2005年11月26日

あったのか、なかったのか。

 「毎日続けていることは、死ぬまでできる」という物言いがあります。しかしその命題は偽だと思います。毎日階段を昇りつづけていても足が上がらなくなる日はくるだろうし、毎日食べつづけていても、起きつづけていても、息をしつづけていても、いつかできなくなる日は来るだろう。端的に、毎日生き続けていてもいつか必ず死ぬ点について、「死ぬまで生きてられる」という物言いは、何の意味もありません。

 私の祖母の友人に、そろばんと算数と数学の先生がいました。といっても教員免許を持ってるわけではなくて、近所の子供を自宅に集めて教える、今でいう塾の先生みたいなことをしていて、私の母も兄もその先生にしごかれたそうです(私の時は体力的な問題から辞めていた)。「分からない個所があったらものさしで叩かれた、怖い先生だった」という母の話と、「お前の兄ちゃんはなんぼ言うても教えたっても『3分の1』が分からんくてな、そない言うたったらええわ」と笑う老婆と、「そのことは死ぬまで言われるやろうな」という呆れ顔の兄から想像するだけなのですが。
 この老婆は晩年痴呆で、数字だけが全く駄目になったのだそうです。足し算はおろか1から10も数えられないようなレベルだったという話です。その他は意識も明瞭で、生活にも何ら支障はないということでしたけれども。

 身内も含めて、当然ながら皆がその老婆の知己であり、また(私は年とってからしか知らないけれども)非常に穏やかな人だったので、老婆のことを悪く言う人はいませんが、因果な話だと思いますね。その老婆はもう何年も前に亡くなっていて、祖母はさらに前に亡くなってますけども(法事がないから何年か分からない)。
 今でも母は素早く珠を弾き家計簿をつけています。老眼をかけながらですけども。

 昨日できたことが、今日できなくなる。人生において昨日できなかったことが今日できるようになる期間よりも前者の方が一般的に言って長いと思います。そして私は最近それについてさほどの悲観を感じません。昇って、降りる、ただそれだけのことです。亡くなった方を悪く言うつもりはありませんが、3分の1を分かろうと分かろうまいと、(多少生活に不便だろうけど)大した差ではない。それもいずれわからなくなるのなら、馬鹿にする価値はさらにないと思います。あんまり若くで年くった物言いは良くないと思うのですが。
posted by LG18 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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