霊柩車に乗りました(仕事で)。感想はただひとつ、「リンカーンは乗り心地が良い」これに尽きる。比べれば帰りの軽ワゴンの揺れで酔いそうになりました。社内では「柩車」と略すのですが、私にとっては「厩舎」にしか変換されないし、これは変わらないと思います。余談。
火葬場へ着くまで霊柩車の運転手と話していて悟ったことは、「偏見は儲かる」という真理でした。話は入社前の面接に遡ります。
面接官「この業界には偏見も根強く残ってますが、そういう業界へ進む理由を聞かせてください」
LG「私自身そういった偏見はありませんし、これから死に対する負のイメージを取り除くことによって、ビジネスチャンスは拓がるものと考えています。」
(要するに将来性があるからだということを話しました。流れのなかの答えであって、それほどの理由ではないが、今それは関係無い)
なんと甘ったれた発想か。本当に儲けたいなら人には疎まれ蔑まれ後ろ指さされるくらいの方が良いのだ。需要があがるということが即利益に繋がるとか、需要だけが将来性の指標となるとか、たいした意識もせず安易に需要を崇拝していたことが誤りであったと気付きました。
運転手「そりゃ、昔はボロかった」
どれくらい?
運転手「チップだけで月5,60万あった」
うわお。
運転手「それだけで十分食っていけるわな」
ですよね。
運転手「もちろん給料もたくさんもらってたしな」
なぜ?
運転手「やっぱり偏見はあったから。『人が嫌がる仕事』ってね。今はあまりそういうのはないね。それに今はチップなんかまず無いし……」
無いし?
運転手「……給料も安いし、それでも若い子はどんどん入ってくるし。昔の甘みを知ってる人間としては、やっぱり辛いよなあ」
偏見だけでなく、時代も多分に影響してのことと思われますが(ともかくも「部落(差別)がカネと結びついている」という新聞記事や論評よりも実感のレベルは違う)、いずれにせよそれだけ稼いでいたその人がなぜ今定年過ぎてまで働く必要があるのかは、ついに最後まで聞けませんでしたけども。
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