2007年01月20日

信じるということは(4)

 「20世紀少年」という漫画を読み始めたのはちょうどこの仕事(葬儀屋)を始めた頃だったと思うので、「ともだち」と友人葬が繋がるのは、そう難しいことではなかった。友人葬というのは創価学会の執り行う葬式の呼び名です。漫画の話は私がするより読んでもらったほうが早いので、「ともだち」は「友民党」なる与党を組織しているとだけ書いておきます。この作者は某大物歌手も好かんのでしょう。

 知識としては知っていたが、先日初めて友人葬をやりました。尋常じゃない。大の大人が数百人集まって、小一時間両手を合わせて「南無妙法蓮華経」と唱え続ける。隣で別の式をやってることなんて全くおかまいなし。焼香に案内しても歩きながらお題目を唱える。ただし統制が取れているというのか、こちらの言うことには比較的素直に従う(もっとも、黙れと言っても黙らないだろうが)。
 私の目がおかしいのかもしれないが、彼らの目は、おかしい。やたらに瞳に力があって、視界が極端に狭い感じがする。「20世紀少年」という漫画はどちらかというと好きではないが、あの目は良く描けていると思った。

 信じることの強さを儀式という象徴で目の当たりにした。彼らは年収が300万無くっても、一生バイトで肉体労働でも、文句を言わずにせっせと公明党に票を投じるだろう。何かを信じることは生きるために必要なことだと思うが、どうせならもう少し実体のあるものを信じたい。たとえば金の方が、まだしも実体的じゃないか? 私は金の亡者じゃないけど。

 くれぐれも断っておくが、私は創価学会を否定しているわけではない(そのレベルになれば、否定するのも肯定するのも同じことだ)。宗教勘の鈍い日本人から見れば異質であっても、宗教そのものとして特に異質とは思われないからだ。その意味で、宗教そのものに、否定とは言わないが懐疑的であると言えるかもしれない。
 そして、私の言う宗教とは神に祈るものだけを指すのではない。納豆がダイエットに効果的と聞くや、飛びつく。誰が言ったかと問えば、テレビが言ったという。占いもそうだ。
 どうせならもう少し、実体のあるものを信じたい。私はそう思う。

 私の宗教観に興味を持った方がもしいらっしゃったら、トップページの右上にある「記事検索」に「信じるということ」と打って下さい。過去の記事がピックアップされます。4回も書くというのは興味があるんだろうな、と他人事のように見返してました。
 リンクは貼りません。面倒だから。
posted by LG18 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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