2006年05月06日

萌えの定義

 (容量)60メガバイトのPCが80万円していた当時(そのころウィンドウズは無かった)から日本橋(大阪)を歩いていたLG18ですこんばんわ。そのくせ未だに何の能もないブログをやっていくのが精一杯です。大学に入るまでキーボードすらろくに叩けなかった。興味が無ければどれほど環境が整っていても無駄だということです。

 萌えという言葉は、今では普通に使われていますが、10年ほど前に出てきた当時は、急激な変貌を遂げつつあった日本橋の街並みと、自分の性格や年齢等が相俟って、ただ無視や敵視することしかなかった。もちろん周りの知人達はそれらの動向を知らないし、知っていたとしても表立って話題にすることはしなかった。萌えという(言葉が指す意味)のは、自己満足のことであって、それを他人に晒すということは、オナニーを見せているのと同じことだと理解してました。まだオタクがオタクであった頃の話です。
 とはいえ、本質的に変わったわけではない。ただ自己満足を晒すことが一般に市民権を得て、共感を得ようとする素質に長けた者が共感を得たい人の共感を得て支持を受け、仲間単位から10万人単位まで幅広く自己満足を共有するようになった。ロックスターやストリッパーなしで皆が一点を見つめる手段を得て、単位は細分化していった。その流れに沿って、萌えという自己満足を指す言葉も広く敷衍し、そのなかでさらに細分化していった。萌えに対する私見を簡明に示すとこんな感じです。

 気がつけば、誰よりも萌え(という言葉)に敏感だったはずの青年は、萌えに取り残されていた。上に書いた私見は古臭いのでしょう。誰に言われたわけでもない(そもそも誰にも言っていない)が、使われ方を見ていてそのように思います。
 例えば、ツンデレという言葉があります。態度はツンツンしているが、内実はデレデレ、の略だそうです。あるいはツンツンしていたキャラがあるとき陥落して、それ以降デレデレに豹変するという。これは萌えの一形態として、確か去年の流行語にノミネートされてましたが、もし現実の恋愛でツンデレを許容する、あるいは萌えるとすれば、随分寛容な恋愛観の持ち主であるように思われます。
 私の知人にも(男女問わず)少なからずツンデレな奴がいますし、つまるところ「(好きだなんて)恥ずかしくて言えない」という感覚(体験)がある人は、程度の差はあれツンデレ的な要素を持っているんじゃないかと思います。それを許容できる人なら、まず恋愛で(相手がいなくて)困るということはないんじゃないかと。
 ツンデレはじめその他の萌えは、日常からエッセンスを抽出して演出しただけのもので、肩肘はった自己満足とは違うのかもしれない(私自身は支持しませんが)。

 そこで「ツンデレ萌えはモテるんじゃないか」と、上のような内容をかいつまんで友人に話してみたら、それは違うだろうといわれました。二次元でツンデレに萌えることと現実に存在するツンデレを許容することは違うと。二次元でも現実でもツンデレそのものは同じと見て良いほど近い、と食い下がったのですが、そうであれば逆にそうはいかないんじゃないか、お前の理屈だとサスペンス好きは人殺しを見るのが好きになる、とバッサリ斬られました。
 筋が通っていて反論できませんでしたが、(事が恋愛であるだけに)何か釈然としないものを感じます。友人の論調では「モテたいモテたい」と足掻いている世の男は、実はモテたくないということにならないか? でも「それに気付かないからモテないんだ」と返してきそうだ。

 話が反れたので、続きはまた後日に書きます。
posted by LG18 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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