2007年02月11日

寝ている頭の方がセンスが良い

 私は飼い犬を連れて散歩から帰ってきた。すると門のところで老犬が待ち構えている。飼い犬の老後の姿をした老犬である。飼い犬は老犬に見向きもせずに、すれ違って門を入っていった。
 門に括られていた老犬は私に甘えてきた。年のわりには執拗だった。私は受け流しながら、少し困惑した。老犬はのどが渇いているらしいので、めだかの泳いでいる蹲(つくばい=庭に置く用の大きな壷のようなもの)を門のところまで運んでやった。すると老犬は鼻を深く水に浸し、口を開いて人間のようにがぶがぶと水を飲み始めた。傍で見ていて明らかに飲み過ぎであるが、それでも老犬は水を飲むことを止めなかった。
 そのうち、老犬は蹲を倒してしまった。私は土の上でぴちぴち跳ねるめだかを一匹づつ拾い、蹲の中に戻していった。半分ほどは頭がなく、いかなごのくぎ煮のようだった。老犬は、めだかを拾おうと屈んでいる私に乗りかかって甘えてきた。年のわりには元気だった。

***

 目が覚めて後一時間ほど、飼い犬が先月死んだことを忘れていた。若い頃(「飼い犬」)は可愛がってやったこともあったが、最後数年(「老犬」)はほったらかしだった。犬が夢で語りかけてきたというのではなく、私の心の問題だ。
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2006年12月16日

骨(総集編・人の行く先)

 人が死んだら骨が焼け残っても、もうこの世にはいません。いませんが、まだいる気がしてならないのです。

 こんな仕事をしてるから、寺の話を毎日聞かされて宗教に走ったから、というわけではなく、あるいは、魂がどうとか精神がどうとかいうことでもなく、私には、まだいる気がしてならないのです。

 本当に、もうまったくいなくなってしまうときがあるとしたら、それは、この世の誰もがその人のことを思い出さなくなったときじゃないか。覚えている人の心に生き続けている、という子供だましではなく、その人自身として、忘れられたときに死んでしまう、そんな気がしてならないのです。

 総集編と書いて走り書きと読む。
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2006年10月19日

ファンレター

 私は今まで気付かなかった。あなたの物語が紡がれていることに。
 私はあなたの物語を知らずに、一端に口を挟んだり、悪友と一緒になって陰口を叩いたりした。でも今日からは違う。

 あなたがいなくなっても、私はあなたの物語を抱え続ける。
 私が灰になっても、あなたの物語は大勢の人の中で生きつづける。

 私はともに、物語を紡ぎ続ける。
 あなたの空へ届かなくとも。
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2006年06月13日

ラーメンの方が正しい

 私は生まれてこの方大阪から外れて暮らしたことはなく、これまで相当数の関西の人間を見てきたが、告白のシーンや仲の良いカップルが愛を囁く、幅広く恋愛一般において、外に出して言う言葉としては無論、心の内だろうと「めちゃくちゃ好きやっちゅーねん」というセリフが浮かぶことはまずありません。インスタントラーメンじゃあるまいし(私の記憶では「めっちゃ好きやねん」という姉妹品があったはずだが、メーカーのサイトに紹介がないので限定商品だったのかもしれない)。ジェネレーションギャップを恐れてパイレーツじゃあるまいしと切れなかった臆病者LG18ですこんばんわ。
 (どうせ事務所の指示だろうけど)こういう適当なプロモーション(こういうのは歌詞とはいわない)はものすごく安っぽいから止めた方が良い。ついでに言うと「エロかっこいい」という言葉は並の流行語大賞受賞語より余程流行しているが、かっこいいのは百歩譲っても、ああいうのをエロいとはいわない。あれは単に露出が多いだけで、エロくもなんともない。

 なぜ有り得ない言葉遣いなのか。標準語に直すとこうなる。「とても好きだというのだ」。くどすぎる。(流行に乗る気はないが)日本語としておかしいし、そんな長ったらしい言葉、流行もしない。していない。したことない。そもそも関西弁で恋愛をするということは、相手にも同じ風土を強制することであって、甚だ視野の狭い恋愛であるからして……(以下略)

 関西弁というのは、元来非常に温かみのある言葉です。正しく使っている関西人は非常に少ないですけども。マスコミの全面的な助長もあって、関西弁の誤用はおろか関西に対する誤解も固定観念にまでなってます。しかし、誤解を解こうだなんてさらさら思いませんよ。むしろ、誤解でメシが食えるならそれで食っていこうと考えます。そういった関西の価値観だけは正しく反映されているというところでしょうか。

 ところで、全然関係ない話ですが、大場つぐみ(「DEATH NOTE」の原作者)=ガモウひろし(「ラッキーマン」の作者)って本当なんですかね。あの絵であの話だったら、それはそれで笑えそうな気もしますけどね。
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2006年06月02日

ポイントを集めて合コン観戦チケットを当てよう!

