2006年05月13日

「眠れる美女」を読んで寝言

 先日友人とカラオケに行ってきました。気心の知れた顔ぶれで遠慮は要らなかったので、勇んでお気に入りのバンドを探しましたが、バンド名自体が項目に無くてがっかりさせられました。インディーズのファンはこういうときが不便だなぁと思ってましたが、帰ってから、「チリヌルヲワカ」というバンドなのに、「イロハ」(アルバム名)で検索していたことに思い当たりました。紛らわしい名前だ。
 さて、これを読んでくださっている方も、次回以降「天丼のない天つゆなんて」で検索をかけてここへ辿りつけないことのないようご注意ください。インディーズなもんでご迷惑をおかけします。管理人のLG18ですこんばんわ。最近更新の間隔が空き気味ですが、決して試験勉強に勤しんでいるため更新の時間が取れないとか、そんな真っ当な理由ではありません。単なる気まぐれです。

 川端康成の「眠れる美女」をようやく読み終わりました。何年か前に途中まで読んだきりそのままになっていたのを、先日気まぐれをおこして続きから読み出してそのまま最後まで読んだという。以前の話を覚えているのかという疑問があるかもしれませんが、全く問題ありません。読めば分かる。
 延々と同じこと(眠れる美女)ばかり描かれます。息苦しい(単調とは違う)。そしてエロい。ここでいうエロいというのは、非常に危険な意味を指します。倖田未來だか來未だかの格好やAV女優に付けられる形容詞のような、(表向き)健全なそれとは違います。えげつないという言葉の方が正確に伝わるかもしれません。
 スピッツの「冷たい頬」は、殺した女(13歳未満)の頬を撫でながら、「壊れながら君を追いかけてく」ことをも(無意味だと)穏やかに醒めきった、ある種超越した感覚で振りかえるだけの歌ですが、方向性は近いです。中身が書けないもんだから似た作品を挙げただけです。

 エロ(ティシズム)とは何か、考えさせられます。私はそこらの野郎よりも変態を自負してますが、上に描かれるエロは生産的でないという意味で本来のものとは違う。「眠れる美女」は、眠ってるという設定にはなっているが、実質上死んでいるものとして描かれている。「死ねる美女」でない理由は、ネクロフィリアに限定するのがナンセンスだから、つまりはエロさに欠けるからということですが。
 結晶としては作品でしか成立し得ないという意味でも、危ういものだと思います。ナトリウムみたいなもんですかね。

 解説で三島由紀夫がデカダンスだと書いているのですが、正直私はデカダンスの主義主張が未だに理解できてません。むろん(?)高校の現代文の授業中に延々文庫本で「斜陽」を読んでいて、当てられたのに無視したという理由で(私は当てられたことを知らなかった)本を取り上げられたクチなんですが。
 (「眠れる美女」に比べれば)あんなものはデカダンスではない、と三島は息巻いてますが、それは流行としてのデカダンスと孤高のデカダンスとの違いであって、要するに時代の違いでしかないと思いますけども。
 やけっぱち芸術? そんなものに人生を賭する価値が? 芸術のやけっぱちか、やけっぱちでも芸術か、それが問題だ、とか言って。

 文学を専攻してる方に贔屓してもらっているここで言うのも気が引けるのですが、文学は経済学よりも学問たりえないと思います。
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