2007年02月07日

読む方にさえ支障なければ。

 知らないうちにブログが一新されていて、自分のCSS(外枠)が(新しく)使えなくなっていた。

 どうということはないけれど。
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2007年01月23日

忘れていた、というわけではないが。

 今年の目標。
 ――を考える前に、せっかく去年書いたものがあるから、それを振り返ってみる。今まで目標を立てたことは何度もあるが、振り返って達成度を検討したことがなかった。立てっぱなしはいけない。
 ――と真面目ぶっても何も変わっちゃいないLG18ですこんばんわ。久しぶりだと決まり文句も書きづらい。

 去年の目標はこちら

 1 友人と絶縁するようなハメには……なっていない。絶縁するほど友人がいない、って、ネタ被ってる上に、一年経っても変化なしかい。いやいや、去年新たに友人が数人、それも女の子ばかり。うへへ。……しかし「数人」はサバ読んでるだろう。ともあれ目標達成。

 2 試験に受かる →失敗。但し就職したので、現段階での収入は目指していたどの試験に受かるよりも多い。どちらとも言えない、としておこう。

 3 時間を有効に使う →まあ一応達成か。どっちでも良い(投げやり)

 4 一年を振り返って―― →どうだろう。友人から見たらきっと、多数が良いと(お情けも含めて)言ってくれるだろうから、まあ良いだろう。

 振り返ると、去年はかなりいい年だったらしい。それまでがひどすぎたからそう見えるだけかもしれないが。試験に落ちた日に就活に出て、1社だけ当たってすぐ働けた。一年(の自分の行動)を一文で済ませられるというのは、幸せなことだろう。愚痴は一文では済まないだろうから。

 今年の目標は……一年を一文で表せること、にしよう。なるべく短く。
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2007年01月12日

真実

 たとえば、よく言われることを試しに実践したとき、心から実感すること。


 金を貯める極意はひとつ。

 使わないこと。
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2007年01月03日

「老兵は……、老兵は、ものを忘れる」

 司法試験やロースクールの受験勉強をしていた頃にお世話になった弁護士から、年賀状が届いていて驚きました。自分は正月関係なく仕事があるので年賀状のことも頭から抜けていたのですが、本当にお世話になった人だし、また年賀状の交換だけでも意義深い付き合いなので、早速返事を送ろうと勤務先に年賀状を持ち込んだんですが……

 「旧年中は、大変お世話になりました……」旧年中? 去年だったか?
 ――自分がいつ勉強していたのか覚えていない。

 そんなときこそこの「つゆどん」、勤務先からでも一発検索! ……見ても思い出せない。いやしかし、結構長い期間続いていることに感心しました。
 ――そんなことに感心している場合じゃない。去年8月に就職、6月に公務員試験、その前は、その前は……
 どうやらこの男、2005年(一昨年)は司法試験とロースクールと、裁事の試験を同時に受けているらしい。受験生なんだからそのくらいは当然だといえばそうかもしれないが、良い年して進路も決まらないで(*注:試験合格までは、というのもあるが、自分はじめ多くの受験生は複数の進路を併願している。しかもロースクールは入学してからが本番なのだ)勉強し続けるなんて、並みの精神力ではとてももたない。当時の実体験としての記憶はすでに風化しているが、さぞかし大変だったと思う。自分は(今から思えば)趣味で法律を勉強していたに過ぎないから、より痛ましい。
 すっかり葬儀屋のブログに成り代わってしまったが、もしまだこれを読んでいる受験生がいたとしたら、まずは心から労いたいと思う。私には(受験生としての記憶はなくても)受験生の気持ちがわかる。そして一言付け加えるなら、もし「ダンコたる決意」ってのがなかったら、諦めて良いと思う。負けを認めることが潔いわけではないが、悪いことでもない。

 今の私には勉強をする気はあるけれども、切迫感がない。次の試験に受からなくても、今のままでメシを食うには困らないから、時間が十分にある。
 ――なぜ頭を使わなくなったのか、なぜブログを書かなくなったのか、少しだけ分かった。

 気が楽なのは生き易いけど、戦うには向かない。
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2006年12月12日

