2005年07月11日

今変わってゆくよ

 最近の音楽を評価するうえで歌詞がどうこう取り上げられることがありますが、音楽は音で表現するのが本来なので、音以上に重要視するのはおかしい。ただし、歌詞は詩でも小説でもない、メロディや声、歌い方で表現する言葉として音楽独特であることも確かです。
 歌詞といえば、私の世代ではスピッツがちやほやされてた時期がありました。しかし当時の私は、コードもリズムもメロディも単調で甘ったるくて、安っぽいバンドだと思ってた。
 しかしそれはとんだ勘違いだったんですね。今日はその話をします。

 当時の私の中では、単調な曲の代表格が「青い車」でした。一度でもギターを抱えたことがある人なら分かると思います。だから私はこの曲がつまらなかった。
 しかしあるとき、歌い出しから恋人を絞め殺していることに気付いてから、この歌に対する評価が一変しました。この歌は女を殺した男が女の車に死体を積みこんで車ごと断崖からダイブする歌なのです。そう捉えると、間奏の持つ意味までもがまるで変わってきます。リピートして聞くとあら不思議、「輪廻の果てへ飛び降り」たはずが・・・?

 結論から言えば、「青い車」に限らず、スピッツの歌はセックスや暴力や死や狂気に満ちています。それらはロックの題材としてはごくありふれてる。しかし、単調なコード進行とリズム、そして何よりもボーカルのあの甘ったるい声でそれを覆い隠して、全く新しい表現方法でもって狂気を狂気のままで聞き手まで届けることに成功している。それは場合によってはヘビメタの手法を用いるよりも余程おどろおどろしいものです。
 
 そしてもう一つ感心させられることは、歌詞の解釈を一通りに限定させないこと。CM曲などによく用いられていることなどから考えても、恐らく多くの人はスピッツの歌を明るく爽やかな(あるいは以前の私のように軽いという)、ポップなイメージで捉えていることと思われます。それは私が先に挙げたモザイクの意味に留まらず、それ自体彼らが描いている情景だと解釈されます。つまり「青い車」を、ただ車に乗ってデートしてるだけという受け取り方が間違いかと言えば、そうではない、ということになる。少なくとも作者にとっては。

 たとえば「冷たい頬」などはタイトルから死を汲み取れるものですが、それをカバーしている中村一義はストーリーの時系列を明確に再構築して、間に救急車のサイレンを入れたり、最後にもう一回やらしてくださいと言ったり、原曲の意図を汲みつつカバーならではの面白みを持たせていて、それはそれで勿論評価できます。ただ、どうしても聞き方を限定させてしまう。
 それはカバーだから問題ない(仕方ない)かも知れませんが、「冷たい頬」と題しても、ただ風に吹かれたというだけのイメージを否定しない、その幅の広さや貪欲さもロックの名に相応しいのではないかと。

 「青い車」は「空の飛び方」というアルバムに収録されています。このアルバム、しょっぱなからおかしいなということは当時中学生だった自分にも感覚で分かったのですが、幼女をレイプしたのち惨殺する歌など、一見変わり映えのない軽いメロディでふわふわした「空を飛ぶ」というポップなイメージの裏側に、ここには確かに空の飛び方がかいてある。
 純粋に音で勝負するのではなく、歌詞との絡みで世界を際立たせる手法には是非があると思いますが、たとえば「ルビーの指輪」のリフレインひとつ取っても、音楽には音楽独自の表現方法があって、それを追究しない人間はいくら叫んだところで声が届いてこない。

 というわけで、「名言!」をどうぞ。
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