2007年03月13日

パンドラの布団

 夜中に仕事が入ると、飛び起きて現場へ向かわなければならない。昼間と違う点は、寝てるか起きてるかだけの違いだけだから、わざわざ書くほどのことでもない。経験が絶対的に少ないことを考えれば、先輩社員のアドバイスが聞けないことも夜の仕事の難点だろう。
 また、病院で亡くなる人が圧倒的に多い昨今においては、自宅で亡くなった人を相手に仕事をするのは、一苦労なのだ。病院がしてくれることを自分でしないといけない。

 先日、夜中に自宅で亡くなったと電話が入った。行ってみると、布団を被っているが、警察の検視が入ったため、服を着ていないという。頼まれたので仕方なしに浴衣を着せることにしたが、下着を着けないわけにはいかない。
 蛍光灯が煌々と部屋を照らす。「テンション下がるなあ」と2,3回言ってくれる先輩はいない。臭気は言うまでもない。
 恥部から目をそらして着せることができないわけではないが、好奇心が勝った。そして私は布団をめくった。

 私が×回目に女性器を見たのは、50代の女性で、死んだ人のものを覗き見た。反射的に視線を反らしたが、間に合わなかった。その言い方は、見ようとして見た者にしか、当てはまらない。
 ×に1が入らないのがせめてもの救いであるが、若い数字には違いないし、何より回数の問題ではあるまい。精神に次いで、肉体においても「女性」に期待するものを見失ってしまった。
 生きてる若い女性の性器であろうとも、(多少なりとも)盲目でなければ正視できるものではあるまい。気づいたのが遅かった。
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2006年12月14日

骨(後編・人の砕き方)

 お客様から粉骨を依頼されたのですが、これまでは斎場(火葬場)でやってくれるところを、今回はやってくれませんでした。

 袋に入れてハンマーで砕くとか、すり鉢でゴマのようにするとか、思案の末我々が採用した方法は。



 (……もうちょっと引っ張った方が良いですかね。)



 市販のジューサーミキサーを買ってきて、ガリガリっといきました。
 新品なのに、故障しても保証書が使えないなと苦笑しながら。

 あっけないほど、ものの数秒で、見事に粉骨ができあがりました。我々の結論は。
 「斎場でもこれに似たものを使ってるんだろう」
 専門の道具とか、そんなものはありません。少なくとも(一応地域では中堅で通っている)ウチにはありません。
 この仕事をしていると、因果な商売だなあと思い当たることが多いです。
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2006年12月13日

骨(前編・人の焼け方)

 A「まず、人体をご用意下さい」
 B「一体です」
 A「これに下味をつけていきます」
 B「塩200グラム、しょうゆ(濃口)1リットル、ごま油大さじ2杯です」
 A「まずは塩をもみ込んで、全体に馴染ませていきます」
 B「ごま油は香りですね」
 A「ではこれを焼きます」

 ……随分引っ張りましたが、これは「人の焼き方」です。読んでわかるとおり、別段のことはありません。

 先日、めったに使うことの無い、遠くの火葬場で焼いてもらったところ、見事な白骨があがりました。ドクロもそのまんまですが、もとあった位置にはなく、仰向けの首にちょんまげが触れるような位置関係で、ドクロがまっすぐこちらを見ています。斎場の係員が動かしたんでしょう。
 「こちらが、顔の骨ですね」 誰でも分かる。

 故人さんが骨太であることは確かですが、焼く温度によって残る骨の状態は大きく異なるということを体感しました。どのみち壷に入れる段階である程度砕くほかは無いんですが。

 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに――私も葬儀屋です。同時に人間です。
 われやさき、ひとやさき、今日とも知れず、明日とも知れず。あなかしこ、あなかしこ。

 参考資料(外部リンク)
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2006年10月24日

ありがとう・#2〜仕事を転がせ

 就職して3ヶ月が経ちましたが、まだ上手く折り合いがついていないところもあります。(社会人として?)求められることも多いですし。そのことについて私の方ではあまり気にしていないのですが、それを良く思わない上司もいるので、最近では気の細いフリをする術も覚えました。
 一方で私が本当に心を砕いていることについて全く気づかれないこともあり、「まあそんなもんだろう」とため息を吐いて帰っています。愚痴だけは一人前の社会人になりつつあるLG18ですこんばんわ。今事情があってワードで文章を書いてネットに貼り付けているのですが、「こんばんわ」と打っても勝手に「こんばんは」となります。洋モノのくせにつくづくお節介なソフトです。

 それでも徐々に馴染んでいるのか、公務員を目指していた(本当は司法試験突破なんだが)ことも人づてに大分広まったようで、勉強してるのか焚きつけてくれる人もいます(社会へ出てから「もっと勉強しときゃよかった」という人は、年齢や性別に関係なく、実に多い)。確かに今の職場では出世は望めないのですが、どうなんでしょう、公務員。未来は明るいのかねぇ? 公務員試験には(一次の筆記を突破すると)面接があるのですが、一般就職のようにそういった点を質問して良いものか?
 試験まであと半年あるといっても、この3ヶ月はあってないようなものだったし、このまま行けば気がついたら試験日となるのは明らかです。その点今から考えれば去年まで勉強していたのは趣味だったというのが良く分かる(まだ仕事も趣味のレベルを越えていないが)ので、時間が無いのは必ずしも悪いことではないけれども。まだ途は公務員だけではないのでそれも考えなきゃいけないし。
 今の位置に必ずしも満足していないことは自覚しているが、それが単なるないものねだりなのか、向上心なのか、あるいは甘えなのかが分かってないので、とりあえず働こうと思ってはいるのですが。それが仕事に反映されないのは至らないところです。

