2006年07月01日

業の深い

 橋本龍太郎元首相が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈り致します。

 今回は死に際とかを考える契機になりました(年齢と知名度と気まぐれによる)。とはいえ最重要事項ですからね。結局のところ、最後がすべてになるわけですから、自然なことです。
 私は橋龍のことを何一つ知らないわけですが、客観的にみて、下り坂の死に際であった。首相に就任時、景気が回復せず、嫌味な物言いをするキャラクターと相俟って、目先の利しか見ない国民から疎まれ、自ら非を認めるも同情は得られず、選挙に敗れ、さらに悪者のレッテルが定着し、最後は1億円献金発覚でとどめを刺され、自らの政治生命を絶たれた、と。私の理解ではそんなところです。
 別の見方をすれば、7奉行と称され、閣僚を歴任し、与党最大派閥の最高権力者となって(あのゲームなら統制力96)、ついには総理大臣にまで上り詰めたのだから、一人の人間の人生としては最上級だとも言えます。最後の失脚も波乱万丈の人生の一部と見れば、先の見方に拠るほど惨めな最期とも言えない。

 ともあれ一番大事なことは、本人がどう思っているか、です。周りの人間なんて、言いたいこと言わしときゃいい(という理屈で言いたいこと言ってるLG18ですこんばんわ)。私が下り坂の人生であったとする周知の客観を敢えて指摘したのは、やはり本人が失意のうちにあったのではないか、という憶測からのものです。

 自分の死は一度しかありません。当然死に際というのも一度しか訪れません。自分の死に際をより良くするために学べる余地があるとすれば、せいぜい他人の死について、勝手な憶測を広げるくらいしかない。
 近い未来を快適に過ごす自信(見通し)はたっても、死に際に満足できるというのは容易ではないだろう。不幸であればもとより、幸福であっても執着がありますからな。それも幸福の度合いに比例して執着も強くなるという。
 やはりせいぜい先延ばしするしかないか。せいぜい。
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