2006年08月31日

夏休みは短い

 今こそ声を大にして言える。夏休みは短い。

 夏休みがあった頃は言(って聞いてもら)える立場に無いし、大学の頃は毎日が休みだし、卒業してバイトを始めた時は発売日で一ヶ月を把握したけどそういう感想は抱かなかった。

 入社日が8/1で一ヶ月を少しでも感傷的に受け取ろうとしているのはあるだろう(それでも8/31も9/1も気にしてるヒマはなかった)し、忙しくて時の流れにかまってられないのもあるし、まあいろいろあるんだけども――

 とりあえず夏休みは短い。

 関係ないけど
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2006年08月28日

はじめての霊柩車(とその世界)

 おつかいじゃあるまいし、初めて乗ったときはもう最期だっつうの。LG18ですこんばんわ。

 霊柩車に乗りました(仕事で)。感想はただひとつ、「リンカーンは乗り心地が良い」これに尽きる。比べれば帰りの軽ワゴンの揺れで酔いそうになりました。社内では「柩車」と略すのですが、私にとっては「厩舎」にしか変換されないし、これは変わらないと思います。余談。

 火葬場へ着くまで霊柩車の運転手と話していて悟ったことは、「偏見は儲かる」という真理でした。話は入社前の面接に遡ります。

 面接官「この業界には偏見も根強く残ってますが、そういう業界へ進む理由を聞かせてください」
 LG「私自身そういった偏見はありませんし、これから死に対する負のイメージを取り除くことによって、ビジネスチャンスは拓がるものと考えています。」
 (要するに将来性があるからだということを話しました。流れのなかの答えであって、それほどの理由ではないが、今それは関係無い)

 なんと甘ったれた発想か。本当に儲けたいなら人には疎まれ蔑まれ後ろ指さされるくらいの方が良いのだ。需要があがるということが即利益に繋がるとか、需要だけが将来性の指標となるとか、たいした意識もせず安易に需要を崇拝していたことが誤りであったと気付きました。

 運転手「そりゃ、昔はボロかった」
 どれくらい?
 運転手「チップだけで月5,60万あった」
 うわお。
 運転手「それだけで十分食っていけるわな」
 ですよね。
 運転手「もちろん給料もたくさんもらってたしな」
 なぜ?
 運転手「やっぱり偏見はあったから。『人が嫌がる仕事』ってね。今はあまりそういうのはないね。それに今はチップなんかまず無いし……」
 無いし?
 運転手「……給料も安いし、それでも若い子はどんどん入ってくるし。昔の甘みを知ってる人間としては、やっぱり辛いよなあ」

 偏見だけでなく、時代も多分に影響してのことと思われますが(ともかくも「部落(差別)がカネと結びついている」という新聞記事や論評よりも実感のレベルは違う)、いずれにせよそれだけ稼いでいたその人がなぜ今定年過ぎてまで働く必要があるのかは、ついに最後まで聞けませんでしたけども。
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2006年08月26日

談合族のその後

 まずはこちらをお読みください。

 (個人的には)痛みを伴う過去の記事ですが。
 あの当時、土木業界において談合が日常に行われていたのは事実です。報道されなかった分については、単に報道がされなかっただけのことです。

 それにしても、未だに報道されずにいるのは変だと思っていたら。
 今は談合をやってないんだそうですよ。橋に限っての話ですけども。

 正義が大好きな善良市民の皆様は、違法行為たる談合がなくなって良かったと思うかもしれませんが。
 落札率が5割を切り始めたそうです。

 LG「それはつまり、役所が言った値段の半分以下で工事するってこと?」
 業界人「そういうことだ」
 LG「ということは、殺し合いか」
 業「そうだ。今のところは、体力に任せてなりふり構わず」
 LG「殴り合いを」
 業「そう。」
 LG「しかし、そんなことをしてたら、まともなモノを作れなくなるじゃないか?」
 業「その通り。役所もそれを恐れてる」
 LG「アネハみたいなことが起こりうる、と」
 業「左様。でも、結局は役所は安いところに発注してる」
 それが落札の定義だから仕方ないだろう。
 LG「鉄骨が抜かれることにならないだろうか」
 業「実際のところ、時間の問題といわざるを得ないだろう」