未だ崩れない法則

 (法則1)苦労が多い人は、良い人だ(良い人だからといって、苦労が多いとは限らない)。

 (法則2)苦労が多い人は、タバコをよく吸う(タバコをよく吸う人が、苦労が多い人とは限らない)。

 法則1は経験則と言えるでしょうが、2はなぜなんだろう? 理屈じゃないな。
 ちなみに私はタバコを吸いません。まだ苦労人なんて年柄でもないし。
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2006年11月29日

記事が更新されない理由

 先日「無関心そのものの受け答えにいささか呆れた記憶があ」ると書いたが、何のことはない、かくいう自分も大抵のことを表現する気力が失せていることに気付いた。

 先々週の末くらいに、久しぶりの友人に会ったときのこと。
 友「なんで女の子の髪が長いかが分かった」
 LG「なんで?」
 友「もうちょっと考えろよ」
 LG「伸ばしたからだろう」あまりに投げやりな様子に、友人は笑っていた。
 友「『伸ばしたいから』じゃ理由にならん」
 LG「違う。『伸ばしたいから』じゃなくて、『伸ばしたから』だと言った」
 これはいけない。しかも友人に言われるまで、自覚すらなかった。

 就職活動してた頃は「何に対しても自分なりの見解をもち、かつ他人の価値観を否定せず慎重に検討する点」を「自分の長所」として挙げていた。現時点で思うことは(正しいかは別として)、自分なりの考えがなければ、他人の見解を検討吟味することはできないということ。叩き台(自分なりに「女の子が髪を伸ばす理由」を考えること)がなければ、肯定否定の基準すら立たない。

 いつから考えなくなったかを考えると、働き始めてしばらくしてからだ。働き始めて実に色々なことが見える様になった。たとえば、坊主と大学教授はなぜあんなにも大勢の前で、誰もが聞くに堪えないような話を長々とできるのか、とか。特段の意識を持たずとも、働いて数ヶ月で立ち居振舞いも変われば言葉を選ぶようにもなる(それでもまだまだ不足だが)。

 それらと自分の考えを持たなくなることの関連は解らない(あまり考える気が起こらない)が、このままでは「つゆどん」に記事を重ねることはできないし、それは現時点での私の望むところではない。
 学生時代、クラブのOBが飲み会で「社会にぶくぶくと潜っていって、何年か経って、ふたたび水面まで浮かび上がることができたら、良い作品が創れるんじゃないか」と言ったらしい。
 月2、3回の更新では続けているとは言えないが、いつかまたガシガシ書きたいと思う。誰もが呆れるようなくだらない記事ばかりを。それまで気長に待ちつつ応援していただければ、幸いに存じます。
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2006年11月17日

葬儀屋が葬儀社でぼやく

 先日、子供の自殺が相次ぐことについて、報道が影響してるかどうか確たる根拠は無いと書きました。それは今も変わりませんが、事実上は有るというしかない。別にこの世に希望などは無いが流行で死にたくはないLG18ですこんばんわ。

 こないだは20時間勤務がありました。20時間勤務がある職場は今のご時世、そう珍しいことではないと思いますが、私の場合は20時間ずっと接客、それも差はあれテンパってる客ばかりです。まあ自分で選んだんですが。
 「自分の限界がどこまでかを知るために僕らは生きてるわけじゃない」と歌う歌が昔流行ってましたが、いかにも気を利かせたような、もっともらしい言葉の指すところは、当時分からなかったし、今も共有するところはない。ただ、(誰もが)仕事でなけりゃとてもできんようなことばかりを仕事でしてるわけだし、それは生きていくためだとなれば、生きてる限り限界ギリギリだということにはなる。

 葬儀屋をやっていてわかったことは、自分たちは、死に直面した人間の周囲にいる人間には向かい合っているが、死とは向かい合っていないということ。死はガラスケース越し、ショーウィンドウの向こう。百貨店のそれと同じで、そこにあってそこにない。

 まとまりのない記事になりましたが、仕事場から更新してるということでご勘弁を。
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2006年10月31日

