「信じる者しか救わないセコイ神様拝むよりも〜♪」と歌った歌手がいたが、誰のために信じる者のみを救うかといえば、信じる者のためだ。つまり人間だ。信じない者が救われたのでは、信じる者が救われない。神様は信じるものしか救ってはいけないのだ。神様が実在しようがしまいが、そう決めたのは人間なのだ。
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友人は、(日本人の)宗教に対する猜疑心には、世代により程度に差があるように思うと言った。私は「そんなことはないだろう」と考えずに応えたが、考えてみると差がある。
私の母は「昔は良い時代だった」が口癖だ。何もしなくても春になれば給料が2割増で、社内での定期預金は利率8%。限度額は300万だが、年に1度24万円もらえるのだからちょっとしたボーナスだ、と。
ちょっとした、どころか、物価と近況を鑑みれば、立派なボーナスだ。確かに良い時代だ。私には想像もつかない。
話が飛躍するが、この頃は、(日本の)社会全体に通じるものがあった。良く言えば「秩序」だろうか。忍耐や労働を美徳とするものも、その一つだ。団塊の世代が横一列の教育を受けて育ったことも無関係ではないだろう。端折って言えば、この頃の日本人は共通の宗教の上で「良い時代」を過ごしていたと言える。大義の下である程度自分を抑制することを是とする人間ならば、特定の宗教に対しても(そういう土台のない)我々以下の世代よりも抵抗感が若干たりとも薄いのは当然だろう。
私は宗教が信じられないから不安定な人生を送っているが、別に不幸とは思わない。さらに利口とは思わないが。