2006年07月27日

名誉であることも確かだが……

 正露丸「図柄が異な」るとして請求棄却。→詳細

 どうなんでしょう。
 イヤ、8月に入ったらどうせ人が死ぬ話しかしないだろうし、今のうちに違う話をしておこうとか、あるいは、たまに訴訟の記事を読むと「そういや俺もかつてこんな勉強をしてたんだっけなぁ」と、急速に薄れていく記憶を懐かしく思い起こす、その一環で記事書いてるところがありますけども。

 コレは似てる(混同する)だろう。どう見たって。
 裁判所の論理では「@正露丸が各社似通っているのは今に始まったことではないから、ラッパのマークまで確認して初めて区別がつけられる Aラッパとひょうたんは別物だから、似てない。以上」ということのようです(@でパッケージの類似性を無視し、Aでマークについて形式的に切っている)が。
 問題は、それを原告が受け入れなければならない立場にあるのか、ということです。

 原告からすれば、名称の同一その他諸々の類似性(薬のビンのデザイン、薬自体の同一性)を敢えて我慢して、今回は腹に据えかねて、というところだったと思います。
 一方裁判所は、私の憶測では今回の請求を容認してしまうと、判例に反する(私の記憶では今回が初めてではない、はず)ということ。さらには勢いづいた原告が次々と訴え出して収拾がつかなくなると考えたのだと思います。
 ちなみに・・・裁判(とくに民事)は、実務においては筋や理屈よりも背景の事情や後の影響力の方が重視されがちである。とりわけ判例は絶対である。その証拠に、今回の要旨も「ラッパとひょうたんだから別物」という、およそ的外れな論理を用いているが、もちろんこれはわざととぼけているのである。つまり、ラッパとひょうたんは別だなんてことは始めから誰もがわかっていることであって、そんなことを尋ねるために裁判をやってるんじゃない。
 今回は法人同士の紛争なので、直接的には会社の利益のために争っているわけです。しかし、「正露丸といえばひょうたん印の――」なんていう人は聞いたことがなく、原告としては消費者が求めるものを正確に供給する義務を負っているという、社会的正義も担いでいることも確かです。もちろん、ひょうたん印の薬を出すことはそれ自体違法ではないが、あのパッケージは消費者を混同させる意図のもとに作られていることが明らかです(だから消費者が訴えれば勝てるかもしれない)。
 実際に混同するかどうかという点が争点ならば、混同しない(と考えられる)ならばどこまで類似しても問題ではないということになるが、混同させようとする意図に違法性があるという切り口でいけば、今回のは間違いなくアウトになる。

 いよいよ憶測でものを言いますが、正露丸の類似品が出回り始めた頃は、まだ消費者保護の意識が低かった(というより、無かった)から、はじめに訴えた頃は門前払いに近かったのだろう。それで負けが判例で確立されてから消費者保護とか企業倫理とかが謳われ出して、今回のケースはそれから行ったら確実にひっかかるけど、でも今に始まったことじゃないでしょ、みたいな流れじゃなかろうか。

 でも、そろそろ勝たせてあげないと、「ラッパとクラリネットは別物」「トランペットとトロンボーンは別物」「ラッパではなくスポットライトだから別物」「大幸薬品と大辛薬品は別会社」……キリがなくなるよ。

 私も腹が弱く、「偽物」を飲みますが、それは安いから。本物の方がよく効きますよ。やっぱり
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2006年07月25日

サマーバケーション

 13:53、長堀橋の交差点から南森町に向って50mほど手前の信号付近で私の財布を拾ってくださった方、ありがとうございました。私は財布を拾ってもらった場合、中身の半分(下限3千円)を謝礼に差し上げることにしています。今日は1万5千円入っていたので、どうぞ、謝礼を受け取りに来てください。明日昼14時、場所はJR新大阪駅の東口を出てすぐのところにあるパチンコ屋の前で待ってます。

