2005年06月29日

ホントにわかってんの?

 こっこちゃんとしげるくんはアルバムを出したんでしょうか? 詳しいことは知らないですが、とにかく「音楽のない人生なんて」以外にもいくつも曲を歌っていることは間違いありません。で、私はこっこちゃんもしげるくんも好きな方なので特に問題はないんですが、ただひとつ気になることは、こっこちゃんは○ステ出演を最後に走り去ったはずなのに、いつの間に戻ってきたの? という疑問が今ひとつきっちりとけないことです。いやまあ別に構わないんですけどね。単に私が知らないだけかもしれないし。
 「No TEN-TUYU, No TEN-DON」の管理人LG18ですこんばんわ。

 少し前の話題ですが、小学生に「人が死んだらどうなるか?」と問うたところ、「生きかえる」等の回答が看過できない割合だった、ということがありました。ほかにも「天動説支持」など、何かアンケートと取る度に問題として取り上げられているような印象を受けます(問題ない回答だったら報道されないだけだろうという考え方もできるけども、そうかどうかは別として)。

 それらは問題には違いないんですが、どうも騒いでる人達は何かを勘違いしている気がしてなりません。大人達の責任ですから。騒いでるメディアの皆様、あなた達のせいであり、それを見て騒いでる私達のせいであるわけです。そして子供達は社会環境を映す鏡であって、被害者です。「それはどうかと思う」という感想を漏らしたとすれば、それは自分たちが築いた社会環境に対するものであることについてもっと自覚すべきです。

 もう一つ、天動説支持に関して、別の切り口から喋らせてもらいます。
 地動説、つまり地球が公転していることは、科学的根拠を伴った真理であり、いわば事実です。
 しかし、一般の人が地球の公転について「きっちりと」根拠を示すことができるか、要するに地球の公転を証明できるかと言われればこれは甚だ疑問です。少なくとも私にはできません(し、証明できない人の割合が「生きかえる」とこたえた子供と同程度かそれ以上になると,私は思います)。
 ということは、結局のところ誰か偉い人(他人)がそう言ってるからそうなんだ、くらいでしかないということです。人工衛星だって、私が飛ばしたわけではない。それは、かつて天動説が支持されていた時代に疑いも無く天動説を信じていた事実とどれほどの差があるんでしょうか。(客観的)事実として地球が公転していることと、私が(根拠も示せないまま)地球が公転していると信じていることには、極論すれば何の関係もないということにはならないですか?

 天動説だなんて馬鹿げてる、だなんて、「知りもしないで」言うもんじゃない。自力で証明できない人がそう言ったとしたら、それはかつてコペルニクスを火あぶりにした人達と変わりはない(違うことは科学的真理と自分の見解が一致しているという一点だが、先に詳しく書いた通り、立証を伴わない以上その事実には価値が見出せない。)というべきだし、自力で証明できる人であればきっとそんな風には言わないと思うんですよね。小学生にはちょっと難しいだろうなと。

 子供達は見えたものを見えたまま言ってるだけのことです。私に言わせれば自分で見解を立ててる分むしろマシじゃないかと思うほどです。(自分なりに考えた)天動説を支持して、先生(他人)から地動説を吹き込まれたときに「どうしてそう言えるのか」という疑問を抱くことの方が、地動説の権威に屈して鵜呑みにするよりどれほど真理に近づくことができるかと考えれば、この点に関しては理解していただけるはずです。
 そして、教育が至らないという問題点に関しては、前述の通り、大人の問題であって、子供の責任ではない。

 異常なのは、子供達「の方」ではない。
 異論・反論、お待ちしてます。

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posted by LG18 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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