2006年08月07日

狂っているのはお互い様だ

 高橋清晃様 享年80 死因:肺炎 謹んでご冥福をお祈り致します。

 プロフィールの音楽欄はほったらかしなんですが、「cure jazz」聴いてます。ジャズを聴く(ことに抵抗を覚えない)人間は私の周りには少ないのですが、能うかぎり勧めていたときに起こったことを少し。

 人「なんか良い音楽はないか」
 LG「今のお勧めはこれだ」CDをかける
 人「……こんなオシャレなのはいらんねん」
 ちょっと待て。何がどう「オシャレ」なんだ。
 そういうことがあったということを、CDと共にジャズ研に在籍していた友人に話したところ。

 友「まあ、オシャレだろう」
 LG「お前まで(馬鹿なことを)! 何が? どう?」
 友「そりゃまあ、オシャレな喫茶店とかショットバーに流れてそうなのが(オシャレの基準だろう)」
 ちょっと耳を疑いましたが。

 ジャズというのは、まともな神経で奏でられるものではない。それはロックが年寄りにはできないというのと同じくらい、明らかなことだと思っていた。ジャズだからオシャレという発想は、私はジャズという音楽形式とは無関係だと言っているのと同じではないだろうか。
 私自身ジャズに関しては全くの素人で、何も知らないに等しい。感覚だけで聴いているようなものだからめったなことを言えないが……
 どだいジャズというのは、他の音楽形式に比べれば軟体動物のように定型がない。メロディすらほとんど定まっていない。秩序や体裁といったものから無縁な形式だ(ジャズにはジャズの秩序があるといっても、それはいわば新興宗教の教義と変わらない)。コードという背骨一本でなんとか立っていられる。形式としてはそうである(その分感覚に拠るところが大きいから知識は必要ないというのが私の論理である)。そんな代物がまともな神経で奏でられるものだろうか。考えれば分かることだ。

 「ジャズというのは狂気の音楽である。あんな狂った音楽を聴いていたら頭がおかしくなる。狂人なんかに構っていられない。」私は、世の中でジャズを敬遠する人は大抵こんな風に考えているものとばかり思っていた(それなら問題無い)。「オシャレだから自分には合わない」という発想は、同じ敬遠でも正反対だ。本質を雰囲気ですら掴めないまま奉るというのは、恐ろしいことだと思う。それとも、狂気という言葉を知らないから、オシャレという言葉を代わりに使っているだけなんだろうか。いずれにしても、それが狂気だ。私にとっては。

 ジャズに限らず、狂気はそこかしこにある。ただ気をつけなければならないのは、狂気というのはあくまで相対的な評価であるということだ。狂っているのは対象の方か、自分の方かは2分の1の確率だ(狂っている人間が狂っていることをしても自覚するきっかけがない←狂気に触れたとき、両方が狂っているということはほとんどない)。だから基本的に、自分にとっての狂気はそばに置いておかなければならない(意識する必要もなく、狂気の方から常にやってきてもらえますけどね。例えば昨日書いた、定刻通りに葬式が終わるとか)。私がジャズに触れるのは娯楽としての狂気であって、厳密にこのスタンスではないが、狂気の存在意義を見誤ってはならない。

 「狂っている人間は、『自分は狂ってなんかいない』というものです。」名言というよりは定着した感の強い言葉だが、他人事と捉えていたら――

 大変なことになりますよ。
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