 一週間書かずにいると、書く習慣がなくなってそのまま書かなくなるような気がしたので、何か書きます。LG18ですこんばんわ。ネタは用意してないので、お茶でも飲みながらゆっくりお待ち下さい。

 試験が終わったので学生時代の友人と久しぶりに会いました。私の友人の中では数少ない真っ当な社会人なんですが、やっぱり彼女が欲しいというような話になって(というかそっちへ誘導していって)、でも口ではそう言ってるけども実際はそうでもないなと感じました。
 私も、他の友人も、大きくは変わらないことですが、この年になって、自分が本当にヤリたいと思ったことは今までにある程度経験して、それに伴って幻想もなくなって、まあ他の友人に言わせれば「めんどくさい」と。そいつは本当に良い奴なんですけどね(私のことじゃないですよ)。
 友人が私と全く同じ事を考えていたので驚いたのですが、「(彼女が)外で働いてバリバリ稼いでくれるっていうなら、自分は洗濯でも掃除でも料理でもなんでもする」って。家事がラクだと言ってるわけではありません。外へ出て仕事っていうのがどだい不向きなんですね。まあ実際に働いてる友人が言うのと働いてもいない私が言うのとでは大きく違うでしょうけども。そのとき、日本の(会社)社会は本音と建前(の落差)が大きいって言うけど、それならば男よりも女のほうが企業戦士には向いてるんじゃないかと、上の空で思いました。

 ところが、というのか、友人たちから異口同音に聞くことは、
 LG「結婚とかはまだ早いだろう」
 友「でも女は違う」
 そんなもんなのかなあ、なんて空っぽの頭を露呈してますが、以前吉行淳之介の言葉を挙げたあの時代から、根本的なところはあまり変わっていないのだろうということは言えるでしょうね。少なくともこの目に映る(大して頭が切れるわけでもない)ムジナについては。

 でまあ、男衆は、いやいやながらも自分で働いていれば、まず(経済的に)他者に依存する必要はなく、(精神面も)経験に基づいて各人それぞれに限界を知ることになり、年もとって新しく人間関係を築こうというモチベーションも徐々に萎えてくる。そういった相互に影響を及ぼし合うもろもろの事情を言葉の端々に散らせながら、「彼女が欲しい」といったって、「そりゃあヤリたいときにヤリたいだけだろ」「ははは」となるわけで。
 ただ、合コンには興味を持ちました。学生時代のくだらない遊びなら時間と労力の無駄ですが、結婚相手という名の獲物を漁りにハードもソフトも全身を勝負服で纏い、独自のスカウターでもってその場に臨む。年収・職業・年齢・身長・顔・そのどれでもなく、優しさ。表に出るワードが何であれ、ただ自分のより良い状態(幸せと呼ぶらしい)を求めて狩りに出るというだけのこと。私はそういう直情的に醜い行為が生臭くて好きです。さらに言えば、そういった一連の行為に罪悪感はおろか何らの疑問も感じない鈍感さには頭が下がります。何事も真剣勝負というのは観るには面白い。まずは定職に就かないことにはオーディエンスにすらなれませんけども。

 こういうことを書くと照れだの妬みだのやっかみだのといらぬ詮索を受けるので断っておきますが、今までさんざん苦労して、それから後も苦労を続けて得ることになる人生の許可証を、昨日今日顔を見たような他人に渡す気などさらさらありません。全くもって冗談じゃない。
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2006年05月18日

おムコさんになりたいという男がいないのは、なぜだろう

 断っておきますが、偏見です。いつもにまして。

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2006年05月14日

やはり愛は裏腹か

 だだだ誰ですかブリーチ22巻のゲタ帽子萌えの話かなんて思う奴は。
 ……たまにはこれくらい強引な切り口も良いかなと。LG18ですこんばんわ。

 えーと、昨日の話の続きですけどね。例えば好きかどうかとか面倒な話は抜きにして、力任せに女を犯したとして、それによって愛が芽生えたり、相手に惚れられたりということがあるとします。化学反応が起こっている最中のこの状態を(恋ではなく)愛と呼ぶなら、反応を起こし続けない限り、愛は途絶えることになります。

 私は、メロドラマを観て涙流すような女とは正反対の立ち位置にいると思ってますが、だからこそ逆にというのか、できることなら愛は死ぬまで途絶えないでいる方が良いと思っています(くどいようだが、恋ではない)。それが可能という前提で話を進めるなら、それは母性愛とか、兄弟愛とかであって、相手は恋人より同胞であると思います。そこではむしろ化学反応は無かったり、有ったにしても極めて単調で、無いのと同義だったり、ということになると思います。

 こういった視点から昨日の話をみると、化学反応が起きる状態にありながら、反応自体は起こらない(起こさない)という歪(エロ)さを描いたものだと言えます。下にも書きますが、純粋に禁忌に掻き立てられた恋愛小説(「春の雪」。もちろんこれは長編の一部でしかないから、恋愛小説という括りは全くいい加減なものだが)と比べて熱の質が全く異なるのは当然のことです。

 愛は燃え盛る炎のようにとは良く言ったもので、瞬間最大風速のような概念の方が、少なくとも恋愛における愛については本来的であるように思います。そこでは背徳が媚薬となり、駄目だとなると惹きつけられ、いよいよ魅せられるということになる。当然、長持ちはしない。
 逆に、長続きしているカップルを見て恋人というより兄弟みたいだと感じた経験がありますが、環境の変化などであっけなく切れたりする。それは本当は兄弟ではないからで、刺激に脆いところがある。
 ともかく、同じ愛といっても正反対と言って良いくらいに質が違う。これを並列に論じて「あなたは愛を誓いますか」「誓います」なんて言ったって、単なるセレモニーにしかなり得ない。ましてや日本にはキリスト教が根付いてるわけでもない(結果、愛という言葉に対する共通の認識が薄い)し、ナンセンスを通り越して滑稽だというべきです。私は化学反応に本来的に興味がないから分からないが、身も溶ける恋愛の渦中にある二人はそれが永遠に続くものと信じて疑わない、みたいですね(私の考えでは男は気ぃ遣って女にノリを合わせてるだけのことですけどね)。

