(3月号)を読みきりの漫画を一つだけ読みました。「私だけの王子様」というタイトルも控えられました。
 顔がみな同じ、ハンサムな5つ子のうちの一人に恋した主人公が誰に恋したのかを探り当てていくうち、5人の顔だけでなく個性に気付くという、娯楽より教育が重要視された内容で、それはそれとして、作品としてみても(最後まで恋した相手が明らかにならない点など)、まあ目がデカすぎる以外特に不足は無いんですが・・・。

 「無感心」じゃねえ、「無関心」だ。(出てくるのは2箇所で、どちらも誤り)

 単なる誤植だと言ってしまえばそれまでですが、誰が読むのか。そのためにわざわざそんな話を描かせてんじゃないのか。お前らが作品に対して無関心なんじゃないのか。ちゃんと仕事しろよ少学館の編集部さんよ。

 どこか間違ってましたかね?

2.仕事終わってのち、文藝春秋(芥川賞受賞作)を立ち読みしました。まずは最初の5行。くだらない。頑張って斜め読み。何も来ない。めくってもめくっても、味がない。
 何かのオビで宮本輝の書評が紹介されていて、働いていた人にしか描けないものが随所に光ってるとか何とか。オビだからホメ言葉なんだろうなと思ってみましたが、落ちついて考えるとかなり苦し紛れで、取りたてて良いところもないけど、敢えて言えば、みたいな言葉を前に置くとしっくりくるような書評です。つまりそうだったんだと思います(さらに、その程度の言葉しかオビに載せられなかったということでもある)。
 見れば見るほど全く面白くないので、いったい何のつもりでこれを選んだのかと選者の書評を見てみると、全然説得的な書評が見当たらない。奥歯に物が挟まったような物言いだったり、憚りもなく付和雷同を公言したり。爺さんは一人好き勝手なこと書いてるし。
 「(該当作が)無いなら無いと、そう言えば良いじゃないか」
 「いやいやそういうわけにはいかないんでございまして、是非ともですね、この中からですね」
 実にくだらない。

 文章が上手いのは確かです(上手いというよりキレイと言った方が適確か)。賞を獲るほどかは分かりませんが、少なくとも私(素人)が描くよりは遥かに上手い。でもその素人に「だからなんだ」「それがどうした」と思わせてしまうのはどうなんでしょう。好み(価値観)の問題といえばそれまでですが、あまりに中身が無さすぎて、社割がきくにも関わらず買いませんでした。中身を読んでついに買わなかったのは今回が初めてです。

 まあ、何回かに一回はこういう作品ありますけどね。

2006年02月05日

合コンで大人気の新ゲームを紹介

 「御館様ゲーム」

 基本的なルールは王様ゲームと同じですが、やや複雑ですのできっちり読んで、ルールをきっちりマスターしましょう! これで彼氏(彼女)をゲットだぜ!

 用意するもの:くじ二組(男性用と女性用)・(刃渡りの)長い刃物(日本刀が望ましい)・(刃渡りの)短い刃物(脇差サイズで)・短い刃物を置く台(正月に鏡餅を置く台がベスト)

 遊ぶ場所:なるべく広い部屋。20畳くらいあれば十分かと。

 ルール:男性、女性それぞれ別のくじを引きます。各くじにはそれぞれ当たりが一本のみあり、男のあたりくじを「御館様」、女のあたりくじを「奥方様」とします。ハズレくじには全て番号が振ってあります(女のはずれくじには番号を振る必要はありません)。
 御館様は、好きな番号に命令することができます(ここまでは王様ゲームと同じです)。ただし、命令は、暗殺(決闘)・切腹・介錯に限られます。例えば、「1番が2番を暗殺しろ」と命令した場合、1番が長刀を、2番が短刀を持ってどちらかが死ぬまで殺し合いが行われます。「3番が切腹、4番が介錯」の場合、台の上に短刀を置いてつつがなく儀式を進行させるといった具合です。
 最後の一人生き残った男が(真の)御館様としてその場に残った女を全てものにできるという、いわゆる一夫多妻制(従わない女は全員処刑)なんですが、ただくじを引き当てれば良いだけじゃないかと呆れるのはまだ早い。

