2005年05月29日

うまい肉はうまい。

 (牛)肉は柔らかいほど質が良いと思っている人は少なくないようですが、柔らかければ柔らかいほど良いのなら豆腐でも食ってる方が体に良いんじゃないかと私なんかは思うわけです。上質の肉が柔らかいのは確かですが、本当に質の良い肉を口にしたときにまず驚くのはその味であって、柔らかさではない。
 いきなり語りだした貧乏人LG18です。貧乏人ですが肉にはうるさいです。

 先日、以前小説を書いたことがあると書きましたが、類友というのか、私の周囲には小説を書く仲間が複数います。その人達から相談を受けたときのことを少し。

 友「もっと面白い小説を書きたい」
 私「具体的にどんなふうな?」
 友「たとえば、読み手を惹きつけて夢中にさせるとか」
 私「なるほど。」
 友「LGはどんな小説とか文章に惹きつけられる?」
 私「……強いて言えば、ミステリーとかかなあ」
 友「えっ?」
 私が普段からミステリーを毛嫌いしていることを知っている友人には意外だったようです。

 読み手を惹きつけられるような「文章」を書くためには、まず第一にかなり高等な文章構成能力が前提として求められます。それに加えて文章から熱が感じ取れなければ読み手を惹きつけることはできません。魂のこもった文章ですね。最後に、書き手と読み手の相性も少なからず影響すると思われます。他にも必要なものがたくさんあるかもしれませんが、とにかく一朝一夕にできることではない。その意味でこの友人が羨ましがるのが分からないではありません。
 でも、今上に挙げた条件をそろえなくても実際に読み手を惹きつけることはできます。

 たとえば、熱狂的な野球ファンなら、延長戦が白熱していれば帰りの電車が危うくても球場から帰ろうとはしないだろうし、テレビのクイズや占いも結果が気になる人なら、先延ばしされればCMまで見るでしょう。人を惹きつけるということは、ある条件を揃えればそれほど難しいことではないのです。それは小説でも例外ではないはずです。
 小説は文章で作るものだから、条件を揃えるのも文章で揃えるのであって、各々それに向いた文体があります。その意味においては文章で惹きつけているとも言えますが、伝統的ミステリーに代表されるような条件型の小説というのは、読み手にとって「何が書いてあるか」が重要視されている以上、文章そのもので惹きつけているとは言いがたいわけです。

 読み手の求めるものに応じる、という姿勢は、これを全く失えば多くの場合は独善に陥って、目も当てられないものになってしまうから、天才と称されるような一部の例外を除いては必要不可欠な意識です。しかし反面、「過ぎたるは……」とまでは言いませんが、ジャンル分けというぬるま湯に読み手も書き手もどっぷり浸かって、それ以外は読めない書けないというのもどうかと私個人は思うわけです。エンターテインメントとしてはそれで十分かも知れませんが、相談してきた友人がそれを求めているわけではないですから。というわけでご理解下さい。

 芥川竜之介の受け売りですが、大事なことは何が書いてあるかではなく、どう書いてあるかです。それはドラマや映画でも変わらないと私は考えています。

 惹きつけられなくても面白い作品は面白いし、ましてや作者自身が自分の文章に惹きつけられているようではむしろ問題です。私の小説の読み方は大抵の場合「すげぇなぁ」と感じている自分も同時に楽しむというような、ある意味冷めた読み方なので、中途半端な実力で無理に引っ張りにかかられるとうるさく感じてしまいます。
 と、友人にはそのようにアドバイスしておきました。

 先日、織田作之助の「競馬」という短編を読みましたが、良かったです。(話の中だけでなく)文章の中で人間が飛び跳ねて喜んだり、静かな悲しみに暮れたりしている。どこかの局のアナウンサーみたいにがなりたてなくても、それ以上に切迫して迫ってくる。やっぱり私や知り合いの書くものとは文章の格が違うなあと。こう書いてしまうと当たり前のことなんですが。
 隙もあるにはあるんですが、読後に見返すとなくなっていたり、逆に輝いていたりという。全てが計算ずくとは思わないですが。