 明日生きられるか分からないとなれば必死で生きると言われるのと同じように、危機感や嫉妬を焚き付けたり、背徳や禁忌を犯してこそ、最高の恋愛が楽しめるということでしょう。
 平凡な結論ですけどね。
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2006年05月06日

萌えの定義

 (容量)60メガバイトのPCが80万円していた当時(そのころウィンドウズは無かった)から日本橋(大阪)を歩いていたLG18ですこんばんわ。そのくせ未だに何の能もないブログをやっていくのが精一杯です。大学に入るまでキーボードすらろくに叩けなかった。興味が無ければどれほど環境が整っていても無駄だということです。

 萌えという言葉は、今では普通に使われていますが、10年ほど前に出てきた当時は、急激な変貌を遂げつつあった日本橋の街並みと、自分の性格や年齢等が相俟って、ただ無視や敵視することしかなかった。もちろん周りの知人達はそれらの動向を知らないし、知っていたとしても表立って話題にすることはしなかった。萌えという(言葉が指す意味)のは、自己満足のことであって、それを他人に晒すということは、オナニーを見せているのと同じことだと理解してました。まだオタクがオタクであった頃の話です。
 とはいえ、本質的に変わったわけではない。ただ自己満足を晒すことが一般に市民権を得て、共感を得ようとする素質に長けた者が共感を得たい人の共感を得て支持を受け、仲間単位から10万人単位まで幅広く自己満足を共有するようになった。ロックスターやストリッパーなしで皆が一点を見つめる手段を得て、単位は細分化していった。その流れに沿って、萌えという自己満足を指す言葉も広く敷衍し、そのなかでさらに細分化していった。萌えに対する私見を簡明に示すとこんな感じです。

 気がつけば、誰よりも萌え(という言葉)に敏感だったはずの青年は、萌えに取り残されていた。上に書いた私見は古臭いのでしょう。誰に言われたわけでもない(そもそも誰にも言っていない)が、使われ方を見ていてそのように思います。
 例えば、ツンデレという言葉があります。態度はツンツンしているが、内実はデレデレ、の略だそうです。あるいはツンツンしていたキャラがあるとき陥落して、それ以降デレデレに豹変するという。これは萌えの一形態として、確か去年の流行語にノミネートされてましたが、もし現実の恋愛でツンデレを許容する、あるいは萌えるとすれば、随分寛容な恋愛観の持ち主であるように思われます。
 私の知人にも(男女問わず)少なからずツンデレな奴がいますし、つまるところ「(好きだなんて)恥ずかしくて言えない」という感覚(体験)がある人は、程度の差はあれツンデレ的な要素を持っているんじゃないかと思います。それを許容できる人なら、まず恋愛で(相手がいなくて)困るということはないんじゃないかと。
 ツンデレはじめその他の萌えは、日常からエッセンスを抽出して演出しただけのもので、肩肘はった自己満足とは違うのかもしれない(私自身は支持しませんが)。

 そこで「ツンデレ萌えはモテるんじゃないか」と、上のような内容をかいつまんで友人に話してみたら、それは違うだろうといわれました。二次元でツンデレに萌えることと現実に存在するツンデレを許容することは違うと。二次元でも現実でもツンデレそのものは同じと見て良いほど近い、と食い下がったのですが、そうであれば逆にそうはいかないんじゃないか、お前の理屈だとサスペンス好きは人殺しを見るのが好きになる、とバッサリ斬られました。
 筋が通っていて反論できませんでしたが、(事が恋愛であるだけに)何か釈然としないものを感じます。友人の論調では「モテたいモテたい」と足掻いている世の男は、実はモテたくないということにならないか? でも「それに気付かないからモテないんだ」と返してきそうだ。

 話が反れたので、続きはまた後日に書きます。
posted by LG18 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

合コンで大人気の新ゲームを紹介

 「御館様ゲーム」

 基本的なルールは王様ゲームと同じですが、やや複雑ですのできっちり読んで、ルールをきっちりマスターしましょう! これで彼氏(彼女)をゲットだぜ!

