2005年08月24日

スポーツにみる曖昧な倫理観と受験の不思議(仮題)

 およそスポーツと呼ばれているものは、全て勝負事です。それもサッカーのW杯やオリンピックといった大きな舞台においては、個人レベルではなく国の威信もかかっている側面があり、規模も小さくはない。
 他人が真剣に闘っているのが面白いというのは、考え方によっては不謹慎といえなくもないです。

 その昔はコロシアムで殺し合いをしているのを見るのが娯楽であった地域もあったようです。現代ではそれは受け入れられない(許されない)でしょうが、他人同士が闘っているシーンが娯楽であるという点においては現代と何ら変わりがないわけです。

 結論として、人死にが出さえしなければいい、ということのようです。それは倫理観が一枚噛んでいる法律によるものといえそうですが、それもかつては受け入れられていたことを考えると、確固たるものとは考え難いです。それどころか、格闘技などでは数少ないとはいえ死者が出ることもあるにもかかわらず、人々の関心は薄らぐどころか、どころかですよね。

 当事者として命を奪い合う闘いの場にいることが楽しいかどうかは、もはや推測もできない生き方をしてきました。しかし(命云々は置いといて)闘いが楽しいという本質は揺らぎそうにありません。
 さてそこで、その本質に従って闘いを楽しむ姿を自然とするのか、殺し合いを楽しむなんて野蛮極まりない、たとえそれが本質的に娯楽であったとしても、それを理性で抑える(ことができる/そうすべきである)のが人間の人間たるゆえんなのだ、とするのかは、一重に価値観次第だとしか言いようがないと思います。
 ただ、寒いと感じる人と暑いと感じる人が同じ部屋に居合わせた場合に、大抵は寒い人の希望が空調に反映されるのと同じ理由で、確固たるものであろうかなかろうが、人死には出してはいけないということになっているようです。
 別にそういうことなのだろうと言っているだけで、それに対して評価(それが良いとか悪いとか)を下しているわけではありません。私個人の意見として、人が斬り合うのを観ても楽しいとは思えそうにありませんが、所詮私の生まれた環境によるもの(つまり現代の日本に生まれ育ったということ)によるものだと思います。さらに言うならば、そういう流れも含めて「これでいいのだ」と思いますが、それもまた(以下略)

 最後に疑問点として、本質的に闘いや勝負事は娯楽であるとの命題に対して、なぜ受験はプレイヤーも観客(そんなものはいないけども、それはただ面白くないからだ)も面白くないんでしょうか。ギャンブルのように観るには向かない勝負事もあるとは思いますが、誰もが楽しめない勝負事というのは? 倫理的だからですかね?? コメント待ってます。

 今日はやたらと曖昧なもの言い(「〜ようです」など)が多いですが、頭で考えつつ同時に書いているのでご了承下さい。考えながら喋ると(コンディションと相手にもよりますが)もうちょっと頭が回るんですが。

 物事を考えるときに評価ほど邪魔なものはないと思います。「こうだから悪い」「こうでなければならない」などと決めつけた瞬間から思考は停止するのではないでしょうか。評価が出発点(前提)となっている議論もありますが、いたずらに視野を狭める気がしますが。が、が。
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