 結局、方々に問題のあるモノが作られて、あるときにそれの一つで事故が起きて、犠牲者が出て、マスコミが騒ぎ始めて、それから初めて問題が発覚する、と。それまでスカスカの建造物が作られ続けると。解りやすく言えばこういう内容のことを業界人は仰っておりました。
 これを「週刊誌のタレコミにも劣る」と、あなたは笑うだろうか。

 談合は違法行為です。官と民が癒着すれば、企業努力は失われ、正当な競争が成り立たなくなる。しかし実際問題として、人が生きていくためにある程度、金は余裕を持たせて回さねばならない。それはあたかも表現の自由を完全に貫徹しなければ、たちどころに北朝鮮のような国家ができあがる危険が生じるという現実と同じことです。
 われわれ(葬儀社)だって、利益の出る額のまだ少し上を余分にもらってる。それは適法な契約だから(法的に)問題はないが、やはりそうやっていかないと人は生きていけない。
 それでも鉄骨を抜けばワルモノで、談合もワルモノ。それ自体正論であることは確かだが、そのときそのときに正論を振りかざすだけでメシ食ってる人達は、つねに正義なんだ。これは随分不公平な話じゃないか?

 バルタン星人は悪いことをする前から悪者だと決まっているんじゃないか? もう少し生産的な問題の解決法を考えた方が身のためだと思います。

2006年08月24日

届かないのは理由がある

 ジェンダー【gender】: 社会的、文化的に形成される男女の差異。男らしさ、女らしさといった言葉で表現されるもので、生物上の雌雄を示すセックスと区別される。

 ジェンダーフリーというのが、何度聞いても分かりません。
 テレビでおばさん達が、がなりたててる。
 両足をおっぴろげて、ツバ飛ばしてがなりたててる。
 「ジェンダーフリーを履き違えてる」と言われてる。
 やっぱりよくわからない。

 結局のところ、女性の社会進出の是否如何について述べたいだけのよう(に理解している)なので、それに絞ってコメントしますが。

 人には適性があると思います。@仕事をするのが向いている人、向いていない人(個人→社会の適性)。A社会で求められる人、求められない人(社会→個人の適性)。B仕事がしたい(好きな)人、したくない(嫌いな)人(個人の気持ちの問題)。適性というと@のみを取り上げることが多いが、ここでは@ないしB全てを適性と定義します。
 私はこの適性に沿って仕事をするかしないか選択するのが理想だと思います。勿論、経済的事情によって適性に関わらず社会へ駆り出される(私もそうだ)のが一般だが、個人個人がしたいようにできれば理想だと思う。その程度の意味で言ってます。
 恐らくジェンダーフリーを叫ぶ人達は、女性のAについての不遇を改善すべきということを主張したいのだと思います。それ自体は正論ですが、私が分からないというのは、主張する人達がその点だけを主張していることの理由が分からない、ということです。

 たとえば、論者の多くは女性の社会進出をヒステリックに促すわけだが、ジェンダーフリーの発想は、「女なんだから家にいろ」という考えを否定するのが本来であって、「女であっても社会へ出るべきだ」という積極的な(というより強制的な)働きかけとは関係がない。まずそれがわかっていないように思えてならない。
 ジェンダーフリーの着地点は、女であっても社会進出を自由に選択できるという点であって、女性の社会進出が実質義務化されれば、それはアンジェンダーとでも言うべきものであって、針が逆に触れただけで何も改善されてはいない。
 そうはいっても、男が働くのは実質義務に近いもので、その反動として女性の社会進出が抑圧されている(側面がある)んだ。それを打破するためには女性の社会進出を今の男の状態と近いものにしなければならない。そうすれば男女の地位が対等になって……とでも言うのだろう。なんと短絡的でヒステリックな論理か。

