2005年04月06日

「新しい」のために必要なもの

 「サントリーのウーロン茶の紙パックの付属のストロー 無駄に長い」

 「天つゆのない天丼なんて」略して「つゆどん」(よろしく!)にトラックバックが5件入ってるユメを見た。いよいよ俺の時代かといい気になったところで目が覚めた。今のところただ重いだけで日記となんら変わりないけど、そのうち、そのうち。
 ユメといえば安住アナウンサーがみんなからいじめられるのを傍観しているユメも最近よく見る。テレビごしだったりスタジオっぽい雰囲気の場所でじかにみていたり。有名人がユメに出てくることはほとんど無いし、テレビも見ないんだけど。スポーツニュースだけは各局ハシゴしてますけど。阪神が強いんで。

 ええと、「新しい」の話だ。今はちょうど「新しい」季節で、人間関係や生活スタイルが一新する人も多いことでしょう。自分はダメだったけど
 新社会人とか、新入学生とか、新居とか、その大抵は自ら勝ちとった栄光の門出によるものであって、非常に喜ばしいことです。おめでとうございます。
 それに合わせてというのか、自分が今日言いたいのは、上に挙げた人達だけしか「新しく」なれないわけではない、ということ。

 一番上に挙げたもの(サントリーの…)は、短歌です(森本平「個人的な生活」より)。それをアバンギャルド(新しいもの)と捉えるか、短歌に対する冒涜と捉えるかは読者各人に委ねられてるけど、今までにないという意味では新しいといえる。
 こういうものに対しては、よく「天才」とか言われたりする。向井秀徳が曲書いたら「天才向井が狂気を創造」みたいな見出しが音楽誌に出たり。
 それも一つの評価ですから否定はしないけど、私は才能というよりは勇気に近い気がする。ためらいがないということ。つまり、こういう「新しい」は、才能がなければ縁がないものかというと、そうではない気がする。むろん皆が皆何かを創造するという意味ではないけれど。
 よく「昨日と同じような一日」といわれるけど、それを抜け出すには、春がこなければならないわけではないし、特別な才能も必要無い。引越しのような、そのための(規模の大きな)行動を起こさなければならないというものでもない。必要なのは、ほんの少しの勇気だけだと思う。

 急に安っぽい空気が充満したような気がしないでもないけど、そう思うんだから仕方が無い。私は、毎年桜の花を見ると、その景色にも、それを映す自分の目にも、変化を感じます。自分でも笑えるくらい。うまくいえないけど、転がりつづけています。それがいいことかわるいことか、今はまだわからない。けれどそんなことはどうだっていい。いつか振り返って考えることもあるかもしれないけど、そのとき何を思っても、それも一つの評価でしかない。良くも悪くも。
 どうやって転がりつづけるか。自分の場合は好きなものを追っていた。好きなものに対してなら勇気も出せるし、後悔もしないはずだ。
 とどまっていて、しかもそれを良く思わない人がいたら、参考にしてもらえたら幸いです。転がり始めた瞬間から、目に映る全てのものが新鮮に感じられることと思います。何も勝者の特権ではなく。
 興味のあるものなんてない、という男は、女の子に声をかけることをお勧めします。何のことはない、自分もそうだから。
posted by LG18 at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 はじめに挙げた短歌ですが、ただウーロン茶のストローが無駄に長いことが言いたいわけではありません。念のため。

 無駄に長いと嘆くヒマもないような生き方をしたいですね
Posted by LG18 at 2005年04月07日 02:10
 ローリンローリン(ぐるぐるぐる)
 苔なんて生えない生き方がしたいよね 目標だよね

 変化 万歳!!
Posted by くまごろう at 2005年04月07日 02:18
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