2006年08月24日

届かないのは理由がある

 ジェンダー【gender】: 社会的、文化的に形成される男女の差異。男らしさ、女らしさといった言葉で表現されるもので、生物上の雌雄を示すセックスと区別される。

 ジェンダーフリーというのが、何度聞いても分かりません。
 テレビでおばさん達が、がなりたててる。
 両足をおっぴろげて、ツバ飛ばしてがなりたててる。
 「ジェンダーフリーを履き違えてる」と言われてる。
 やっぱりよくわからない。

 結局のところ、女性の社会進出の是否如何について述べたいだけのよう(に理解している)なので、それに絞ってコメントしますが。

 人には適性があると思います。@仕事をするのが向いている人、向いていない人(個人→社会の適性)。A社会で求められる人、求められない人(社会→個人の適性)。B仕事がしたい(好きな)人、したくない(嫌いな)人(個人の気持ちの問題)。適性というと@のみを取り上げることが多いが、ここでは@ないしB全てを適性と定義します。
 私はこの適性に沿って仕事をするかしないか選択するのが理想だと思います。勿論、経済的事情によって適性に関わらず社会へ駆り出される(私もそうだ)のが一般だが、個人個人がしたいようにできれば理想だと思う。その程度の意味で言ってます。
 恐らくジェンダーフリーを叫ぶ人達は、女性のAについての不遇を改善すべきということを主張したいのだと思います。それ自体は正論ですが、私が分からないというのは、主張する人達がその点だけを主張していることの理由が分からない、ということです。

 たとえば、論者の多くは女性の社会進出をヒステリックに促すわけだが、ジェンダーフリーの発想は、「女なんだから家にいろ」という考えを否定するのが本来であって、「女であっても社会へ出るべきだ」という積極的な(というより強制的な)働きかけとは関係がない。まずそれがわかっていないように思えてならない。
 ジェンダーフリーの着地点は、女であっても社会進出を自由に選択できるという点であって、女性の社会進出が実質義務化されれば、それはアンジェンダーとでも言うべきものであって、針が逆に触れただけで何も改善されてはいない。
 そうはいっても、男が働くのは実質義務に近いもので、その反動として女性の社会進出が抑圧されている(側面がある)んだ。それを打破するためには女性の社会進出を今の男の状態と近いものにしなければならない。そうすれば男女の地位が対等になって……とでも言うのだろう。なんと短絡的でヒステリックな論理か。

 何度も言うように、ジェンダーフリー(あんた達が言ってるんだぞ、全く)というのは、男も女も同じように、自分の人生の選択として社会進出を自由にできるのが着地点だろう。ならば、女性が自由に社会進出を選択できるようにするためには、男性もまた、本当の意味で自由に社会進出を選択できるようにすることが必要じゃないのか。
 働く女性が増えれば必然的に人が余って、吐き出される者は男になるから、それでバランスが取れるように傾いていく、なんて馬鹿なことをいってはいけない。ホームレスも自殺者も、男の方が多いんだ。それは男が「生きてる限り働かなければならない」という枷を強いられるからだ。この精神的なものを取り払う努力をしなければ、ジェンダーフリーは達成されないだろう。

 ジェンダーフリーというのは、本来の形で達成されれば、男にとっても荷が降りて有益なものである。(今まで虐げられていた)女のために男は耐えろ、という発想は、単に感情的な復讐であって、将来に何も残しはしない。
 そういうものの見方をしないばかりか、理解する素振りすらまるで見せないから、「ジェンダーフリーを言い訳に――」といわれてしまうのだ。男だろうが女だろうが、社会に出たくない人はいるのだし、それを社会が受け入れることの重要性(つまり、40年前頃、30歳過ぎて結婚しない女性を非難してたのが現在失われたのと同様に、30過ぎても働いていない男性を(経済的視点は別としても、社会的視点から)非難しないということの重要性)を見落としてはならない。本当に達成したいと思うならね。

 そもそも、ジェンダーフリーという言葉を女性(というか自分個人)の社会進出に限定して使っている時点で、既に意味は違っているし、達成できるはずもないと思うよ。

 参考記事@
 参考記事A
posted by LG18 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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