2006年11月29日

記事が更新されない理由

 先日「無関心そのものの受け答えにいささか呆れた記憶があ」ると書いたが、何のことはない、かくいう自分も大抵のことを表現する気力が失せていることに気付いた。

 先々週の末くらいに、久しぶりの友人に会ったときのこと。
 友「なんで女の子の髪が長いかが分かった」
 LG「なんで?」
 友「もうちょっと考えろよ」
 LG「伸ばしたからだろう」あまりに投げやりな様子に、友人は笑っていた。
 友「『伸ばしたいから』じゃ理由にならん」
 LG「違う。『伸ばしたいから』じゃなくて、『伸ばしたから』だと言った」
 これはいけない。しかも友人に言われるまで、自覚すらなかった。

 就職活動してた頃は「何に対しても自分なりの見解をもち、かつ他人の価値観を否定せず慎重に検討する点」を「自分の長所」として挙げていた。現時点で思うことは(正しいかは別として)、自分なりの考えがなければ、他人の見解を検討吟味することはできないということ。叩き台(自分なりに「女の子が髪を伸ばす理由」を考えること)がなければ、肯定否定の基準すら立たない。

 いつから考えなくなったかを考えると、働き始めてしばらくしてからだ。働き始めて実に色々なことが見える様になった。たとえば、坊主と大学教授はなぜあんなにも大勢の前で、誰もが聞くに堪えないような話を長々とできるのか、とか。特段の意識を持たずとも、働いて数ヶ月で立ち居振舞いも変われば言葉を選ぶようにもなる(それでもまだまだ不足だが)。

 それらと自分の考えを持たなくなることの関連は解らない(あまり考える気が起こらない)が、このままでは「つゆどん」に記事を重ねることはできないし、それは現時点での私の望むところではない。
 学生時代、クラブのOBが飲み会で「社会にぶくぶくと潜っていって、何年か経って、ふたたび水面まで浮かび上がることができたら、良い作品が創れるんじゃないか」と言ったらしい。
 月2、3回の更新では続けているとは言えないが、いつかまたガシガシ書きたいと思う。誰もが呆れるようなくだらない記事ばかりを。それまで気長に待ちつつ応援していただければ、幸いに存じます。
posted by LG18 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月25日

逆転のドロップゴール

 最近、視野がいやに狭くていやになります。ないやゆうたら生き死にばっかり。生き死にばっかり書きたいから葬儀屋になったのか、葬儀屋やってるから生き死にばっかり書くのか。トンビが先かタカが先か。マイペースで行こうと思い立ったが吉日のLG18です。「81GL」という名のライバルを登場させようというアイデアが、もう半年以上ほったらかしですこんばんわ。

 困ったときは去年の記事、ってことで、晩御飯の献立に悩んだ母親が去年の家計簿を繰るようですが。去年、「正義の反対は『ギセイ』だ」とかいうまるで笑えないネタを書いてます。一年経って考えてみると、犠牲は正義の定義であるように思われます。最近のトピックスで言えば、いじめられたから救われるべき。復讐も一種の正義として認識されているように思われます。

 子供の頃の兄弟喧嘩で、しゃにむに振った平手が偶然兄の頬にクリーンヒットしたときの、兄の微笑みとそのあとの仕返しと言ったら。3倍返しのときは言うまでもなく、同じ仕返しを食らう場合でも、執拗に引っ張って刑を執行する形式で頬をはたく、そこへ至るまでの恐怖と罪悪感は、忘れられない。

 正義は悪(過失も含めた広い範囲の先制攻撃)の影にある。
 兄に子供が産まれたら、見えないところでラグビーボールのように蹴り飛ばしてやろう。
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2006年11月17日

葬儀屋が葬儀社でぼやく

 先日、子供の自殺が相次ぐことについて、報道が影響してるかどうか確たる根拠は無いと書きました。それは今も変わりませんが、事実上は有るというしかない。別にこの世に希望などは無いが流行で死にたくはないLG18ですこんばんわ。

 こないだは20時間勤務がありました。20時間勤務がある職場は今のご時世、そう珍しいことではないと思いますが、私の場合は20時間ずっと接客、それも差はあれテンパってる客ばかりです。まあ自分で選んだんですが。
 「自分の限界がどこまでかを知るために僕らは生きてるわけじゃない」と歌う歌が昔流行ってましたが、いかにも気を利かせたような、もっともらしい言葉の指すところは、当時分からなかったし、今も共有するところはない。ただ、(誰もが)仕事でなけりゃとてもできんようなことばかりを仕事でしてるわけだし、それは生きていくためだとなれば、生きてる限り限界ギリギリだということにはなる。

 葬儀屋をやっていてわかったことは、自分たちは、死に直面した人間の周囲にいる人間には向かい合っているが、死とは向かい合っていないということ。死はガラスケース越し、ショーウィンドウの向こう。百貨店のそれと同じで、そこにあってそこにない。

 まとまりのない記事になりましたが、仕事場から更新してるということでご勘弁を。
posted by LG18 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(1) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

生き延びる知恵

 あるとき知人に「紙幣って、改定するたびにどんどん安っぽく、薄っぺらになっていくなあ」と話を振ったところ、「使えりゃ何だって良いやん」と言われたことがあります。私の投げかけに対して肯定するでも否定するでもなく、話題を広げたり、あるいは転換しようという気もない、無関心そのものの受け答えにいささか呆れた記憶があります。

 今、いじめの問題が盛んに報道されていますが、一連の全てに関して、私は肯定も否定も抱かない。報道が煽ってると言ってみても根拠はない。あるいは、誰だって思い悩む時期はあるものだと十把一絡げに否定したところで、首を吊った、あるいは吊りかけた子供の心境が分かるわけではない。たとえ私が首吊り縄に手をかけたことが一度や二度でなかったとしても。

 長くてもたかだか十年我慢すれば、オフスプリングの「THE NOOSE」なんか思い出しながらアメリカっぽい(AMERICANA)なぁ、なんてバカなことを考えて傍観(無関心)を決め込んで、欲しいジュースぐらい好きに飲みながら行き帰りできるのになぁ、とは思いますが。

 どうせそう遠くない将来死ぬんだから、わざわざ死ぬこともあるまい。
 どうせ死にたい理由なんて、くだらないことに決まってるんだ。自分が考えるものだもの。
posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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