2006年05月14日

やはり愛は裏腹か

 だだだ誰ですかブリーチ22巻のゲタ帽子萌えの話かなんて思う奴は。
 ……たまにはこれくらい強引な切り口も良いかなと。LG18ですこんばんわ。

 えーと、昨日の話の続きですけどね。例えば好きかどうかとか面倒な話は抜きにして、力任せに女を犯したとして、それによって愛が芽生えたり、相手に惚れられたりということがあるとします。化学反応が起こっている最中のこの状態を(恋ではなく)愛と呼ぶなら、反応を起こし続けない限り、愛は途絶えることになります。

 私は、メロドラマを観て涙流すような女とは正反対の立ち位置にいると思ってますが、だからこそ逆にというのか、できることなら愛は死ぬまで途絶えないでいる方が良いと思っています(くどいようだが、恋ではない)。それが可能という前提で話を進めるなら、それは母性愛とか、兄弟愛とかであって、相手は恋人より同胞であると思います。そこではむしろ化学反応は無かったり、有ったにしても極めて単調で、無いのと同義だったり、ということになると思います。

 こういった視点から昨日の話をみると、化学反応が起きる状態にありながら、反応自体は起こらない(起こさない)という歪(エロ)さを描いたものだと言えます。下にも書きますが、純粋に禁忌に掻き立てられた恋愛小説(「春の雪」。もちろんこれは長編の一部でしかないから、恋愛小説という括りは全くいい加減なものだが)と比べて熱の質が全く異なるのは当然のことです。

 愛は燃え盛る炎のようにとは良く言ったもので、瞬間最大風速のような概念の方が、少なくとも恋愛における愛については本来的であるように思います。そこでは背徳が媚薬となり、駄目だとなると惹きつけられ、いよいよ魅せられるということになる。当然、長持ちはしない。
 逆に、長続きしているカップルを見て恋人というより兄弟みたいだと感じた経験がありますが、環境の変化などであっけなく切れたりする。それは本当は兄弟ではないからで、刺激に脆いところがある。
 ともかく、同じ愛といっても正反対と言って良いくらいに質が違う。これを並列に論じて「あなたは愛を誓いますか」「誓います」なんて言ったって、単なるセレモニーにしかなり得ない。ましてや日本にはキリスト教が根付いてるわけでもない(結果、愛という言葉に対する共通の認識が薄い)し、ナンセンスを通り越して滑稽だというべきです。私は化学反応に本来的に興味がないから分からないが、身も溶ける恋愛の渦中にある二人はそれが永遠に続くものと信じて疑わない、みたいですね(私の考えでは男は気ぃ遣って女にノリを合わせてるだけのことですけどね)。

 明日生きられるか分からないとなれば必死で生きると言われるのと同じように、危機感や嫉妬を焚き付けたり、背徳や禁忌を犯してこそ、最高の恋愛が楽しめるということでしょう。
 平凡な結論ですけどね。
posted by LG18 at 04:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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