 ――などと書いて取り囲まれてもことなので加えておくと、拾ってくれた人はヒューズ中佐似(分からない人には大江千里似)のカッコ良いお兄さんと、笑顔が大塚愛に似ている感じの良いお姉さんの二人組です。御礼の気持ちを込めて良く言っておきました
 さて、「夏休みは計画立てよう」なんですが(強引なネタ振りだ)、友人と海水浴にいく計画は悪天候により、UA×菊地成孔のコンサートはチケットが取れなくて、それぞれ断念せざるを得ない。今年の夏休みは5日しかないというのに。

 十把一絡げで二段ベッドでカレーでも夏休み。どこでも良いからどっか行きてぇ。夜中3時まで「東京フレンズ」観てる場合じゃないぞ。
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2006年07月24日

ラストラン

 今日はバイト最後の勤務日となりました。
 あまり多くの人に言うつもりはなかった(人の多い職場だし仕事以外の話をしない人がほとんどだから)のですが、(全然私の事情を知らずに)冗談半分で「就職決まりました?」と聞いてきた人がいて、決まりましたと答えるとかなり驚いていました。色々聞かれて俄かに親しくなりましたが、それも今日で終わりです。最近入ってきた人は珍しく馬が合いそうで良い雰囲気だったんですが、やはり終わりです。えてしてそういうものです。
 LG「就職が決まったんで、今日でここは終わりです。短い間でしたが、お世話になりました」
 人「ああ、ほんまにぃ! おめでとう! ……せやなぁ。ホントに短い間やったなあ……」
 いつもいつまでもめげずにマメに丹念に飽きることなく叱ってくれた上司である道Fから、最後に「がんばれよ」と言ってもらいました。ありきたりな一言ですが、普段聞くことの無い声で言ってくれました。

 良い雰囲気で終わりました。なんだかんだ言っても一年分の鬱屈の精算日ですからね。
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2006年07月21日

親戚付き合い

 突然ですが、ダンナの弟が気持ち悪いです。
 結婚するまでは見てみぬ振りをしていたんだけど、おめでたになってからいよいよ私を見る目がいやらしくなってきて。
 ちょっと溜まってるのかなと思って、「彼女はいるの?」「今まで付き合ったことあるの?」と聞いてみたんだけど、「そんなことがあなたに関係あるんですか?」だって。お前がキモい目で見てくるから敬遠しつつフォローしてんじゃねぇかバカが。気を遣って「気になるわー」とか鼻声出したってんのに、「僕の個人的な事情について詮索しないで下さい」やって。とりあえずそのメガネとそのメガネにかかってる前髪とそのメガネを上げる仕草とそのメガネを上げるときの鼻息が気色悪過ぎるから近づかないで欲しい。

 ダンナは良い人なんだけど、このメガネは寒気がするし、かといってダンナに言うわけにもいかないし……。そのうちガツン! と言ってやろうとか思うんだけどね……まだしばらくは我慢するしかないかな。

 そりゃね? 他人のことだから分からないけど、私見た目で人を判断するのとか好きじゃないんだけど、だけど、あれは絶対女とか知らない。手を触れたこともないよ。怖すぎるもん。部屋とかフィギィアだらけだよ。怖いのは、頭ん中だけで世界を作ってるからだよ。めくるめく夢の世界に生きてんだよ現実は脂汗まみれのくせに。妙にスカしてるつもりでいるところがまたどうしようもなく気持ち悪い。

 こないだ雑誌で「オタクの対処法・撃退法」っていうのがあったから、それ見たら大丈夫かなあ? 多分世のオタクとほとんど変わらないと思うんだけどね。
 あーあ。親戚付き合いなんてめんどくさい。義理だろうが何だろうが、あんなのが弟なんて私は絶対認めないから。前髪とメガネと鼻息と、ついでだから顔全部入れ替えて、生まれ変わって来いっての。