 用意するもの:くじ二組(男性用と女性用)・(刃渡りの)長い刃物(日本刀が望ましい)・(刃渡りの)短い刃物(脇差サイズで)・短い刃物を置く台(正月に鏡餅を置く台がベスト)

 遊ぶ場所:なるべく広い部屋。20畳くらいあれば十分かと。

 ルール:男性、女性それぞれ別のくじを引きます。各くじにはそれぞれ当たりが一本のみあり、男のあたりくじを「御館様」、女のあたりくじを「奥方様」とします。ハズレくじには全て番号が振ってあります(女のはずれくじには番号を振る必要はありません)。
 御館様は、好きな番号に命令することができます(ここまでは王様ゲームと同じです)。ただし、命令は、暗殺(決闘)・切腹・介錯に限られます。例えば、「1番が2番を暗殺しろ」と命令した場合、1番が長刀を、2番が短刀を持ってどちらかが死ぬまで殺し合いが行われます。「3番が切腹、4番が介錯」の場合、台の上に短刀を置いてつつがなく儀式を進行させるといった具合です。
 最後の一人生き残った男が(真の)御館様としてその場に残った女を全てものにできるという、いわゆる一夫多妻制(従わない女は全員処刑)なんですが、ただくじを引き当てれば良いだけじゃないかと呆れるのはまだ早い。

 もちろん、殺されるのに黙って従う人間はいません。そこで、謀反の機会が与えられます。
 <例外ルール1・謀反>
 男はくじを引いた後、部屋の端に一列に並びます。奥方様の合図で、あたりくじを引いた男のみが部屋の反対の隅に置かれた長刀を取りに走りだすことができます。残りの男たちは、最初の合図から3秒後、御館様の暴挙を妨げるべく走ることができます。御館様が長刀を掴めなかった場合、謀反成立で即斬首で次のゲームに入るか、それとも長刀を手にした者が御館様として命令できるか(この場合御館様だけ身元が割れてるから不利である)は事前に決めておいてください。酒が回って走れない場合、誰が御館様を引き当てたかを当てる頭脳戦に切り替えても良いでしょう。
 なお、3秒が守られたかどうかは、女全員の多数決のみにより判断されます。同数の場合は奥方様の票を2つ数えます。これにより最も合理的な判断が下されることでしょう。

 女もゲームに参加できないと面白くありませんよね。
 <例外ルール2・奥方様の諌言および追死>
 奥方様を引き当てた女は、御館様の下した命令に不服がある場合、それを表明することができます。
 「お待ち下さいませ、御館様」
 「なんじゃ、○○(下の名前呼び捨て)」
 「それはなりませぬ」
 「お主、このわしに逆らうと言うか」
 「もし止めないと仰るなら、わらわも××様にお供致します」
 御館様は命令を撤回し権利を放棄するか、命令を執行し女を追死させるかを選択します。

 ――といった具合です。このゲームが終わった時には血の海の中ベストカップル(か三角関係か共存共栄か)が誕生していることでしょう。めでたしめでたし。

 そんなバカげたゲームを誰がやるかってお思いの方。短慮、短慮。以下の記事を読んでみてください。

 <集団自殺? 部屋が血の海 大阪・ミナミ>
 4日深夜、大阪市浪速区宗右衛門町にあるスナック「ヒカリ」で、二階の和室から男女複数の悲鳴が響き、駆けつけた店員が男女複数が倒れ、部屋が血まみれになっているのを発見し、警察に通報した。警察のこれまでの調べによると、男性3人女性1人が部屋で死亡、仲間のうち男2人は窓から逃走したとみられている。現場に残っていた女性4人は警察に保護されたが、極めて重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっているとみられ、警察は、4人の症状が回復するのを待って事情を聴く方針である。
 なお、4人のうちの1人は、「えるじー」という言葉を断続的に呟いており、警察は逃げた男2人の行方を追うとともに、事件との関連について調べを進めている。

 どうも失敗でしたか。タイトルに「50年後」とつけるのを忘れたのは。

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2006年02月03日

ホラー映画の限界について

 何の話って、これは(私にとっては)恋愛の話なんですが。

 純粋に娯楽と興行から考えたとき、ホラー映画で売り出すということは、怖いと思わせてなんぼだということです。日本の場合なら幽霊の類(キーワードは「呪い」)か、あるいは機械が意思を持って人間を追い詰めるというパターンもポピュラーです。何についてもあてはまることですが、手法がありきたりか斬新かということは、話題ではあっても本質ではない。オバケがはいずり回るだけの映画であっても、それが怖い(面白い)と思わせるものであるなら、ホラー(コメディ)映画としてまずは十分です。

 なんですが、怖いと思わせることには限界があるということを思いました。すなわち、死に対する恐怖を越える恐怖は、まあ無いでしょう。実際、死を一切取り扱わないホラー映画というのは、聞いた事がない(むろん観たこともない)。それは「怖い話」でも大抵は当てはまります(たまに耳を削ぐだけとかいうものもありますが、それは恐怖というよりもっぱらグロテスクに訴えていると思われる)。
 その理屈からいえば、瀕死の人間や、あるいは悟りを開くなどして死に対する恐怖が取り払われた人がホラー映画を観ても、退屈極まりないということになりますが、それはひとまずおいといて。

 初めから限界が(観念ではあれ)あるというのは、どうにもやりづらいように思われます。タネの割れてる手品とまでは言いませんが、ヒットが出にくい理由は、苦手な人は観ないという以外にもあるようです。

 私は死にかけのおばあちゃんを2回見ましたが、まあ「リング」の方が怖かったです。(小説を出た当時に読んで、それを最大限怖くなるような環境にして怖がって楽しんで、それからしばらく経って映画版を母と二人で家のテレビで観たんですが、これが大して怖くもなくてガッカリして、終わって「なんやしょうもなかったなあ」って言って母がテレビを消した直後に電話が鳴って、一瞬母と目を見合わせた、という、観てない人には何のことだかわからん話ですが)
 一口に死といっても、死に方や年齢その他、諸々の状況によって恐怖の度合いが大きく違います。他人事かそうでないかという違い(つまり作品の場合、惹きこませられるか)も勿論大きいです。しかし、一番恐怖を感じさせるために重要なことは、生の死や観念の死、つまり自分たちが現実に掴める(あるいは掴んだつもりになれる)死を越える死を描けるかどうかなのだと思います。

