2005年12月31日

愛するべきは作者でなく作品

 私は誰かのファンというのはないし、(極めて近しい人間が売れる、というような特殊なケースでない限り)おそらくこれから先も誰かのファンになるということはないと思います。ここにいうファンとは、その人の創る作品に対する賞賛や賛同を超えて、その創り手個人の生き方やものの見方、考え方などを賞賛・賛同し、もしくはそれらと作品とを結びつけてああだこうだという人のことを指します。定義の正誤はどうでも良いので、とりあえず今回はそのつもりで読んでください。

 かつては私もそうでした。よくあるのが昔の文学者と呼ばれる人たちについてですね。いわく「羅生門」を書いた頃の芥川はうんぬんかんぬん。「人間失格」が太宰自身とかぶってるだのかぶってないだのと言った類のものです。今ではそういったものは愚の骨頂だと考えています。まあそれ(だけ)でメシ食ってる人も少なくないんであんまり触れないでおきますけども、一応自分自身の経験と、本人達がそう言っている(私の知っている範囲内で、私小説とは内なる私を表現することをいうとかいうことを芥川が、小説は思想書とは違う、みたいなことを三島がどこかで書いていた)ということ、という実地的なものを理由として挙げておきます。妥協の線として、「何某論」というのをLG18氏が書いたとして、それはLG18の作品であって、そこにテーマとして書かれている何某氏の作品ではない、というところでしょうか。

 だから私はYOSHI LOVINSONが吉井和哉になったからといって、別段何ということはない。ただこのブログの「好きな邦楽」欄が無駄に膨らむことへの危惧を除いては。ましてや世界一「天才」であふれてる音楽雑誌に書いてあることなんて、はじめから話半分にしか聞いていない。陳腐な解散劇をさらしたり名前をころころ変えたり、一連の表だった動きに不器用な生き方をみることはできるけど、それが作品にどう影響してるとかいうことには興味(を向ける価値)がない。ただ私にとって良い歌を出しつづけてくれればそれで良い。

 というわけで、来年もよろしく。
posted by LG18 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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