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2006年07月20日

強制イベント

 今更ですが、兄の嫁と馬が合いません。
 結婚するまでは無関係を貫いていたけど、新婚旅行ベイビーを子宮に孕ませて時折自宅に現れるようになっては、そういうわけにもいきません。
 私の個人的なことを根堀り葉掘り聞くので、うざったくなって「うるさい」というようなことを言うと、「軽く流しとけば良いのに」と言われました。それができれば苦労は無い。
 思えば、自分が選んでいない女と口を利くのは初めて、です。一度きりの飲み会であれば、ドン引きさせることも食いつかせることも思いのままですが、この関係は継続することを前提に考えないといけないし、兄にも流れる話だからいい加減なことも言えない。「親戚付き合い」には不慣れな都会人LG18ですこんばんわ。PCを買った友人がネットも引くと言ってるので、適当に記事を更新しておかないと義理が立たない。
 「個人的なこと」「食いつかせること」というのは恋愛の話です。特に、過去の話にも食いつく心理が理解できない。私自身は恋とも愛とも思ってないけども、もしもきっちり文章に描き切れたとしたら、(恋愛)小説として売れるくらいの経験はあります。だけどそれがなんだって言うんでしょうね。たとえば心から愛していた人が若くして悲運の死を遂げたとか、その類の(不幸な)ことは大抵の大人は経験してるだろうに、それを物語に仕立てあげて……酒の肴にすら値しない。

 自身の糧になると盲信しながら癒えない生傷を引きずって、次の旗を目指す。私には「失恋」の経験はありませんが、物語に成り下がった経験ならこちらから願い下げです。

 兄嫁については、世の大半の女と何ら異なるところはないから、好かんのは割りきって対処法を探すのが賢明でしょうな。

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2006年07月17日

おまつり

 10世紀後半になると、都市住民の間で、災害や疫病の原因は特定の個人の怨霊によるもではなく、漠然とした怨霊のためと理解されるようになったようです。そのため街から怨霊を追い出し、鎮魂するために「御霊会」が行われ、「御霊神社」が建てられるようになりました。祇園祭(祇園御霊会)もその一つで、970年より始まっています。

 今日がピークらしいですが、勿論行ったことありません。祇園祭。
 祭りへも行かずに何をしているかといえば、それなりに身内でつつましく祝ってもらっております。連日飲み会。飲み会を開いてくれて、「おめでとう!」と乾杯してもらえるのはありがたいが、勘定まで持ってくれることはなく、おかげで結構な出費です。電車賃を惜しんで自転車を10キロ以上も「飲酒運転」で飛ばして帰って(これがまた爽快で止められん)、あくる朝はバイトで早起き。いやいや私もまだまだ若い。

 不遇な時期が長かったんだから、祭りが終わるまではこれくらい良いでしょうよ。ねえ巨人さん。
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2006年07月15日

そりゃあ私にだって

 中田英寿の引退に伴って、インタビューやらメッセージやらをよく耳にします。私はこれまでとくに興味が無かったので、彼が言っていることの中身を知らなかった。でもそれは意図して聞いていなかった、つまり「伝わってこなかった」ということが、言動を聞いていて分かりました。中田の真似して「旅行しようと思います」とかコメントするヒマ人LG18ですこんばんわ。博多とかいいかも。

 私に限らず、同じサッカー選手の中にも伝わらない人がいるそうですが、その原因は何でしょう? 伝わる力(=伝達力、とでもしておきましょうか)は、発信力と受信力の合計であることは明らかです。発信者(話し手や書き手など)があーうー言うてたら伝わるものも伝わりませんし、受信者(聞き手や読み手など)の方で興味がないとか、能力が足りないとか、その他何らかの障害があれば、やはり伝わらない。
 中田の場合は頭が良いから、受信者の方が理解できていないのだろう、というのが一般的な見解(イメージというか偏見というか)のように思われます。でも私が聞いた限りでは、そうではない。

