2006年03月27日

「遊びは終わりだ」

 ●新会社法(5/1施行)のポイント

 ・有限会社がなくなり、取締役一人でも株式会社ができる。
 ・500万円以下なら、IT機器を現物出資しても調査が要らない。
 ・資本金1円でも起業できる。
 ・作成する計算書類が変わる
 ・合同会社という新しい会社もできる。

 「Forbs」という雑誌の見出しの丸写しです。そろそろ司法浪人というのが「ないこと」だったのではないかという疑惑が立証されそうな勢いのLG18幹事長ですこんばんわ。
 ブログ1周年を記念して「ザ・ベスト・オブ・つゆどん」でもやろうかと思っただけで何もしてません。せめてもの償いに、始めた頃に拘束していた書き方で書いてみました。

 さて、今やすっかり商法から遠ざかり(初めから遠(疎)かった)、見出しをみてもピンときません。一人(いちにん)会社は有限でなくても設立できたと思う(この見出しでは有限でなければならないと読める)し、1円起業もできたように思います。この「思う」というのが駄目で、答案なんかではまず論外です。
 ぶっちゃけ関係ないんですけどね。ブログだからっていうんじゃなくて、新商法が(どうであろうと)。

 私は懲りずにもう一度だけ試験を受けますが、失敗した場合、おそらく法律に(ほとんど)無関係の職に就くことになるでしょう。そしたら新商法どころか、今まで覚えた法知識は全て趣味の域を越えない。これは私個人や法律学に限ったことではなく、客観的に見て、大卒でも文系ならほとんどの人がそうだと言って良いでしょう。
 ではそうなったとき、大学時代に勉強したことは無意味だったのかというと、そうではない。「遊んで過ごしたけど、それは無駄ではない」というやつです。

 法律を学び始めた頃は、ひとつの土地を何人もに売れるだとか、ある相手には主張できる権利が別の誰かには主張できないとかいうことが理解できなかった。なぜかというと、それまではただ一つ、頂点にある「正解」に辿りつくという思考だけをひたすら繰り返していたから(だと思う)。自分はどこかでそれを受け入れられなかったから、「人生の目的はただ一つ」といわれたとき、その先を聴くことなく(仏教)サークルを去った。
 結局モノにはならなかったけど、価値基準が相対的であるという特徴を帯びた法律を学んだことは、以後のものの考え方、ひいては生き方に大きく反映された。非常に不安定な時期を招いたりしたけど、むしろ本望だったし、今考えれば当たり前のことだと思う。

 父も兄も理系だが、やっぱり頂点目指して走ってる感じがする。それはそれで堅くないとできないことだと思うけど、見てて息苦しい感じは否めない。
 前にも書いたことだが、法律(学)はそもそも人間の手で始まったものである。抗えない自然の原理や、万物に通用する法則などといった絶対的なものは無い。それが逆に難しいところでもあるが、生き方としてはそっちの方が近いと感じたから、(動機がなかったにもかかわらず)法律学に自然に打ちこめたのだと思う。

 法律学は文系の中で理系に最も近い学問体系だと言われることがあるが、それは進み方(手段)の点であって、ベクトル(目的)の点ではない。常人には理解できない数式を用いるのは「神の所業」(と、文系の私は一言で片付けてしまうが)に近付くためであり、他人を黙らせるためではない。

 ――ということも参考にしながら、これからの大学生活頑張ってくださいねなどと付け足したところでただ私事をつらつら書いてるだけであることは何ら変わらない。つまり、自身で当たってみないことには分からない。でなければ極端な話、流行歌のひとつで世界平和が訪れることになる。

 どうにもこうにも型にはめないと落ちつかないのは生まれつきです。

  (恋)愛にこだわるのは、そういうスタンスです。


posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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