2006年02月03日

ホラー映画の限界について

 何の話って、これは(私にとっては)恋愛の話なんですが。

 純粋に娯楽と興行から考えたとき、ホラー映画で売り出すということは、怖いと思わせてなんぼだということです。日本の場合なら幽霊の類(キーワードは「呪い」)か、あるいは機械が意思を持って人間を追い詰めるというパターンもポピュラーです。何についてもあてはまることですが、手法がありきたりか斬新かということは、話題ではあっても本質ではない。オバケがはいずり回るだけの映画であっても、それが怖い(面白い)と思わせるものであるなら、ホラー(コメディ)映画としてまずは十分です。

 なんですが、怖いと思わせることには限界があるということを思いました。すなわち、死に対する恐怖を越える恐怖は、まあ無いでしょう。実際、死を一切取り扱わないホラー映画というのは、聞いた事がない(むろん観たこともない)。それは「怖い話」でも大抵は当てはまります(たまに耳を削ぐだけとかいうものもありますが、それは恐怖というよりもっぱらグロテスクに訴えていると思われる)。
 その理屈からいえば、瀕死の人間や、あるいは悟りを開くなどして死に対する恐怖が取り払われた人がホラー映画を観ても、退屈極まりないということになりますが、それはひとまずおいといて。

 初めから限界が(観念ではあれ)あるというのは、どうにもやりづらいように思われます。タネの割れてる手品とまでは言いませんが、ヒットが出にくい理由は、苦手な人は観ないという以外にもあるようです。

 私は死にかけのおばあちゃんを2回見ましたが、まあ「リング」の方が怖かったです。(小説を出た当時に読んで、それを最大限怖くなるような環境にして怖がって楽しんで、それからしばらく経って映画版を母と二人で家のテレビで観たんですが、これが大して怖くもなくてガッカリして、終わって「なんやしょうもなかったなあ」って言って母がテレビを消した直後に電話が鳴って、一瞬母と目を見合わせた、という、観てない人には何のことだかわからん話ですが)
 一口に死といっても、死に方や年齢その他、諸々の状況によって恐怖の度合いが大きく違います。他人事かそうでないかという違い(つまり作品の場合、惹きこませられるか)も勿論大きいです。しかし、一番恐怖を感じさせるために重要なことは、生の死や観念の死、つまり自分たちが現実に掴める(あるいは掴んだつもりになれる)死を越える死を描けるかどうかなのだと思います。

 幽霊がよく用いられるのは、存在が判然としないからですが、仲良くできるのであればこれは全く恐ろしくない(私は根本的にそう考えるから幽霊がはいずり回る映像を見せられてもあまり恐ろしくないのですが)。そこで幽霊は敵役と決まっているのですが、幽霊がナイフを持って追いかけてきてもやはりイマイチ恐ろしくない。なんだか判然としない方法で殺される方が、頭で理解できないことと身に迫る危険が増大することで恐ろしい、てなわけで「呪い(殺す)」ということになる。

 うーん。やはり限界があるかと。次やれることといったら映像に工夫を凝らして臨場感を持たせることぐらいですが、そんなことはそちらでやっていただかなくても、観てる側だって怖くなきゃ面白くないんだから一生懸命入りこもうとしてるんで、それだけで解決するほどの要素ではないです。次はグロテスクに訴えて、次は倫理に訴えて……小難しいこと言ったってどうせわかんないしなあ。

 天国のイメージは曖昧だが、地獄のイメージは鮮明で、バリエーションも豊富だとよく言われますが、幅はあっても高さ(限界)が決まってるというか、鮮明なのが逆効果というか。

 例えば合コンで「恋バナ」っていってこんな話したとしても、それはそれは興ざめでしょうけども。
  今回は枕にあたる文章がありませんでしたが、そうではなくて、枕だけで終わって、中身が無いんですよね。最近そんなのが多いので反省です。
posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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