職場に一人、情緒不安定な人がいて、自分でも鬱だというようなことを言っているそうなんですが、やはりというのか、周囲の反応は冷淡なものです。職場が職場なだけに、心を病んでいる人には寛容かと思いきや、そう甘くはなかった。
本性を匿し通すつもりでいるLG18ですこんばんわ。
精神を病んでいる人が社会人として失格かどうかは、病状その他の程度の差もあり、杓子定規に決められないというのが私個人の見解です。しかし、歴史的な偏見を差し引いても、他人に理解され難い病気らしい。
LG「人間20年以上生きてきたら、皆それぞれにいろんなことがあったと思うんですよ」
聞き手「そりゃもちろんそうだろう」ここまでは問題無い。
LG「(あの人も)いろいろあるんじゃないんですかねえ」
聞き手「そりゃもちろんそうだろうけど……」
相手と言葉とタイミングを慎重に選んでも、大抵こんなものです。
かつて友人に、一人の人に対して、心底憎む気持ちと好きな気持ちを同時に抱いているという人がいて、(私は好きな人は好き、嫌いな人とは話もしないタイプだから)相反する感情を抱き続けて疲れないのか尋ねたことがあります。返事はよく覚えていないですが、やんわり否定されたような気がします。割りきれるなら割りきってるというような。
私は、私の前から姿を消した人達(=過去)のうちのごく一部、未だに割りきれずにいます。通常あまり無いような消え方もあれば、誰もが経験するような消え方もあります。切れずに残るものの共通点を考えると、後悔の念というか、自分を責める気持ちが比較的大きい。
「今まで(実に)いろいろあった」という人がほとんどですが、そのうちのほとんどの人は、私が見る限りでは、その「いろいろあった」過去の清算を終えている。精神を病んでいる人はそれができないからだ、というような単純なことではないが(私は病んでいないし)、発散できず、割りきれずに抱えこむことが不安定の一因となることは確かなんじゃないか。
ただし、私は不安定であることが必ずしもマイナスだとは思わない。下手な安定に乗っかって、気がつきゃ終わっているような、人生を動く歩道みたいに進むぐらいなら、好きで悩んで喘いで苦しんでる方が人間らしいと思う。結果終わりを待ちきれずに消えたとしても。
「なんで鬱なんかになるんか、分からんなあ」私だって分からない。発病した人にも分からない。誰にも分からない。
分からないことを否定せずに、受けて流せば済むだけじゃないか。どうせ代わってあげることはできないんだから。