 喋り方に問題がある。

 公式サイトのメッセージを読む限りでは、ほとんど抵抗なく受信することができる(それはもちろん、他人に作為を求める度合いが少ないからでもあるが)。ところが、インタビュー等で聞くと、「ああ、この喋り方で精神論を指示・強要されたら退くなあ」と。
 断っておきますが、中田が悪いと言いたいわけではありません。伝わらないというのは発信者と受信者のミスマッチ、つまり双方に原因があるというのが私の考え方です。どちらか一方が悪いという発想は、短絡的過ぎる。現に伝わっている選手だっているわけですし。
 主張としてはごくシンプルです。「もっと全力でやれ。それでもプロか。怪我とかビビってんじゃねえ。怖いなら辞めりゃ良い。」この内容が理解できない大人は、残念ながらプロサッカー選手としてはとてもやっていけない。受け入れられるかどうかの問題です。主張自体は非常にもっともである(から私個人は基本的に賛同している)が、例えば、自分は常に全力でやっていると信じて疑わない選手がいたとすれば、これは無視するしかない。これは中田からすれば「伝わらなかった」となる。そこでひとつキーになるのが「言い方」です。
 ものはいいようとも言われるように、同じ内容であっても言い方ひとつで伝達力はまったく変わってきます。もちろん受け手はそれぞれ別個の人間だから、一概に「伝わり易い言い方」の模範があるわけではありませんが。
 ただ(少なくとも関西の人には分かってもらえると思うんですが)、あの話され方は、すごく人を見下したような物腰に見える(口調もそうだが、目が特に気に食わん)。その気がないということは、今回多くの言動に触れて分かりましたが、それは私が枠の外の人間であるからで、中にいて、しかも直接言われたら、どうでしょう。宮本とかは本当に偉いと思いますよ。私は。

 先に書いた内容と矛盾するように思われるかもしれませんが、伝わらなかった結果に対する「責任」は、原則として発信者にあると思います。要するに何とかして伝えるか、あきらめるか。
 中田氏が分かっていないとは考えられませんが、伝わらない伝わらないというばかりでは、状況は悪化こそすれ改善しません。W杯が終わって、一連の言動を振り返って、本当に伝えたい人間の態度だったのかどうか、再度検討しても良いんじゃないか。誰にだって言い分はあるんだ。相手の「誇り」にも配慮してはどうか。決して媚びへつらえと言うわけではないけど、あんな上司だったら会社辞めるよ。
 そう思うのは私だけでしょうか。

2006年07月12日

次は無いものと思え

 特に書くこともないので今日は生まれ変わりの話なんぞしてみたいと思います。別に宗教に走りかかってるとか、そういうわけではないのでご安心ください。"自称"「信仰宗教」教祖のぇりG18ですこんばんわ。教義は……何だったっけ。とりあえず火の用心。

 「前世からの御導きに違いない」だの「生まれ変わっても、また、一緒になろうね」(「また」という言葉は誤りだと思うのは私だけか)だの、生まれ変わり(輪廻)の信仰は、この狭い日本においては、宗教の気配を帯びず、無意識の信仰として、広く強く根付いています。
 また一方では、(生まれ変わりの信仰などは)死の恐怖から目をそらす為の子供騙しの信仰に過ぎないとして、生まれ変わりなどない、死んだらそれきりだと言いきる識者も少なくないわけですが。この点について、生まれ変わってきたという人間がでてこない以上、どちらも証明する手立てはなく、水掛け論で終わってしまいます。私個人の信仰としては、もし輪廻があるとすれば、死んだら再び全く同じ人生を生きる、という、かなりSFチックな幻想があります。本気で信じてるという話ではなく(ともあれ世界が一つしかないという考えは驕りだと思うが)、日々精進するための一つのツールです。