 何度も言うように、ジェンダーフリー(あんた達が言ってるんだぞ、全く)というのは、男も女も同じように、自分の人生の選択として社会進出を自由にできるのが着地点だろう。ならば、女性が自由に社会進出を選択できるようにするためには、男性もまた、本当の意味で自由に社会進出を選択できるようにすることが必要じゃないのか。
 働く女性が増えれば必然的に人が余って、吐き出される者は男になるから、それでバランスが取れるように傾いていく、なんて馬鹿なことをいってはいけない。ホームレスも自殺者も、男の方が多いんだ。それは男が「生きてる限り働かなければならない」という枷を強いられるからだ。この精神的なものを取り払う努力をしなければ、ジェンダーフリーは達成されないだろう。

 ジェンダーフリーというのは、本来の形で達成されれば、男にとっても荷が降りて有益なものである。(今まで虐げられていた)女のために男は耐えろ、という発想は、単に感情的な復讐であって、将来に何も残しはしない。
 そういうものの見方をしないばかりか、理解する素振りすらまるで見せないから、「ジェンダーフリーを言い訳に――」といわれてしまうのだ。男だろうが女だろうが、社会に出たくない人はいるのだし、それを社会が受け入れることの重要性(つまり、40年前頃、30歳過ぎて結婚しない女性を非難してたのが現在失われたのと同様に、30過ぎても働いていない男性を(経済的視点は別としても、社会的視点から)非難しないということの重要性)を見落としてはならない。本当に達成したいと思うならね。

 そもそも、ジェンダーフリーという言葉を女性(というか自分個人)の社会進出に限定して使っている時点で、既に意味は違っているし、達成できるはずもないと思うよ。

 参考記事@
 参考記事A
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2006年08月23日

社会人 20%

 私は勤め始めて20日余りになりますが、勤めてから1滴の酒も飲んでいません。要するに、新歓はおろか誰一人誘ってくれる人がいないということです。私の兄は社内接待の餌食になって、度々夜遅く帰っては延々愚痴をこぼしていた(今は結婚しているから別所帯で愚痴っている)が、全く無いというのもそれはそれで寂しいものです。その意味でも社会人になりきれていないLG18ですこんばんわ。まあ若い人が中心の職場だし、そんなものかもしれませんが。

 とはいえ、やはり自分の意識は違います。たとえば玉突きをしていても、学生の頃は適当な時間潰しという面があったのですが、今は、むしろ以前よりも時間潰しの意味合いが強いにも関わらず、練習に気合いが入っています。一人で打つからかもしれません(もともと一人で行動するのは苦手なんだが、今は時間の合う仲間がいない)が、なんとなく、「良い大人が『適当に時間潰し』なんてガラじゃねえだろ。やっぱりそれなりに打ってないとみっともない」という気はします。

 研修中の現時点においては、仕事に特に充実感を感じているわけではありません。やたらに社会人を意識するのは、そのへんの埋め合わせもあるかもしれない。勉強していた頃は逃げ出してばかりいたけど、逆に言えば今は逃げ出したくなるほどの苦境にあるわけではなく、一抹の物足りなさを感じているところはあるかもしれない。こういった意識が2、3年経っても消えないようならさらなる苦境を目指すべきでしょうが、今はまだ見極めるには早すぎるから、余った情熱は玉突きにでも持っていくしかない、とでも思っているのかもしれない。

 いつか目当ての女のコの前でカッコイイとこ見せられたらと(俗っぽいこと)も思わないではないですが、そこへ行くまでにはまだまだ。それと、学生時代に何度も経験したことですが、世の女の子はほとんどビリヤードのことをまるで知らない(から見所も知らない)。はっきり言って、カラオケ(それも「いまどき」の曲)を練習しておく方が得策なんですが。私はそこまで妥協できるような人間ではないので。
posted by LG18 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

