2006年07月04日

表現は孤独なのか?

 ようやくプロフィールの音楽欄を更新することができました。気にはなっていたんですが、新しい(好い)ものがないと、更新しようがないもので。

 それで思ったんですが、音楽ってコラボレーションに向いている表現形態ですよね。文章メディアでも、競作のミステリーとか連歌とか「冷静と情熱のあいだ」とか(三段落ちのつもりなんでよろしく)、ないわけではないが、音楽に比べると華がないような気がします。企画の域を越えないというか。川端康成と三島由紀夫の往復書簡といわれても「資料」の匂いがしますしねえ(別に本人達が公表を前提にしてたとも思えないし)。

 音楽で表現されるハーモニーだけが複数の人間で奏でられる、と言うと抵抗を感じるのですが。

 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて にんじんのえじき
 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや にんじんのはらわた
 (以上2首「個人的な生活」森本平著 より。副題はアタック・オブ・ザ・キラー・キャロット)「トマト」の記事はこちら(リンク先「『珍』の煮こごり」様)

 コラボどころか本歌取り(技法)ですらない(と私は思う)。読んで反射的に笑うんだが、どう面白いのかはまるで分からない。それから時間をおいて読むと、上の句などは(自分が(啄木に)より親しみを感じるからだろうが)なんとなく伝わった気が起こってくる。それがまた恐いんだけど。


posted by LG18 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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