 本を読まない友人に三島の「豊饒の海」の話をしていたらそんな話になりまして。
 友「生まれ変わりを自覚するためにはやはり前世の記憶が必要だろう」
 私「それはそうだ」
 友「オレの場合、そうなったら、前世より手を抜くだろうな」
 私「なぜ」
 友「前はあれぐらいでこれぐらいの人生だったから、じゃあサボったらどれぐらいなるかな、とか」
 私「逆はないのか?」
 友「今より頑張るってことか? それは有り得ないな」
 私「どうして?」
 友「それこそ、できるんなら今やれって話やん」
 私「なるほど。オレの場合、今の記憶があったら、次はもっと消極的な生き方をするだろうな」
 友「というと?」
 私「もうこんなしんどい人生はいらん(笑)」
 どうやら同じ結論に達した様です。

 歴史を踏まえても、相も変わらず同じ事を繰り返すのは性のようですが、自身の記憶として残れば生き方は変わるでしょうか。友人が言うほど「深いテーマだ」との自覚は私にはありませんが、いずれにせよ、あまり変わらないような気がします。私個人の信仰をなぞる論理になりましたが。

2006年07月09日

練らなくても美味しいイベリコ豚

 ともあれ健康診断に格別の異常がない限り就職が決まったということで、お祝いに家族で近くの(安くて美味だと)評判のフランス料理屋へ行きました。こっちがお望みのフルコース。血液検査も尿検査もナシでお値段は半額となっております。密かに美食家だと言いたいのかLG18よこんばんわ。松坂牛食うために松坂に行ったり(そういったノリは分かってもらえるとして)。

 メインディッシュ(肉)は仔牛フィレ肉のステーキか、プラス500円でイベリコ豚のロティかが選べるメニューになってまして。
 親A「仔牛のフィレ肉やなあ」
 18「儂はイベリコ豚が食べたい」
 親B「豚!? あんた牛はええんかいな!? なんでまた金払ってまで」
 前から名前だけは聞いてましたが、良い機会なんで食べてみようと思い、オーダーしました。

 前菜は(名前が)よく分からないから省略。美味いが量が少ないし、空腹だったのですぐに平らげた。
 スープは「お野菜のポタージュ」。見た目にかぼちゃが溶けた色で、飲むとまろやかで後口がすっきりしていて、かぼちゃ以外にも何か(私の勘では5種ぐらいは)溶けているのだろうけど、分からない。略、略。
 来ましたよ、イベリコ豚。イベリ子豚だと思っていたのも過去の話ですよ。切る、食う。

 ウマイ!! (ちゃーらっちゃらー!)

 あの魔女国分太一の気分を味わった気がしました。良く言われることですが、うまいものを食うと語彙がなくなる。あれは食べとくべきです(偉そうに)。親ABにも切り分けて差し上げました。

 店を出るときにお店のシェフの人が「どうでした?」と言って肉を見せてくれました。霜降りてる。「これは豚じゃないですよ、肉です」と言ってました。並の牛フィレ肉より高級だという意味なのか、いわゆる「豚」ではない(実際、肉の一部は火を通しきってなくて赤かった)という意味なのか、その両方なのか、それはわからなかったんですが。
 松坂牛(あれも牛じゃなかった)以来の衝撃でした。

 何か違和感を感じた方はこちらへ
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2006年07月07日

火星人の健康診断

 就職の内定が決まりまして、8月1日から働き始めることになりましたが、それにあたって健康診断書を出すように言われたので、今日病院へ行ってきました。
 病院へ行くのは半年前に自転車で転倒したとき(今記事を見たら10ヶ月以上前のことで驚いた。ちなみに傷はまだ派手に残っている)以来のことですが、その前は思い出せないほど昔のことで、内科に至っては記憶にある限りでは初めてか……いや、大学4年の学部試験前にカゼひいて、インフルエンザって診断書書いてもらって追試に逃れようとして病院へ駆けこんだことがあった(結局抗生物質渡されただけだった)。健康体というより極度の病院嫌いLG1-8ですこんばんわ。今4年ぶり2度目でマリオにハマってます。