本日も一首

 「食う豆は数えの年だ」切り札を切れないままで貯めてるつもり

 今日も弁解

2006年08月21日

本日の一首

 エスカレーターを昇る二人がキスをする せいぜい昇りきるまでのこと

 自らする解説は弁解という

2006年08月20日

だからその手を離して

 人「『ルナルナ』って何か意味があるのか?」
 LG「訳すと『狂狂』だわな」
 人「は?」
 LG「ルナはlunaだから、狂人(lunacy)の略だろう」

 人「……調べたら、ルナってのは月の神の名前らしいけど?」
 じゃあそれで構わんよ。面倒くせえ。

 私自身こだわりがあるわけでもないし、解釈は一通りでないのだから誰がどのように考えようと頓着はしません。聞かれたから思っていることを答えただけのことです。
 しかし、「君」とあるから人(格)であるとか、狂気という観念は(日常生活のレベルで)到底受け入れられないとか、なんで勝手に世界を狭くしたり、その狭い世界を押しつけたりするのか。自分の頭で理解できないことなんて世の中にいくらでもあるだろうのに。

 歌ぐらいなら無視することも難くないが。

 参考記事1
 参考記事2

2006年08月19日

感動と勘定のあいだ

 高校野球も佳境に入ってきたので、私も応援歌を捧げて時流に乗りたいと思います。

 ドピュッと一発! やってみよーうよ〜
 三回犯してー 「三連覇」〜ぁ〜♪

 私は「高校生同士の野球の全国大会」は応援する(純粋な試合としては評価する)が、「甲子園」とか「高校野球」とかは嫌いです。改善の余地ありとして提言したいことは、大会すべてから大人を排除すること。まずは監督(指導者)から。ヨボヨボの爺さんがガタイの良い丸坊主を何人もコキ使っているのを見てると、帝国陸軍に思えてしょうがない。
 最後は審判から大会運営者まで。大体、組織ぐるみで高校生にぶら下がって金獲ろうなんて魂胆が腐ってる。

 全てを高校生でやりなさい。できないのならしなくて良い。

2006年08月15日

申し訳

 今月はマメにブログを更新するつもりだったのですが、熱を出して三日三晩寝こんでおりました。

 始めのうちは、「休みだってどうせヒマだ」とか「この機会に痩せよう」とか不純なことを考えておったのですが、勤勉に寝ているにも関わらず一向に治る気配がなく、いい加減イヤになって、クスリに手を出してしまいました(お父さま、お母さま、僕は緑の風になります)。巷でもよく言われている、半分は得体の知れない、もう半分は得体の知れない「やましさ」、もとい、「やさしさ」でできている、アレです。通称「B」です。

 薬で治す発熱なんて。
 ――私はこの夏もまた、痩せ損ないました。
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2006年08月11日

ナムアミダブツも唱えたくなる

 所詮入社十日のウブの新人は、机に向かってお勉強の日々なんですが、今日初めてお客様の死に顔を見ました。

 ひきました。情けない。

 自分に縁故の無い人間の死に顔を見るのは初めての経験です。これから死ぬほど見ることになるわけですが。
 でまあ、式にも何度か立ち合って、思いもよらなかった感情が自分に芽生えていることに気付きました。

 自分が死ぬなんて露ほども思っていない。

 言葉で説明できないんですが、理屈で言えば、他人の死に触れることがより自分の身に迫る意識を遠ざけるというか。かぎかっこ付きの他人事に業務として接しているというか。どだい70、80の老人ばかりだしなあ。

 でも、厳密には少し違うのですな。自分はどこかでわかっている。分かっていて、保身のために、意識しないようにしているのだと思う。死をも恐れぬ青年が、俄かに怖じ気づいて凡人になりさがったというような形態ではなく、破れかぶれの蛮勇(それは恐れていることにすら気付かずにいたのかもしれない)では敵わぬことを自覚し、いずれは恐怖を内に抱えつつ、傍において受け流す境地へ至る第一歩だと、かように思いたいわけで御座いますが。

 死ぬまでに達成できるだろうか。
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2006年08月10日

恥を知れ

 この国はどうなるんだろうか、という言葉にもはや力は感じられなくて、逆に自堕落な腐臭すら立ち昇りますが、そういう想いは無駄ではないと思います。「最後まで、希望を捨てちゃいかん」神々妙々LG18ですこんばんわ。そんな言葉はありません。

