2006年07月12日

次は無いものと思え

 特に書くこともないので今日は生まれ変わりの話なんぞしてみたいと思います。別に宗教に走りかかってるとか、そういうわけではないのでご安心ください。"自称"「信仰宗教」教祖のぇりG18ですこんばんわ。教義は……何だったっけ。とりあえず火の用心。

 「前世からの御導きに違いない」だの「生まれ変わっても、また、一緒になろうね」(「また」という言葉は誤りだと思うのは私だけか)だの、生まれ変わり(輪廻)の信仰は、この狭い日本においては、宗教の気配を帯びず、無意識の信仰として、広く強く根付いています。
 また一方では、(生まれ変わりの信仰などは)死の恐怖から目をそらす為の子供騙しの信仰に過ぎないとして、生まれ変わりなどない、死んだらそれきりだと言いきる識者も少なくないわけですが。この点について、生まれ変わってきたという人間がでてこない以上、どちらも証明する手立てはなく、水掛け論で終わってしまいます。私個人の信仰としては、もし輪廻があるとすれば、死んだら再び全く同じ人生を生きる、という、かなりSFチックな幻想があります。本気で信じてるという話ではなく(ともあれ世界が一つしかないという考えは驕りだと思うが)、日々精進するための一つのツールです。

 本を読まない友人に三島の「豊饒の海」の話をしていたらそんな話になりまして。
 友「生まれ変わりを自覚するためにはやはり前世の記憶が必要だろう」
 私「それはそうだ」
 友「オレの場合、そうなったら、前世より手を抜くだろうな」
 私「なぜ」
 友「前はあれぐらいでこれぐらいの人生だったから、じゃあサボったらどれぐらいなるかな、とか」
 私「逆はないのか?」
 友「今より頑張るってことか? それは有り得ないな」
 私「どうして?」
 友「それこそ、できるんなら今やれって話やん」
 私「なるほど。オレの場合、今の記憶があったら、次はもっと消極的な生き方をするだろうな」
 友「というと?」
 私「もうこんなしんどい人生はいらん(笑)」
 どうやら同じ結論に達した様です。

 歴史を踏まえても、相も変わらず同じ事を繰り返すのは性のようですが、自身の記憶として残れば生き方は変わるでしょうか。友人が言うほど「深いテーマだ」との自覚は私にはありませんが、いずれにせよ、あまり変わらないような気がします。私個人の信仰をなぞる論理になりましたが。
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