ありがとう・#6 Life is Over

 体をひねりながら歩く 体をひねりながら歩く
 体をひねりながら歩く 体をひねりながら歩く

 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over

 黒酢を二杯飲む 黒酢を二杯飲む
 黒酢を二杯飲む 黒酢を二杯飲む

 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over

 上目遣いを練習中 枕にキスして練習中
 いつか幸せ掴むため 無駄毛処理して爪磨く 磨く

 腹筋背筋30回 腹筋背筋30回
 腹筋背筋30回 腹筋背筋30回

 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over

 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over
 Day is Over  Day is Over

 あほみたい。
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2006年10月21日

ありがとう・#1〜いきがかり不安定

 職場に一人、情緒不安定な人がいて、自分でも鬱だというようなことを言っているそうなんですが、やはりというのか、周囲の反応は冷淡なものです。職場が職場なだけに、心を病んでいる人には寛容かと思いきや、そう甘くはなかった。
 本性を匿し通すつもりでいるLG18ですこんばんわ。

 精神を病んでいる人が社会人として失格かどうかは、病状その他の程度の差もあり、杓子定規に決められないというのが私個人の見解です。しかし、歴史的な偏見を差し引いても、他人に理解され難い病気らしい。

 LG「人間20年以上生きてきたら、皆それぞれにいろんなことがあったと思うんですよ」
 聞き手「そりゃもちろんそうだろう」ここまでは問題無い。
 LG「(あの人も)いろいろあるんじゃないんですかねえ」
 聞き手「そりゃもちろんそうだろうけど……」
 相手と言葉とタイミングを慎重に選んでも、大抵こんなものです。

 かつて友人に、一人の人に対して、心底憎む気持ちと好きな気持ちを同時に抱いているという人がいて、(私は好きな人は好き、嫌いな人とは話もしないタイプだから)相反する感情を抱き続けて疲れないのか尋ねたことがあります。返事はよく覚えていないですが、やんわり否定されたような気がします。割りきれるなら割りきってるというような。

 私は、私の前から姿を消した人達(=過去)のうちのごく一部、未だに割りきれずにいます。通常あまり無いような消え方もあれば、誰もが経験するような消え方もあります。切れずに残るものの共通点を考えると、後悔の念というか、自分を責める気持ちが比較的大きい。

 「今まで(実に)いろいろあった」という人がほとんどですが、そのうちのほとんどの人は、私が見る限りでは、その「いろいろあった」過去の清算を終えている。精神を病んでいる人はそれができないからだ、というような単純なことではないが(私は病んでいないし)、発散できず、割りきれずに抱えこむことが不安定の一因となることは確かなんじゃないか。

 ただし、私は不安定であることが必ずしもマイナスだとは思わない。下手な安定に乗っかって、気がつきゃ終わっているような、人生を動く歩道みたいに進むぐらいなら、好きで悩んで喘いで苦しんでる方が人間らしいと思う。結果終わりを待ちきれずに消えたとしても。

 「なんで鬱なんかになるんか、分からんなあ」私だって分からない。発病した人にも分からない。誰にも分からない。

 分からないことを否定せずに、受けて流せば済むだけじゃないか。どうせ代わってあげることはできないんだから。
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2006年10月01日

夏が終わったことにも気付かず

 単勝オッズ1.0倍っていっても、8頭立てで馬鹿な日本人が馬鹿みたいに券買ってのことだし。人気と実力は別だよなんて、言うは易いLG18ですこんばんわ。人気も実力もない馬の骨のヒガミです(おお醜い)。お骨上げは三時半を予定しております。

 ……というところまで携帯でメモしていて、これを枕に手を作っていく構想だったのですが、忘れてしまいました。なので、それをネタにしてみると。

 入社してから2ヶ月が経ったわけですが、上司から「(2ヶ月経ってみて)どうや」といわれても、何も浮かばない。
 それは普段から何も考えずに過ごしているからではあるけれども、後半はブログを書いていないから手懸りすらない。

 考えたことは残しておかないと、忘れてしまうよって話。習慣がなくなると執着も薄れるのか、それとも単純に仕事に生活を割かれているのか。どっちにしてもあまり思わしくないけど、今はそういう時期と割りきることも必要かと。
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2006年09月09日