 今から三、四十年前は、日本各地で学生運動が起こっていました。方向性ややり方に問題があり、暴徒も少なくなかったとはいえ、国を憂う気持ち、とまで言えなくても、自分個人の矮小な欲求のため以外に使うエネルギーに満ちていたということは言えると思います。私には国家論は分からないし、対象は国に限る必要はない。ただ、自分の持てる力を自分(の利潤)以外の為の、もっと大きな対象に振り絞ろうという気概が足りない気がします。それは例えばブログ一つとってもそうなんですけども

 もちろん、地球規模の視点でものを考えて日々を過ごしている人や、まっとうなボランティア活動を行っている人もたくさんいる。でも、それらの気炎が高まって、社会的影響を及ぼす規模にまではなっていない。
 なんでもかんでもこの世の全てが金がらみ。私が見てきた日本はそうだ。地獄の沙汰も、というのなら――。若者はパチンコジャラジャラ、メイド萌え萌え。燃えもしない油だけをその腹にでっぷりとため込んで。

 殺すに値する政治家がいないことが確かだとしても、それが豚のような生活を送る理由にはなるまい。もっとも情けないことは、かくいう自分もふくれた腹を抱え口を拭うことしかできんことですがね。親(の生きた時代)の脛をかじって。
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2006年08月09日

とりあえず向いているらしい

 佐藤隆様 享年49 死因:落馬による頭蓋骨骨折および脳内出血 謹んでご冥福をお祈り致します。

 今日は仕事が早く終わったので、一人でミナミの玉突き場に行きました。
 カテゴリに趣味の枠で設けてはいますが、私はビリヤードが上手くありません。というより、全くの素人です。
 仕事帰りでマイキューがないから、さらにひどい。それでも一時間600円(以降30分ごとに300円)でそれなりに楽しめるのだから、コーヒー飲むほど落ちつきはなく、パチンコほど金がかかららず、ネットカフェほどヲタでもなく、ちょうどかなと思います。

 趣味と言えば、仕事場で読書の趣味が非常に近い人を見つけました。10分足らずで交わし合った情報に基づいてその人の趣味を表にすると。

 太宰:☆
 梶井・織田作・川端:◎
 谷崎・ドストエフスキイ:○
 三島・村上龍:−
 村上春樹:△
 志賀直哉(「暗夜行路」を除く)・泉鏡花:×
 海外作品は原則読まない←日本語から先に読め。

 いかにも国文って感じの、分かり易い趣味には違いないんですが、私から言えばそれは乱暴な括りであって、ミーハーとたぎるような情念とくたびれた紙ヤスリのような感覚とがコーヒーみたいにブレンドされたチープな趣味は、いそうでいない。
 第一、まさか社会へ出て本の話で、しかも鍵カッコ付きの文学作品の中身の話ができるとは思いませんでした。本屋に勤めていてもそんな奴はいなかった。

 海外作品を読まない点について、「翻訳で良いやん」と第三者が言ったときに、「それじゃ作品を読んだことにならんねん」って声揃いました。その前に「海外作品は読む?」と聞かれて「イヤ、読まないんですよ」と答えたところ、同意されましたが、自分が読む作品を聞かずに読まない作品について尋ねるあたりのひねくれ具合も似てると思いました。
 もっとも、ここまで似てる人間とはそれほど気が合わないと思います。私は自分みたいなタイプの人間は好きじゃないので。

 一時間ちょうどでビリヤード場を出たら、900円請求されて、出てからレシートを見たら、利用代金一時間600円に加えてテーブルチャージ300円とありました。
 一瞬カチンときましたが、金持ち、もとい、社会人ケンカせず。梅田のビリヤード場は汚いくせにうるさくて高いから好きじゃない。

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2006年08月07日

狂っているのはお互い様だ

 高橋清晃様 享年80 死因:肺炎 謹んでご冥福をお祈り致します。

 プロフィールの音楽欄はほったらかしなんですが、「cure jazz」聴いてます。ジャズを聴く(ことに抵抗を覚えない)人間は私の周りには少ないのですが、能うかぎり勧めていたときに起こったことを少し。

 人「なんか良い音楽はないか」
 LG「今のお勧めはこれだ」CDをかける
 人「……こんなオシャレなのはいらんねん」
 ちょっと待て。何がどう「オシャレ」なんだ。
 そういうことがあったということを、CDと共にジャズ研に在籍していた友人に話したところ。