 友人たちの小説に唸らせてもらえる日を楽しみに待っているところです。
この記事へのコメント
そうですよね!アミノ酸数値で旨いまずいを決める人なんかも”味の素”なめてたらいいんじゃない。
友人が小学生の頃 どもりが原因でいじめられていたそうです。このままでは殺されると思った彼は、どもる言葉の最初の音 彼の場合は「Ka」。
「ka」のつく言葉をすべて違う言葉や表現で置き換えたそうです。
気がついたら、コピーライターになっていたそうです。
表現って、感覚や感情を 行動(文字、絵の具、スポーツ、仕事・・)に置き換えて、どのように伝えるかですよね。
説明や言い訳じゃないですよね。
Posted by ター坊 at 2005年05月30日 12:45
「作者が彼の読者に払い得る最大の敬意は、彼らが期待するようなものは一切書かないということである」と言ったのはゲーテですが、それはゲーテだからこそ言い得ることかも知れませんね。
Posted by Be-yan at 2005年05月31日 01:05
コメントありがとうございます。

>ター坊様
 小さい頃、味の素なめたことあります。「味の素ってどんな味すんの?」と親に尋ねたら「なめてみたら良い」って言われて。
 うまみが凝縮されてました。まさに味の素。
 そのとき、親に「あんまりたくさん舐めたら死ぬで」と言われました。本当かどうか試したことないので知りませんが。

 映像は文章に優位するとか言われることもありますが、自分が感じたものをより伝えやすくするために最善の方法をとれば良いのではないかと私は思います。
 その意味で宮崎駿の作品は成功していると思います。うまく言えないですが、一連の作品がアニメで表現されていることに必然性を感じますね。

>Be-yan様
 その言葉は初めて聞きました。……という人間がもの言って良いのか分かりませんが、逆説的な警句のような気がします。すなわち、(受け入れられたいがために)安易に読者の志向(あるいは嗜好)に迎合して自らの主張や価値観、すなわち表現を曲げるな、という。これは私の直感ですが。
 ゲーテの当時の社会的背景までは存じませんが、いずれにしても受け手に迎合してその場限りの人気を誇ったものというのは普遍性を帯びません。良いものかどうかが後世に残るかどうかだけで決まるとは思いませんが、残るということはそれだけ(世代を超えてまで)多くの人に愛されているということですから。
 安易に迎合することが読者を軽視しているという感覚が私にはよく分かるのですが、どうでしょうか?

 それと、彼らが期待するようなものを一切書かないでおこうと思えば、彼らが何を期待しているのか知ってないとできないわけですから、やはり意識していることにはなると思うので、矛盾はしないですね(確認)

 勉強になりました。ありがとうございました。
Posted by LG18 at 2005年05月31日 22:19
 こんばんは! メールのお返事ありがとうございました。良いお返事がいただけて一安心です(^^)

 何が書いてあるかよりも、どう書いてあるかが大事。確かにそうかもしれないです。
 良いテーマやストーリーなのに、文や構成がダメダメだと面白いと思えない。
 世界設定やストーリーやキャラが魅力的なのに、システムやバランスが悪くて序盤でやめてしまうRPGみたいなもんですね(そうやってすぐゲームに例える;)

 私は物書きではありますが、全然修行中の身なので、とりあえず「自分が楽しんで書く」のを目標にしています。
 そうでないと、勢いが出ないというか、魂のこもった文というのは書けないと思うのです。
 実際それが書けているかはまた別の話ですが;

 では、この場を借りて申し訳ありませんが、メールの件、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
 お邪魔いたしました〜。
Posted by きっこ at 2005年06月03日 01:24
 どうもお待たせしましたf(^^;)「How」にこだわる理由は、友人には「どうせお前が書こうと思いつくようなことなんてどこかで誰かが書いてるんだから、それと勝負するには見せ方しかないだろ」と言って聞かせています。随分乱暴な言い方ですが。

 「いちばん楽しんだのは、僕かもしれない」と、かの人も書いていました(かっこいいなぁと思う)が、やはりそれは大切なことかと思います。ただ、それが過ぎて独善の物語を書くという失敗を犯さず、持ち味が発揮されているのはきっこさんの素晴らしい所だと思います。いやいやほんと、頑張ってくださいね。

 了解です。ちょいちょい取り掛かっておりますので、今しばらくお待ちを。
 また来てくださいませ〜。
Posted by LG18 at 2005年06月04日 00:40
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