2005年11月20日

他人の言うことはもっともらしく聞こえるのはなぜだろう?

 タイトルの問いに対して確たる答えを持っているわけではないです。というより今書きながら考えるところです。昨日今日抱えた問いではありませんが、こうでもしないと埒があかない。いわゆるタイム・リミット(*注)です。
 私は本屋でバイトしていますが、実に驚くべき種類の雑誌があります。しかし、それらから「悩み」や「相談」、「アドバイス」といった語を削ると、もともと無い中身はさらに薄くなって、いよいよ宣伝だけの紙の束と化すでしょう。つまりそれほどまでに重宝されているということです。見も知らない他人の言ですらその有様だから、友人知人になればいよいよ相談を求められる。「あなた年いくつ?」から始まる年齢不詳のおっさんが今年の紅白の司会をやるんだそうです。

 じゃあ、他人の言なら何でも盲目的に従うのかといえば、(見方次第であり、そうであると言っても誤りとは言えないが)従う言をしたたかに選んでいる気配が感じられます。要するに自分に受け入れられない主張は排除するということです。場合によっては「そんなのが聞きたいんじゃない」とまで言う場合もあります。身勝手極まりない。

 単純に他人の言に従うつもりで相談を求める場合も含めて、大まかに言って他人との一致を求めている。それには他人を自分に合わせる(巻きこみ型)と、自分を他人に合わせる(乗りこみ型)があると、ここまでは整理がつくのですが。
 他人の言動を意識するというのはすなわち自信がないからだといえそうですが、自信とは他人の評価によってもたらされるものであって、結局論理は堂々巡りになってしまう。

 ちがう、自信が無いからそれを得たくて他人にすり寄っていくんだ。しかし本当にそうだろうか? 自信が必要な理由はなおも見えてこないし、第一、他人にすり寄って自信を得たとして、その他人もまた他人なくしては自信を持てない輩なんだから、いずれドミノ倒しのようになってしまうことを考えないのか?
 自分の眼前に不安とか動揺とか曖昧とかが無ければそれで良いのさ、他人に言い当てられるような運命なんじゃない、他人に言い当てて欲しくてさらけ出してる運命なんだ。

 仮にそうだとしても、なぜそうしなければならないのかが分からない。そうするように執拗に教育されてきたから? やはり今日も確たる主張に実らぬままつぶやきに終わってしまいそうです。

 名言は こちら
 (*注)リミットについては こちら
 
posted by LG18 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/9599268

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。