 要するに、あんまり真面目に働く気が無いです。6歳のときから、仕事には人生を見出す気がありません。それを要領良く隠して、仕事をそれなりにこなすようになれば、というところです。
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2006年09月30日

初任給

 「給料は銀行口座に振り込まれ私の価値が数値化される」森本平

 額面は悪くはないものの、年金やら税金やらを取られて、手取りはわずか1●万。落胆と諦めの混じった気持ちで友人に愚痴ると、「(給料に不満があるというのは)自分の客観的な価値を受け入れられていないということだ」とバッサリ斬られ、やるかたもないLG18ですこんばんわ。所詮初任給のくせに偉そうなこと言いましたよわたくしも。

 親へ感謝の気持ちを数値化して贈ると、私のHPはさらに目減りします。RPGにしてもSLGにしても、数字だけのゲームだなということを今更ながら知りました。ゲームだけでなく、人が死ぬときも皆機械を見ている。
 数字が人生における武器なら法律は盾と言えるでしょうか。

 大人の階段は60段目。上り続けているわけではない証拠に、未だ1階にいます。まだまだ(減らず口を叩く)元気はあって、それだけが取得です。
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2006年09月07日

リアル

 我々の業界(葬祭業)には、決まり文句の一つに「お力落としのございませんように」というのがあります。しかし、新人風情にはなかなか舌の回らない言いまわしなので、当面のところ私は「お疲れの出ませんように」と言って切りぬけています。もう何が言いたいかお分かりかと思いますが。

 こっちはすでに疲れが出とるけどな
 そのうちお力も落ちるからフリすら要らない
 話は変わりますが、美少女ゲームなどによくあるパターンで、主人公(プレイヤー)の発した一言で途端に仲良くなったり、悪くなったり、思わぬ展開を見せる場合があります。あれは実は現実にも起こりうることだということを最近になって(関連づけて←そんな必要はない)自覚しました。一言で心情までは動かせないまでも、話題の展開の方向に大きく影響するもので、聞きそびれたことは後になっても聞けないこともしばしばです。
 今ごろになってそんなことに感心しているようでは「無神経だ」との指摘を受けても仕方がないが。
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2006年08月28日

はじめての霊柩車(とその世界)

 おつかいじゃあるまいし、初めて乗ったときはもう最期だっつうの。LG18ですこんばんわ。

 霊柩車に乗りました(仕事で)。感想はただひとつ、「リンカーンは乗り心地が良い」これに尽きる。比べれば帰りの軽ワゴンの揺れで酔いそうになりました。社内では「柩車」と略すのですが、私にとっては「厩舎」にしか変換されないし、これは変わらないと思います。余談。

 火葬場へ着くまで霊柩車の運転手と話していて悟ったことは、「偏見は儲かる」という真理でした。話は入社前の面接に遡ります。

 面接官「この業界には偏見も根強く残ってますが、そういう業界へ進む理由を聞かせてください」
 LG「私自身そういった偏見はありませんし、これから死に対する負のイメージを取り除くことによって、ビジネスチャンスは拓がるものと考えています。」
 (要するに将来性があるからだということを話しました。流れのなかの答えであって、それほどの理由ではないが、今それは関係無い)

 なんと甘ったれた発想か。本当に儲けたいなら人には疎まれ蔑まれ後ろ指さされるくらいの方が良いのだ。需要があがるということが即利益に繋がるとか、需要だけが将来性の指標となるとか、たいした意識もせず安易に需要を崇拝していたことが誤りであったと気付きました。

 運転手「そりゃ、昔はボロかった」
 どれくらい?
 運転手「チップだけで月5,60万あった」
 うわお。
 運転手「それだけで十分食っていけるわな」
 ですよね。
 運転手「もちろん給料もたくさんもらってたしな」
 なぜ?
 運転手「やっぱり偏見はあったから。『人が嫌がる仕事』ってね。今はあまりそういうのはないね。それに今はチップなんかまず無いし……」
 無いし?
 運転手「……給料も安いし、それでも若い子はどんどん入ってくるし。昔の甘みを知ってる人間としては、やっぱり辛いよなあ」

 偏見だけでなく、時代も多分に影響してのことと思われますが(ともかくも「部落(差別)がカネと結びついている」という新聞記事や論評よりも実感のレベルは違う)、いずれにせよそれだけ稼いでいたその人がなぜ今定年過ぎてまで働く必要があるのかは、ついに最後まで聞けませんでしたけども。
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2006年08月23日