 友「まあ、オシャレだろう」
 LG「お前まで(馬鹿なことを)! 何が? どう?」
 友「そりゃまあ、オシャレな喫茶店とかショットバーに流れてそうなのが(オシャレの基準だろう)」
 ちょっと耳を疑いましたが。

 ジャズというのは、まともな神経で奏でられるものではない。それはロックが年寄りにはできないというのと同じくらい、明らかなことだと思っていた。ジャズだからオシャレという発想は、私はジャズという音楽形式とは無関係だと言っているのと同じではないだろうか。
 私自身ジャズに関しては全くの素人で、何も知らないに等しい。感覚だけで聴いているようなものだからめったなことを言えないが……
 どだいジャズというのは、他の音楽形式に比べれば軟体動物のように定型がない。メロディすらほとんど定まっていない。秩序や体裁といったものから無縁な形式だ(ジャズにはジャズの秩序があるといっても、それはいわば新興宗教の教義と変わらない)。コードという背骨一本でなんとか立っていられる。形式としてはそうである(その分感覚に拠るところが大きいから知識は必要ないというのが私の論理である)。そんな代物がまともな神経で奏でられるものだろうか。考えれば分かることだ。

 「ジャズというのは狂気の音楽である。あんな狂った音楽を聴いていたら頭がおかしくなる。狂人なんかに構っていられない。」私は、世の中でジャズを敬遠する人は大抵こんな風に考えているものとばかり思っていた(それなら問題無い)。「オシャレだから自分には合わない」という発想は、同じ敬遠でも正反対だ。本質を雰囲気ですら掴めないまま奉るというのは、恐ろしいことだと思う。それとも、狂気という言葉を知らないから、オシャレという言葉を代わりに使っているだけなんだろうか。いずれにしても、それが狂気だ。私にとっては。

 ジャズに限らず、狂気はそこかしこにある。ただ気をつけなければならないのは、狂気というのはあくまで相対的な評価であるということだ。狂っているのは対象の方か、自分の方かは2分の1の確率だ(狂っている人間が狂っていることをしても自覚するきっかけがない←狂気に触れたとき、両方が狂っているということはほとんどない)。だから基本的に、自分にとっての狂気はそばに置いておかなければならない(意識する必要もなく、狂気の方から常にやってきてもらえますけどね。例えば昨日書いた、定刻通りに葬式が終わるとか)。私がジャズに触れるのは娯楽としての狂気であって、厳密にこのスタンスではないが、狂気の存在意義を見誤ってはならない。

 「狂っている人間は、『自分は狂ってなんかいない』というものです。」名言というよりは定着した感の強い言葉だが、他人事と捉えていたら――

 大変なことになりますよ。

2006年08月05日

初仕事(2)

 溝口ハツ江様 享年84 死因:前立腺癌(肝臓に転移) 謹んでご冥福をお祈り致します。

 私は人の死に際してみだりに涙を流すのは愚行だ(自分が悲しむことが死者を悼むことではない)という考えを持っていて、比較的近しい人を亡くしたときもやはり涙を流すことはしませんでした。そんな人間が業務上他人である人の死に接して気をつけたことといえば、もっぱら壁にもたれて誤って部屋の電気のスイッチを切らないことだけだったのですが、いざ現場に出て驚いたことは。

 時間が計ったように1時間ちょうどであったこと。

 イヤ、計ってるんですけどね(笑) それにしても寸分の狂いもなく事が運ぶのを目の当たりにすると、また職員がそれを当然のこととして受け流しているところに触れると(それがごく自然だということが頭では理解できるが)、抵抗を感じずにはおれません。言うても人の子LG18ですこんばんわ。

 人が死んだと聞かされて悲しむ。布団に横たわっていた遺体が棺に収められて悲しむ。出棺の前に棺を開いて悲しむ。焼かれる前に火葬場で悲しむ。骨拾って帰ってきて初七日をやるとすでに大方過去の人になっている。今までの経験と「段取り」が全て同じで、他人のことながら本当に悲しんでいるのか怪しいものです。