 幽霊がよく用いられるのは、存在が判然としないからですが、仲良くできるのであればこれは全く恐ろしくない(私は根本的にそう考えるから幽霊がはいずり回る映像を見せられてもあまり恐ろしくないのですが)。そこで幽霊は敵役と決まっているのですが、幽霊がナイフを持って追いかけてきてもやはりイマイチ恐ろしくない。なんだか判然としない方法で殺される方が、頭で理解できないことと身に迫る危険が増大することで恐ろしい、てなわけで「呪い(殺す)」ということになる。

 うーん。やはり限界があるかと。次やれることといったら映像に工夫を凝らして臨場感を持たせることぐらいですが、そんなことはそちらでやっていただかなくても、観てる側だって怖くなきゃ面白くないんだから一生懸命入りこもうとしてるんで、それだけで解決するほどの要素ではないです。次はグロテスクに訴えて、次は倫理に訴えて……小難しいこと言ったってどうせわかんないしなあ。

 天国のイメージは曖昧だが、地獄のイメージは鮮明で、バリエーションも豊富だとよく言われますが、幅はあっても高さ(限界)が決まってるというか、鮮明なのが逆効果というか。

 例えば合コンで「恋バナ」っていってこんな話したとしても、それはそれは興ざめでしょうけども。
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2006年02月01日

捉え方の問題

 「三人で宿屋へ泊まりましてね」
 「いつの話」
 「解り易い様に簡単な数字で云いますけどね、払いが三十円だったのです。それでみんなが十円ずつ出して、つけに添えて帳場へ持って行かせたら」
 蕁麻疹を掻きながら聞いていた。
 「帳場でサアヴィスだと云うので五円まけてくれたのです。それを女中が三人の所へ持って来る途中で、その中を二円胡麻化しましてね、三円だけ返して来ました」
 「それで」
 「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあったのです。十円出した所へ一円戻ってきたから、一人分の負担は九円です」
 「それがどうした」
 「九円ずつ三人出したから三九、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆て二十九円、一円足りないじゃありませんか」
 蕁麻疹を押さえた儘、考えて見たがよく解らない。

 「阿房列車」内田百間著(ちくま文庫)より抜粋
(解いていただくために書いた問題ではありませんので、適当に読み流して先へ進んでください。)

 吉井和哉の新曲、「BEAUTIFUL」を聴きました。
 私がつゆどんを初めてはや10ヶ月、未だに表現できないでいることを、41/3(よんかさんぶんのいち)分で表現されてしまいました。

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 否、そうではない。私が20云年かけて表現できなかったことを、この人は30云年かけて表現しているのだ。まだ負けとは決まっていない(負けって何だ、負けって)。

 *念のため断っておきますが、歌詞についてではありません。ですので、ライナーを読んでも得られるものはありません。うたです。(41/3分とか30云年というのはそういう意味です)

 ノロケに付き合う
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2006年01月28日

人という字は、互いにもたれあってできている(仮)

 ご無沙汰でした、というほど日は空いてないのかも知れないですが、最近つゆどんを訪れてくださる方が増えているようで、それが自意識になっているのかいないのか、中途半端に書きかけては消すということを繰り返しておりました。どうも書くときのノリを忘れかけているようなので、こういうときは勢いだけで乗りきろう! ……以前にもそういうことをやったことがありますが。

 仕事中に聞いたハイロウズのベストをレンタルしたいと思って店に行ったらなかったので、ブルーハーツのベストアルバムを2タイトル借りました。そのうちの1つは2枚組なので全部で3枚あります。現時点では2枚組の方の1枚しか聞いていないのですが、ライナーを見ると、「情熱の薔薇」が(そのアルバムの中では)一番古くて、一番売れています。というより、他のシングルがふるわない。年を経るごとにますます売れなくなっていってますが、他のほとんどのシングルがオリコン最上位30位以下で、10週もってないことから考えると、結局「情熱の薔薇」だけで持っていたのだと思われます。ちなみにこの曲はその年の年間チャートで5位以内に入っていた記憶があります。
 結局、90年代以降は「情熱の薔薇」一発で終わったということのようです。

 興行の話はこれくらいにして、ブルーハーツ、というか甲本ヒロトの魅力って何なんでしょうね。単調なメロディ、コード進行、リズム。特にどうということもない、むしろ作品によっては作為が鼻につくような歌詞。声がそんなに良いとも思わない。なのに惹かれる。
 「情熱の薔薇」は名曲です。私は今回、ベストばかりCDを3枚分も借りたのに、それでも「僕の右手」も「人にやさしく」も、「歩く花」も入ってない。思うに、キムチみたいなもんですかね。キムチって、何と合わせて食べても大抵食える。なぜかって、何と合わせても結局キムチの味しかしないから、キムチが嫌いでない限り、食える。ベストを何枚集めても足りないと思わされるのは、個人的にはビートルズ以来じゃないかと思います。こうなってくると、好きなのか好きでないのかも良く分からない。