 もちろん、殺されるのに黙って従う人間はいません。そこで、謀反の機会が与えられます。
 <例外ルール1・謀反>
 男はくじを引いた後、部屋の端に一列に並びます。奥方様の合図で、あたりくじを引いた男のみが部屋の反対の隅に置かれた長刀を取りに走りだすことができます。残りの男たちは、最初の合図から3秒後、御館様の暴挙を妨げるべく走ることができます。御館様が長刀を掴めなかった場合、謀反成立で即斬首で次のゲームに入るか、それとも長刀を手にした者が御館様として命令できるか(この場合御館様だけ身元が割れてるから不利である)は事前に決めておいてください。酒が回って走れない場合、誰が御館様を引き当てたかを当てる頭脳戦に切り替えても良いでしょう。
 なお、3秒が守られたかどうかは、女全員の多数決のみにより判断されます。同数の場合は奥方様の票を2つ数えます。これにより最も合理的な判断が下されることでしょう。

 女もゲームに参加できないと面白くありませんよね。
 <例外ルール2・奥方様の諌言および追死>
 奥方様を引き当てた女は、御館様の下した命令に不服がある場合、それを表明することができます。
 「お待ち下さいませ、御館様」
 「なんじゃ、○○(下の名前呼び捨て)」
 「それはなりませぬ」
 「お主、このわしに逆らうと言うか」
 「もし止めないと仰るなら、わらわも××様にお供致します」
 御館様は命令を撤回し権利を放棄するか、命令を執行し女を追死させるかを選択します。

 ――といった具合です。このゲームが終わった時には血の海の中ベストカップル(か三角関係か共存共栄か)が誕生していることでしょう。めでたしめでたし。

 そんなバカげたゲームを誰がやるかってお思いの方。短慮、短慮。以下の記事を読んでみてください。

 <集団自殺? 部屋が血の海 大阪・ミナミ>
 4日深夜、大阪市浪速区宗右衛門町にあるスナック「ヒカリ」で、二階の和室から男女複数の悲鳴が響き、駆けつけた店員が男女複数が倒れ、部屋が血まみれになっているのを発見し、警察に通報した。警察のこれまでの調べによると、男性3人女性1人が部屋で死亡、仲間のうち男2人は窓から逃走したとみられている。現場に残っていた女性4人は警察に保護されたが、極めて重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっているとみられ、警察は、4人の症状が回復するのを待って事情を聴く方針である。
 なお、4人のうちの1人は、「えるじー」という言葉を断続的に呟いており、警察は逃げた男2人の行方を追うとともに、事件との関連について調べを進めている。

 どうも失敗でしたか。タイトルに「50年後」とつけるのを忘れたのは。

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2006年02月04日

商品はナマモノにつき本日中にお召し上がりください

 術師「ヒューザーの小嶋社長って、村西とおるに似てるよな」
 LG「はっはっはっ! それヒドイじゃないですか」
 術師「いや、顔も喋り方とか動作も全く一緒やで」

 注:村西とおるというのは、AV業界の小室哲哉みたいなもんです。

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posted by LG18 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月03日

ホラー映画の限界について

 何の話って、これは(私にとっては)恋愛の話なんですが。

 純粋に娯楽と興行から考えたとき、ホラー映画で売り出すということは、怖いと思わせてなんぼだということです。日本の場合なら幽霊の類(キーワードは「呪い」)か、あるいは機械が意思を持って人間を追い詰めるというパターンもポピュラーです。何についてもあてはまることですが、手法がありきたりか斬新かということは、話題ではあっても本質ではない。オバケがはいずり回るだけの映画であっても、それが怖い(面白い)と思わせるものであるなら、ホラー(コメディ)映画としてまずは十分です。

 なんですが、怖いと思わせることには限界があるということを思いました。すなわち、死に対する恐怖を越える恐怖は、まあ無いでしょう。実際、死を一切取り扱わないホラー映画というのは、聞いた事がない(むろん観たこともない)。それは「怖い話」でも大抵は当てはまります(たまに耳を削ぐだけとかいうものもありますが、それは恐怖というよりもっぱらグロテスクに訴えていると思われる)。
 その理屈からいえば、瀕死の人間や、あるいは悟りを開くなどして死に対する恐怖が取り払われた人がホラー映画を観ても、退屈極まりないということになりますが、それはひとまずおいといて。