 生き残る側の理屈であるということを当然の前提として、若くして人を亡くすのは不幸だといわれますが、もっと不幸なのは年をとってから人を亡くすことです。私は臆病だから死に損なう気がするのですが、時間引っ張って葬儀社や火葬場を困らせる骨のある知己に見送られたいものです。
 大切な人は、命と引き換えであっても自分が見送る側でありたいものだが。
posted by LG18 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 仕事の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月03日

大人の階段 3%

 三つ目の口内炎は、できてません。
 その代わり、靴づれができました。

 ――とリアルにくだらんことを書き連ねていても仕方がないので、一筆。

 昨日、亀田興毅の試合をテレビで観ました。1Rから最終Rまで、1秒たりとも目を離さず。
 なんてことを書かなきゃいけないのが情けないですが。

 私は試合を観おえた後、非常に僅差だが興毅の勝ちだと判定しました。ただジャッジが何をもってポイントとしているかは不明な点もあるので、実際の判定が出たときは納得というより安堵(亀田が勝ったことに、ではなく、私の観た限りでの正確な判定を下してくれたことに対して)の気持ちが強かったです。

 さて、驚いたことに翌朝職場で囁かれるには、97%の人間があの試合の判定はおかしいという。TBSに抗議が5万件とか6万件とか。テレビでも口だけしかないような人間がいい加減なことを。全くもって馬鹿馬鹿しい。

 抗議や文句を(公的に)垂れる人たちへ、まず始めに言っておきたいことは、お前らそんなにボクシングを観る眼があるのかということ。普段からボクシングを観てるのか。名城戦は観たか、日本タイトルは、3回戦は定期的に観てるか。あの試合に限っても、最初から最後まで眼も離さず観たのか。冷静に振り返ってみたか。
 プロの審判に対してそこまでものを言うなら、そのくらいは当然だと思いませんか。観もせずにものを言うような人間は無責任です。当たり前だ。

 観たという方に改めて問いますが、あれは「絶対に」どちらかの勝ちだ、と言い切れるような試合だったか。失礼な言い方だが、素人でなければそうはいえないことは誰でもわかります。その意味では亀田が負けでも誤りとはいえない。しかし反対に、勝ちだからと言って抗議するようなことにもならない。

 私は昨日の試合まで、亀田(兄弟)の試合は全て八百長だと思ってました。確かにガードは高いが、口でいう1割の実力もないと。世界タイトル戦でバケの皮がはがれるから、醜いKO負けを見てやろうと思ってました。
 案の定、1Rからダウンを喫したのでやっぱりな、と思っておったんですが。

 (素人も含めて)亀田の負けだという人は、恐らく私と同じように、程度の差はあれ亀田の実力に不信を抱いているという前提で、1Rと11、12Rで判断しているのだと思います。確かに終盤の2Rもポイントは取られていた。しかし、中盤は完全に亀田ペースだった(文句を言う人のほとんどはこれが分かっていない)。特に8、9Rは(相手は老獪だったから、観慣れた人でないと分からないだろうが)ボディーで相当ダメージを与えて、相手はあきらかに逃げていた。ロープに詰めてラッシュをかけたのも2度3度あった。昔のようにダウンを絶対的につけるポイントでないので、最終ラウンド次第だな、と思ったら、亀田が持ちなおして互角だった。地の利を考慮すればあるいは……とも思ったが、後から振りかえったらあれは勝ち試合だったな、と。
 まあ負けていればそうは思わなかったかもしれないが、どっちにしても抗議が殺到するような内容ではなかった。亀田の精神力の強さが光った、良い試合だった。

 言うまでもなくその前後のパフォーマンスは到底見れたものじゃありませんが。名城ぐらいスパッと勝ってからでも遅くはないだろうし。まあ、嫌われるのも一つの才能なのかなと、参考にはなりますが。

2006年08月02日

大人の階段 2段目

 二つ目の口内炎ができました。
posted by LG18 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月01日

大人の階段 1段目

 半年(以上?)ぶりに口内炎ができました。
posted by LG18 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常・全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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