 言葉で表せない魅力は多くの若者を惹きつけ、興行のふるわなかった曲の寄せ集めも今や名盤です。彼(ら)の影響を受けたと公言するバンドは無数にありますが、その大半はとても聞けたものじゃない。じゃあ何が違うのかって、確実にいえることは人が違うということぐらい。私はイミテイションが嫌いですが、中途半端なオリジナリティはむしろ邪魔だと思わされたたほどです。今でも聞いてるのはスピッツぐらいでしょうが、それとて模倣に作為を思わせるような、ひねくれた模倣です。むろん、(外形のみの)模倣によって浮き彫りになるほどのオリジナリティがあるから成り立つ技なんですが。

 そうです。その通りです。別にブルーハーツを語りたいわけじゃあない。
 よく分かってないですしね(笑)
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2005年12月24日

Light and darkness at the Merry Christmas (三者三様のクリスマス)

 (この記事を書いているのは26日の夜です。済んでからクリスマスも書いてて苦しいですが、そのへんは推察のほどお願いします)

 1.クリスマスといってもバイトだし、なかったところで予定は無いので関係ない。いつも通り仕事をこなしていたら、女子高生が店の入り口近くにじっと立ってるのが見えた。友達でも待っているんだろうとその前を通りかかると、どうも私を見つめているようだ。その子がかわいいこともあって、思い過ごしだろうと思っていると、何度目か通りがかったときに目を伏せたまま両手を真直ぐこっちへ突き出してくる。その手はしっかりと手紙を握っていて、私がそれを受け取るとその子は一目散に去って行った・・・。

 書いてて無理がありました。あることはないことのように、ないことはあったかのように書くとは言っても限界があるようです。

 2.24日の朝の会話

 トラックの運転手「いや、来ないよ。 というより来たらつかないから買う意味がない」
 術師「いや、ディープは外せない。2着3着で稼ぐ」
 LG「明日ですか! いや、ディープは来るでしょう。(術師に)3連単ですか?」
 術師「もちろん」
 運転手「古馬相手じゃ叶わんって」
 LG「そうすかねえ」
 運転手「今年は荒れる」
 術師「牝馬ボックスは買っとこう」
 LG「(笑)無いですてそれは」
 術師「(笑)いやいや」

 当日行ったらずるずる買い足してしまうのでこの日に買いに行って当日は自宅でのんびりと観戦することに決めました。私の予想ではディープとロブロイの3着以内は間違い無い(因みに1着がディープで3着がロブロイ)ので、3連復の軸2頭ながしで相手に2、9、10、14、15の5点買いにすることを20分ほどで考えました(まあガチガチですけども)。でも友人に6の単勝を頼まれてたのでそれを含めて5点にしようとして、思案のすえ10番のハーツクライを切りました(今から思えばジャカンパックをラジオしか聞かなかったのが失敗だったのかもしれません)。
 まあ、どう転んでも軸のノロイ君(友人命名)が掲示板にも来なかったんでお話にならないですけどね。引退試合でスッたのはタイキシャトル以降何度繰り返したかしれませんが、だから今回は3着と読んだんですが……無念ですねえ。正直に言って私個人としてはディープが負けたことよりロブロイが着外だったことの方がショックですね。

 その日の晩友人に、頼まれたハズレ馬券は捨てておこうかと言ったら
 友人「ネットで売れるんじゃないかな」
 LG「ハズレたのに?」
 友人「だって無敗の3冠馬が初めて負けたレースの馬券やろ?」
 LG「……なるほど。でも買った人間は多いだろう」
 友人「でも捨てた人間も多いだろう」
 LG「……。(絶句)」
 友人「でも同じこと考えてる奴は多いだろうから大した値段にはならないかもな」
 いや、あの、もともと無価値なものですから。そこ間違えないように。

 純粋に勝馬投票券としか見てなかった自分にとっては予想外の発想でしたが、価値のないものに価値をつけるのが好きな世の流れ(?)から言えば、100円くらいはつくのかも知れません。まあ、今後ディープが負けるか否かによって価値は大きく変わるでしょうが。私は友人の、文字通り転んでもタダでは起きない発想に新たな一面を見た思いがしました。
 翌朝(26日の朝)バイトに出ると術師が単勝10番と2番千円づつの馬券を見せてきました。
 術師「ジャパンカップで負けたとはいえ、アルカセットのアホみたいなレコード勝ちに付いていった馬が17倍って、見る眼ないよな(笑)」
 このオッサン6からの3連単じゃなかったのか。
 術師「ペガサス(2番)は直前に克に乗り替わったからなあ。蛯名やったら勝ってたかもしれん」
 LG「2は買いましたけどね。」
 この先少しオッサン同士の会話が続きました。術師は有馬記念ではやや勝ったものの、その後のレースで負けたらしく、結局今回もJRAの一人勝ちだったということのようです。

 3.「smaily 泣きたいーー ときにはーー そおとそーばーにいてあーげよっ 笑ってー (いぇい!) 笑ってー(いぇい!) 君のえーがーおーが見たーい♪」
 ここに居合わせていることが「泣きたいとき」だわ。

 数合わせの合コンに顔出しただけのつもりがこの始末。
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2005年12月16日