 病院の受付で「胸打診のみのAコースなら¥2,000、胸部X線と心電図をプラスしたBコースで¥4,000、さらに尿検査と血液検査を加えたフルコースなら¥6,000、全額自費となりますので慎重にお選びください」と言われて、血は採られたくないなあと思いつつ内定先に電話入れて尋ねると、血ィとらなあかん(コレステロールがどうとか言っていたがいい加減に聞き流していた)ということだったので、フルコースでいきました。新卒の場合は大学の健康診断でいけるはずだが、血液検査はおろか心電図もとらないのに、妙な話だ。中途者が中古車に聞こえてくる。

 血ィ採られんのイヤなんすよ。というのも、子供の頃、オナニーを覚えたのが早すぎて、精子の代わりに血が出たもんだから、慌てて泌尿器科行ったんですけどね、今思えばヒドいヤブ医者だったと思うんですが、血液検査をするときになんぼやっても血管出てこないってんで、何をやられたかというと、「ちょっと目つぶっててね」と言われまして。目を閉じるや激痛が走り、目も歯も腕も必死で食いしばって耐えていたんですが、いつまで経っても止まないどころかむしろどんどん痛みが増すもんだから、ついに耐えかねて目を開いたんですよ。開かない方が良かった(この先苦手な方は目を閉じてスクロールしてください)。

 私の肘が、布だとすれば波縫い、鳥の皮だとすれば「かわ」状態(串刺し)。さらに――(まだ大丈夫? 書いてる私が痛いですが)。

 刺した針の先で(私の腕内部を)掻きまわし、血管を掻き出そうとしている(らしい)。
 
 それで、私が目を開けたのに気付くと同時に慌てふためいて針を抜きやがったんですよ。本当にヒドい話ですよ。
 そういう経験があるので、血ィとられんのはイヤなんすよ。

 そんなことを考えながら、採尿、身長体重計測、レントゲンと進んでいくわけですが。
 レントゲンについて、いつも思うことなんですが、撮る人というか、取り巻きの人間は部屋の外へ出ますよね。必ず。アレって、必ず出なきゃいけないほど危険なもの(放射線なわけだが)を出してるんじゃないんですか。だいたい、服の上から人の内部を写し出すんですよ。身体に良いわけないじゃないか。こっちは別に支障もないのに、そんなもん浴びせられたかないですよ。完全に無害だというなら、撮る人も同じ部屋に入ればいいじゃないか。

 その次は心電図だったんですが、そのときは何も聞かされずに、ただ「ここへ横になってください」というだけで、言われるままに横になると、手足を妙な機械へ繋いで、さらに胸に数カ所繋がれるわけです。笑いをこらえきれませんでした。

 LG「あっはっは、あっはっはっはっ」
 看護婦「!? 何がおかしいんですか?」
 LG「これが笑わずにいられるか。これが電極だったら、即死じゃないか。あっはっはっ。ここなら紙一枚でカタがつく。もし手落ちがあっても『医療ミス』で済むわけだ。なるほど、それで『医療ミス』と呼ぶわけか。しかし私は抵抗などせぬよ。好きなようにするが良い。私が今までしてきたことを思えば、当然の報いとも言えるからな。」
 看護婦「・・・(呆然)」
 LG「どうせなら、遠慮なく1万ボルトぐらいでやってくれ。金はカバンにつまっとるでな。節電死は勘弁してくれよ。あっはっはっ」

 ホント、病院って恐いですよ。何も言わずに、ただ自分たちがやっていることは治療(=正義)だと思いこんでますからね。たかが心電図ごときでとお思いになるか知れませんが。

 その次はいよいよフルコースに華を添える血抜き、もとい、血液検査ですよ。
 医者「あとは血液検査……と胸打診ね」
 LG「さあセクハラ親父! 優香(グラビアで売ってた当時)と同じバストの自慢の胸をとくと見るが良いわ!」
 たわ言はさておき、何度も同じ辺りを当てて、首傾げるのは止めて欲しい。非常に心配になるじゃないか。と思っていたら、キャスター付きの椅子を滑らせて私のレントゲン写真をしげしげを見る。おい!
 医者「これは? ×××?」
 看護婦「……(LG注:沈黙すんなよ!)。でも××××。×××」
 医者「×××か? ××」
 看護婦「××。はい」
 また胸に手を当てる。また首を傾げる。はっきりしろ!