 初めから限界が(観念ではあれ)あるというのは、どうにもやりづらいように思われます。タネの割れてる手品とまでは言いませんが、ヒットが出にくい理由は、苦手な人は観ないという以外にもあるようです。

 私は死にかけのおばあちゃんを2回見ましたが、まあ「リング」の方が怖かったです。(小説を出た当時に読んで、それを最大限怖くなるような環境にして怖がって楽しんで、それからしばらく経って映画版を母と二人で家のテレビで観たんですが、これが大して怖くもなくてガッカリして、終わって「なんやしょうもなかったなあ」って言って母がテレビを消した直後に電話が鳴って、一瞬母と目を見合わせた、という、観てない人には何のことだかわからん話ですが)
 一口に死といっても、死に方や年齢その他、諸々の状況によって恐怖の度合いが大きく違います。他人事かそうでないかという違い(つまり作品の場合、惹きこませられるか)も勿論大きいです。しかし、一番恐怖を感じさせるために重要なことは、生の死や観念の死、つまり自分たちが現実に掴める(あるいは掴んだつもりになれる)死を越える死を描けるかどうかなのだと思います。

 幽霊がよく用いられるのは、存在が判然としないからですが、仲良くできるのであればこれは全く恐ろしくない(私は根本的にそう考えるから幽霊がはいずり回る映像を見せられてもあまり恐ろしくないのですが)。そこで幽霊は敵役と決まっているのですが、幽霊がナイフを持って追いかけてきてもやはりイマイチ恐ろしくない。なんだか判然としない方法で殺される方が、頭で理解できないことと身に迫る危険が増大することで恐ろしい、てなわけで「呪い(殺す)」ということになる。

 うーん。やはり限界があるかと。次やれることといったら映像に工夫を凝らして臨場感を持たせることぐらいですが、そんなことはそちらでやっていただかなくても、観てる側だって怖くなきゃ面白くないんだから一生懸命入りこもうとしてるんで、それだけで解決するほどの要素ではないです。次はグロテスクに訴えて、次は倫理に訴えて……小難しいこと言ったってどうせわかんないしなあ。

 天国のイメージは曖昧だが、地獄のイメージは鮮明で、バリエーションも豊富だとよく言われますが、幅はあっても高さ(限界)が決まってるというか、鮮明なのが逆効果というか。

 例えば合コンで「恋バナ」っていってこんな話したとしても、それはそれは興ざめでしょうけども。
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2006年02月01日

捉え方の問題

 「三人で宿屋へ泊まりましてね」
 「いつの話」
 「解り易い様に簡単な数字で云いますけどね、払いが三十円だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、つけに添えて帳場へ持って行かせたら」
 蕁麻疹を掻きながら聞いていた。
 「帳場でサアヴィスだと云うので五円まけてくれたのです。それを女中が三人の所へ持って来る途中で、その中を二円胡麻化しましてね、三円だけ返して来ました」
 「それで」
 「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあったのです。十円出した所へ一円戻ってきたから、一人分の負担は九円です」
 「それがどうした」
 「九円ずつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆て二十九円、一円足りないじゃありませんか」
 蕁麻疹を押さえた儘、考えて見たがよく解らない。

 「阿房列車」内田百間著(ちくま文庫)より抜粋
(解いていただくために書いた問題ではありませんので、適当に読み流して先へ進んでください。)

 吉井和哉の新曲、「BEAUTIFUL」を聴きました。
 私がつゆどんを初めてはや10ヶ月、未だに表現できないでいることを、41/3(よんかさんぶんのいち)分で表現されてしまいました。

 orz

 否、そうではない。私が20云年かけて表現できなかったことを、この人は30云年かけて表現しているのだ。まだ負けとは決まっていない(負けって何だ、負けって)。

 *念のため断っておきますが、歌詞についてではありません。ですので、ライナーを読んでも得られるものはありません。うたです。(41/3分とか30云年というのはそういう意味です)

 ノロケに付き合う
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