「女性の皆様に恋愛の講釈を垂れる」の巻

 女性誌は大学時代教室に転がっていたM○REぐらいしか読んだことがなくて、だいたいあたり障りの無いことばかり書いてるなあという印象でした。総じて時間潰しのためのものでした(もっとも、10分もてば良い方ですが)。最近本屋の仕事をするようになってから、付録を組む時に覗く限りで一番面白いのはセブンティーンだと思ってました。ところが今日、それを超える雑誌に出会いました。

 n○nno。

 ラブホに入ったら靴を揃えてお嬢様を演出、お茶を淹れて気のきく女を演出、服はきれいにたたんで家庭的な女を演出! 年末の忙しい仕事のさなかに思わず吹き出しそうになりました。倦怠期は思い出話で乗りきろうだって、無理無理。男が本命だと思う瞬間に「台所でエプロン姿で振り向かれたとき」だって。笑える度合いがセブンティーンの比じゃない。まだまだありました。これらを読んで本気で参考にしてる人がいたとしたら、もはや気の毒すぎて笑えない。
 私はこう見えても結構女っぽい性質ももってるんですよ。今はそうでもないけど、かつては女の子から呆れられるくらいに。でもそれはかなり内的な部分であって、行動としての女らしい部分というのは全く理解できない。

 好きな相手に好かれるようになりたい、そのためにできることを惜しまない、という思考パターンは非常に共感できます。しかし、男の求める「女らしさ」というのはそれほど形式的なものではない、といえばいいのか、靴を揃えるくらいは当たり前であってお嬢様でも何でもない、といえばいいのか、ぶっちゃけそんなとこ見てるわけないから常識の範囲内でこなせばいいだけ、といえばいいのか。どのように言っても言いたいことからそれますが、私の言いたいことは今上に挙げた3点を頂点にしてできた三角形の重心あたりにあります。端的に言って「浅ましい」で表せるのですが、これでは悪意に取られかねないので。悪意なんですけどね。

 どうすれば相手に好かれるのかなんてことが言葉で表せるのであれば、誰も苦労はしません。恋愛術なんてものは占い程度に割りきって(例えが悪い!)、一般論として流しておくのが得策です。
 しかし、無意味無意味で終わるのも無責任なんでとりあえず一点だけ、まあ大抵の場合に当てはまる心がけを一つ挙げておくと、見かえりを期待しないということですね。これが徹底できれば絶対成就とまでは言わないまでも、無様な最期は避けられるはずです。
 でも、私の偏見によればnonn○をまともに読んでる人というのは、無意識のうちに見かえりの勘定で動いて、おそらく自覚すらないレベルだろうと推測します。つまり無理だということですね。
 恋無しでは生きられない、とまで見事にマスコミの餌食となっている方々へ、ささやかながら健闘をお祈り致します。
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2005年11月24日

追手

 俺がさゆりを、ああ、トランペットの名前だ、こいつを吹いてたら、向こうから落ちつき無く歩いてきたんだ、そいつが。歩くリズムが機械みたいに一定で、タッタッタッタッて。メトロノームみたいだったよ。そんで斜め下を見て、こう、膝を曲げずに脚をまっすぐ前に出して歩く感じだ、異様だろう? でさ、晴れてんだ、カンカン照りなのに傘持って。それを両手ごと左右に振りながら歩いてんだ。そうそう、大げさにやるとそんな歩き方だ。腰がひけて猫背でさ。
 で、俺が「IN THE STAR,IN THE HEVEN」のメロディを吹いたら、首をこう、クッと上げて俺の方を見たんだ。びっくりしたよ。でもちょっと俺も嬉しかったから、アドリブを披露したんだ。そしたら急に睨んでる感じになってさ。怖かったよ。でもまあ、俺の方へ向って歩いてきてるわけでもないし、続けて吹いてたらそのまま行ってしまったからね、何ということはなかったんだけど。
 警官A「やはりLGですか」
 警官B「そのようだ」
 なんだえるじーってのは。
 警官A「その歩いていた青年の名前です」
 そいつがなんかしたのか知らねえが、それよりなんで俺がそいつのことを見たってことを知ってるんだ、そいつはただの通りすがりでそのとき以外俺は見たこともないし、はっきり言って迷惑だよ。
 警官B「それはいつのことでしたか?」
 ええ? 一月くらい前じゃないか? ……ええと、そのあと孫がハロウィンだって言ってたかな、、、確かそうだったと思うが
 警官B「間違いない。行くぞ」
 警官A「ご協力ありがとうございました」
 あ? おい待てよ! そいつが何したんだ!