社会人 20%

 私は勤め始めて20日余りになりますが、勤めてから1滴の酒も飲んでいません。要するに、新歓はおろか誰一人誘ってくれる人がいないということです。私の兄は社内接待の餌食になって、度々夜遅く帰っては延々愚痴をこぼしていた(今は結婚しているから別所帯で愚痴っている)が、全く無いというのもそれはそれで寂しいものです。その意味でも社会人になりきれていないLG18ですこんばんわ。まあ若い人が中心の職場だし、そんなものかもしれませんが。

 とはいえ、やはり自分の意識は違います。たとえば玉突きをしていても、学生の頃は適当な時間潰しという面があったのですが、今は、むしろ以前よりも時間潰しの意味合いが強いにも関わらず、練習に気合いが入っています。一人で打つからかもしれません(もともと一人で行動するのは苦手なんだが、今は時間の合う仲間がいない)が、なんとなく、「良い大人が『適当に時間潰し』なんてガラじゃねえだろ。やっぱりそれなりに打ってないとみっともない」という気はします。

 研修中の現時点においては、仕事に特に充実感を感じているわけではありません。やたらに社会人を意識するのは、そのへんの埋め合わせもあるかもしれない。勉強していた頃は逃げ出してばかりいたけど、逆に言えば今は逃げ出したくなるほどの苦境にあるわけではなく、一抹の物足りなさを感じているところはあるかもしれない。こういった意識が2、3年経っても消えないようならさらなる苦境を目指すべきでしょうが、今はまだ見極めるには早すぎるから、余った情熱は玉突きにでも持っていくしかない、とでも思っているのかもしれない。

 いつか目当ての女のコの前でカッコイイとこ見せられたらと(俗っぽいこと)も思わないではないですが、そこへ行くまでにはまだまだ。それと、学生時代に何度も経験したことですが、世の女の子はほとんどビリヤードのことをまるで知らない(から見所も知らない)。はっきり言って、カラオケ(それも「いまどき」の曲)を練習しておく方が得策なんですが。私はそこまで妥協できるような人間ではないので。
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2006年08月11日

ナムアミダブツも唱えたくなる

 所詮入社十日のウブの新人は、机に向かってお勉強の日々なんですが、今日初めてお客様の死に顔を見ました。

 ひきました。情けない。

 自分に縁故の無い人間の死に顔を見るのは初めての経験です。これから死ぬほど見ることになるわけですが。
 でまあ、式にも何度か立ち合って、思いもよらなかった感情が自分に芽生えていることに気付きました。

 自分が死ぬなんて露ほども思っていない。

 言葉で説明できないんですが、理屈で言えば、他人の死に触れることがより自分の身に迫る意識を遠ざけるというか。かぎかっこ付きの他人事に業務として接しているというか。どだい70、80の老人ばかりだしなあ。

 でも、厳密には少し違うのですな。自分はどこかでわかっている。分かっていて、保身のために、意識しないようにしているのだと思う。死をも恐れぬ青年が、俄かに怖じ気づいて凡人になりさがったというような形態ではなく、破れかぶれの蛮勇(それは恐れていることにすら気付かずにいたのかもしれない)では敵わぬことを自覚し、いずれは恐怖を内に抱えつつ、傍において受け流す境地へ至る第一歩だと、かように思いたいわけで御座いますが。

 死ぬまでに達成できるだろうか。
posted by LG18 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

初仕事(2)

 溝口ハツ江様 享年84 死因:前立腺癌(肝臓に転移) 謹んでご冥福をお祈り致します。

 私は人の死に際してみだりに涙を流すのは愚行だ(自分が悲しむことが死者を悼むことではない)という考えを持っていて、比較的近しい人を亡くしたときもやはり涙を流すことはしませんでした。そんな人間が業務上他人である人の死に接して気をつけたことといえば、もっぱら壁にもたれて誤って部屋の電気のスイッチを切らないことだけだったのですが、いざ現場に出て驚いたことは。

 時間が計ったように1時間ちょうどであったこと。

 イヤ、計ってるんですけどね(笑) それにしても寸分の狂いもなく事が運ぶのを目の当たりにすると、また職員がそれを当然のこととして受け流しているところに触れると(それがごく自然だということが頭では理解できるが)、抵抗を感じずにはおれません。言うても人の子LG18ですこんばんわ。

 人が死んだと聞かされて悲しむ。布団に横たわっていた遺体が棺に収められて悲しむ。出棺の前に棺を開いて悲しむ。焼かれる前に火葬場で悲しむ。骨拾って帰ってきて初七日をやるとすでに大方過去の人になっている。今までの経験と「段取り」が全て同じで、他人のことながら本当に悲しんでいるのか怪しいものです。

 生き残る側の理屈であるということを当然の前提として、若くして人を亡くすのは不幸だといわれますが、もっと不幸なのは年をとってから人を亡くすことです。私は臆病だから死に損なう気がするのですが、時間引っ張って葬儀社や火葬場を困らせる骨のある知己に見送られたいものです。
 大切な人は、命と引き換えであっても自分が見送る側でありたいものだが。
posted by LG18 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 仕事の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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