 ¥6,000だと聞いていたのになぜか¥6,500を支払わされた後、結果はいつ出るか尋ねると、3・4日後だと言われた。
 (就活中の)面接の結果よりよほど気になる。

 それで血抜き、もとい(以下略)はどうなった?
posted by LG18 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

表現は孤独なのか?

 ようやくプロフィールの音楽欄を更新することができました。気にはなっていたんですが、新しい(好い)ものがないと、更新しようがないもので。

 それで思ったんですが、音楽ってコラボレーションに向いている表現形態ですよね。文章メディアでも、競作のミステリーとか連歌とか「冷静と情熱のあいだ」とか(三段落ちのつもりなんでよろしく)、ないわけではないが、音楽に比べると華がないような気がします。企画の域を越えないというか。川端康成と三島由紀夫の往復書簡といわれても「資料」の匂いがしますしねえ(別に本人達が公表を前提にしてたとも思えないし)。

 音楽で表現されるハーモニーだけが複数の人間で奏でられる、と言うと抵抗を感じるのですが。

 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて にんじんのえじき
 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや にんじんのはらわた
 (以上2首「個人的な生活」森本平著 より。副題はアタック・オブ・ザ・キラー・キャロット)「トマト」の記事はこちら(リンク先「『珍』の煮こごり」様)

 コラボどころか本歌取り(技法)ですらない(と私は思う)。読んで反射的に笑うんだが、どう面白いのかはまるで分からない。それから時間をおいて読むと、上の句などは(自分が(啄木に)より親しみを感じるからだろうが)なんとなく伝わった気が起こってくる。それがまた恐いんだけど。
posted by LG18 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

業の深い

 橋本龍太郎元首相が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈り致します。

 今回は死に際とかを考える契機になりました(年齢と知名度と気まぐれによる)。とはいえ最重要事項ですからね。結局のところ、最後がすべてになるわけですから、自然なことです。
 私は橋龍のことを何一つ知らないわけですが、客観的にみて、下り坂の死に際であった。首相に就任時、景気が回復せず、嫌味な物言いをするキャラクターと相俟って、目先の利しか見ない国民から疎まれ、自ら非を認めるも同情は得られず、選挙に敗れ、さらに悪者のレッテルが定着し、最後は1億円献金発覚でとどめを刺され、自らの政治生命を絶たれた、と。私の理解ではそんなところです。
 別の見方をすれば、7奉行と称され、閣僚を歴任し、与党最大派閥の最高権力者となって(あのゲームなら統制力96)、ついには総理大臣にまで上り詰めたのだから、一人の人間の人生としては最上級だとも言えます。最後の失脚も波乱万丈の人生の一部と見れば、先の見方に拠るほど惨めな最期とも言えない。

 ともあれ一番大事なことは、本人がどう思っているか、です。周りの人間なんて、言いたいこと言わしときゃいい(という理屈で言いたいこと言ってるLG18ですこんばんわ)。私が下り坂の人生であったとする周知の客観を敢えて指摘したのは、やはり本人が失意のうちにあったのではないか、という憶測からのものです。

 自分の死は一度しかありません。当然死に際というのも一度しか訪れません。自分の死に際をより良くするために学べる余地があるとすれば、せいぜい他人の死について、勝手な憶測を広げるくらいしかない。
 近い未来を快適に過ごす自信(見通し)はたっても、死に際に満足できるというのは容易ではないだろう。不幸であればもとより、幸福であっても執着がありますからな。それも幸福の度合いに比例して執着も強くなるという。
 やはりせいぜい先延ばしするしかないか。せいぜい。
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