2006年04月25日

最も危険な日常

 私はほとんどテレビを見ないですが、今日はJR西日本の脱線事故から1年というので特集が数多く組まれていたことでしょう。すなわち、忘れてはいけないということをマスコミが騒ぐ。被害者やその遺族が和解に応じていないというのも、ひとつにはそれもあるでしょう。過去に社会問題となった公害も、今では「四大公害」なんて言い方はしないそうですね。しないというよりさせないと言った方が良いかもしれない。和解に応じると、なかったこととしてもみ消されてしまう。

 阪神大震災にしても去年の脱線事故にしても、私は比較的近いところに住んでいるから、その意味での経験として忘れることはないでしょう(地震のときはかなり揺れたけれども)。でももし遠くに住んでたら、まず無関係だと思っているでしょう。正直なところ。皆がそうだなんて無責任なことは言えませんが、まあ多数の人は似たりよったりだと思います。でなければマスコミが正義面しても歯牙にもかけ(られ)ない。

 忘れないということは重要なことだと思います。ただ忘れないだけではしょうがないですが、他人にできることの限界を考えれば、無下にはできないだろうというのが私の考えです。だから、今回の報道や特集を一概に非難するつもりはありません。ただ、明日になってチェルノブイリの原発事故から20年だという報道が、どのくらいの規模でなされるかが不安です。

 チェルノブイリの原発事故は、私の知る限り人類史上最悪の人的災害です。広島に落とされた原爆の700発分とも言われてますが、正確な被害の規模は未だ明らかにされていないような有様です。私個人の見解(憶測)ですが、WHOが死者9千人と発表してますが、確実に1万人を超えていると思います。この事故については明日、繁華街へでも出ていって、一日中スピーカーで訴えるぐらいの価値があると思います(私はやりません)けどね。
 原子力発電っていうのは、それほど危険なものなんだ。「二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーとして、注目されています」(関西電力CM)なんて、馬鹿言っちゃいけない。危険性はおろか、放射性廃棄物という、非常にダーティな副産物出まくりなことすら一言も触れないで。

 なかには日本の原発がときおり起こす事故ぐらいだとしか思ってなかったりする(もちろん日本の事故も危険だけど)人もいるし、その年生まれた子だってハタチになってるわけだから、(日本では)風化していってる。
 20年ということに意味はない。言うんなら毎日言わなきゃいけない。それが筋というものだ。だけど、せめてそういうときぐらい言わないと、本当に忘れてしまうだろう。言い方は悪いが、まだ1年しか経ってない事故のことを忘れてる奴は少ない。20年も前の、しかも日本にとって外国の大惨事に比べれば。でも、JRの事故とは比べものにならない数の人が死んで、放射能汚染に苦しんで、白血病になって、今なお救いの手は伸びない。これを「そんなもん知るか、俺は友人を去年の事故で亡くしたんだ」と言い出したとしたら、これは悲劇じゃないだろうか。
posted by LG18 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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