 ・・・まあどうでもいいか。なあさゆり
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2005年11月23日

レシートの裏に走り書き

 あれから一年・・・くらい経つのでしょうか。頂いたメールは大切に保護してましたが夏にその携帯を壊してしまいました。本当に、いつのことだったのか、あったことすらも、今時分の雲のようにはっきりしません。
 先日、街で偶然お姉さんに会いましたよ。私がどもりながらユンケルを買いに来たと言うと、田舎者だと笑われてしまいました。相変わらず凛々しい先生でした。あなたもきっと相変わらずなのでしょうね。
 いや、私はあなたが相変わらずであることを知っているのです、どこかでたしかに。
 どこへ行けば失恋させてもらえるのでしょうね。それを私は未だに知らないでいます。

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2005年09月16日

それでユンケルは買えたのか

 LG18(以下、LG)「あ、内田先生! お久しぶりです」
 内田水菜(以下、水菜)「やめてよ先生だなんて。水菜さんでいいわよ」
 LG「…水菜さん、お久しぶりです」
 水菜「元気そうね。今日は?」
 LG「はい。ユンケルを買いに」
 水菜「野暮ねえ。何に使うのよ」
 LG「山登りするつもりなんで、備えとこうと思いまして」
 水菜「昇るのはベッドだけでいいわよ」
 LG「は?」
 水菜「二段ベッドなのよ」
 LG「はあ。…それで先生は、何を?」
 水菜「そうね。LG君がユンケルなら、リゲインでも構わないんだけど、今日は香水を買いに来たのよ。」
 LG「香水ですか…」
 水菜「あら。女がなぜ香水をつけるか知ってるかしら?」
 LG「自分の体臭を消すためですよね」
 水菜「それじゃ逆よ」
 LG「え?」
 水菜「香水は、自分の匂いを相手に残すために使うのよ」

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2005年08月28日

ユンケルを買いに戻る

 高校のときの世界史の先生があるときふと「国が滅亡するというのはどういうことなんでしょうね?」と呟いて、続けて「そのときそこにいれば分かったんでしょうかね」と呟いたきり次の話に移ったことをときおり思い出します。1コマの授業で大小にかかわらず10以上の国家が滅亡することもありました。私の知人にも韓国人の3世がいて、そいつはハングルも全く読めないし言葉も日本語しか喋れないけど、頬傷(左頬の十字傷)について尋ねるようでお前は何人なんだと正面きって聞けないまま途切れたのがいました。曖昧大好き日本人ぶるLG18ですこんばんわ。あと日和見なところも。

 最近大阪近鉄バッファローズという球団がなくなりましたが、私の触覚の届く範囲内では最も「滅亡」に近いのはあれだろうなと思いあたりました。若造のたわ言ですが、属していた組織が消滅し、かつこれまで仲間だった者同士が争いあうこと。これが滅亡の私なりの定義です。

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2005年08月21日

登山口で乱闘騒ぎ(1) 〜幸せ・・・なのか?〜

 女ハ濡レ易ク愛成リ難シ。
 作られる思い出ならば金平糖噛んで砕けて「恨みーまーすー」
 電撃入籍、スピード出産。「短い人生そんなに急いで…」老人のたわ言

***

 兄の婚約の儀は来月初旬にしめやかに営まれる予定です。
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2005年08月11日

れんあい山のふもと

 立て続けに携帯を落としたり壊したりする私に友人が「お前は彼女ができても信用されないんじゃないか」と言いました。
 私「なんで? こんなにも頻繁に物を落とすような人間は(分別ある大人として)信用できないってこと?(それなら分かる)」
 友「そうじゃなくて、浮気してると思われるんじゃないかってこと」
 私「うわ。そんなウザい人間いらんわー」

 軽く受け流しましたが内心はかなり驚きました。他人はそんな風に物事を解釈するものかと。私は浮気するとすれば「これからちょっと浮気してくるわ」って言いますけどねぇ。いざそうなったら言えない? さぁそれはわかりませんが、とりあえず自分がしたいことをする為にそんな回りくどい嘘を吐くのは面倒です。大体結婚もしないうちから浮気という概念があること自体が理解できないです。泣いてる人には悪いけど、あなた自身の責任だと私は思います。

 もう1回! 

「俺は88センチDカップでないとダメだから」なんて誇らしげに『語る』男を見かけます。私に言わせれば、だったら88センチちょうどでDカップのマネキンを抱いて寝れば良いんじゃないかと思いますね。ブラウン管の向こうのアイドルについて熱く語るのもほどほどに。自分が何か勘違いしていることに気付いてください。
 私はまず人間でないとダメです。次に上に挙げたような人間はダメです。河豚のLG18ですこんばんわ。

 男と女ではない、人間と人間。あなたとわたし。それがわからないうちは単なる自分の押し付け合い。
 ・・・だと、思います(笑)逆もまた然り(いろんな意味で)。
 さて、このブログでは避けて通れない山にぼちぼちかかりつつあります。分かりやすく言えば『恋愛』について、ですが、私のなかでは世間に言われる恋愛より広い概念でこの山を捉えています。人間関係は信頼関係であって、恋愛もその一部でしかない、というのが私の哲学です。これは世にも広く言われていることですが、それを実践のレベルでも反映しているケースは少ないように思われます。・・・ということは、「恋愛に成功するヒケツ」なんてタイトルで本を書けば儲かるのかも知れないですが。まずは己が成功しろよ、ってね

 冒頭部分を読んで既に反感を抱いてしまった方には聞き入れてもらえないかもしれないですが、落ちついて考えて、「自分の彼氏(彼女)は自分以外の異性を好きになってはいけない」「自分は88センチDカップの女でなければ女と認めない」というのは、単に自分の願望を他人に押し付けているだけです。そんな器の小さいことで他人から慕われる人間には到底なれないですよね。自分の願望を相手に望むのは鏡を見てからでも遅くはない。
 ・・・と、思います(笑)
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