左手に剣、右手で抱擁、ってか。

 社会人をはじめて40日になったところですが、未だ給料は一銭も入らず。財布はいつも土俵際(徳俵に足が乗っている)、残暑の太陽に照らされてひからびかけのLG18ですこんばんわ。誰だ×××の話かと言う奴は。俺だ。

 そんな状況なので、努めてCD店には立ち寄らないように、避けてました。今日はおつかいを頼まれてタワレコ難波店へ行ったのですが。
 椿屋四重奏の新シングルのすぐ下の棚にはART-SCHOOLの新アルバムが並んでる。さすがによく分かっておられる。で、ART-SCHOOLを視聴しながら雑誌を読んでると倉橋ヨエコのインタビュー記事がありました。

 「東京ピアノ」で裏切りを受けて以来疎遠になって、私自身、個人的にも変化を伴って最近はとんと聞かなくなったのですが、かいつまんで私の言葉にすると以下のようなことが書いてあった。

 ――これまでは「このピアノが無いと駄目だ」とか、とにかく自分が自分が、というスタンスで音楽に取り組んでいた。一方で、音楽を演奏することの意義について考えることがなかった。表現することに重きを置きすぎて、受け手がどんな気持ちで自分の音楽を聞くかということをもあまり考えてこなかった……
 それを今回は改めて、自分が音楽を通して表現することの意味、それから受け手に受け取ってもらいやすいような作品というものを考えながら作った、と。
 それでできた新しいアルバムが「お中元」というタイトルだ、と。

 ほとんど模範的な受け答えですわな。無論皮肉ではなく、(作品こそ聞いてはいないが)真摯に考えていないと出てこないような言葉で綴られていたし、ゲストを多数招いて自作をカバーするという取り組みもそうだ。また逆に、今更良い子ちゃんが通るような声でもあるまい。正直、「コメントのつかないブログなんて」の管理人としては耳の痛い内容です。しかし、私のような人間は離れていくのではないか。無論皮肉です。

 プレーヤーとしての自覚がある者なら、誰だって一人でも多くの受け手を獲得したいと切実に願っている。私だって一端にプレーヤーのつもりです。ただ、一人でも多くの受け手を獲得するためにプレーヤーが行う作為が、必ず良い結果を生むとは限らない(それは取り組みが失敗するかもしれないという意味ではなく)。
 上のコメントは、見方によっては「受け手のことを考える余裕ができるくらい、自分を表現する技術は成熟した」という自負の表れともとれます。私は、100人の人に1%が伝わるよりも、一人の人に100%が伝わる方を目的にしています。後ろ向き、あるいは閉鎖的な考えでいるわけではないが、順序としてはそちらが先だと考えるからです。
 100人に、1万人に100%を伝えたい(100%というのは自分の思い通りという意味ではない)。誰もがそう望んでやっている。でも現実にそれは無理とは言わないまでも、至難だ。私のことをいえば、理想と現実の狭間で折り合いをつけてここまでやってきた。

 倉橋氏の方向は常識的だし、事実のレベルでも非難する人より賛同する人の方が多いことはまず疑いない。ただし、私にとっては色褪せたし、そう感じた人が他にいることも確実にいえる。
 (先に挙げた記事の中には、友達からも遠まわしに非難されるというようなくだりもあったが)受け手となるために越えなければならないハードルがあるのはある程度仕方のないことだと思うし、その壁を越えなければ分かち合うものもない。子供の頃に触れても意味が分からないだけの作品で大人になって感動した、という例を持ち出すまでもなく。

 そこにあぐらをかくな、という助言は真摯に受け止めるとして。
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2006年09月08日

それでオマエは何が言いたい

 本日はあいにくのお天気のなか、このようにたくさんの方々にご指導ご鞭撻頂き、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 平素は格別のご愛顧を賜り従業員一同心よりお詫び申し上げます。お近くへお立ち寄りの際は是非、謹んでお受け致します。

 先日、閉店後のCD店でゴールドのサブちゃんとオクラホマミキサーを踊る女店員を見かけました(3Dの看板がうまく片付けられなくて往生してたという話)。カーネル・サンダースにしてもそうですが、ああいうのは意外に重いのかもしれない。持ち上げたことないから知りませんけども。
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2006年08月31日

夏休みは短い

 今こそ声を大にして言える。夏休みは短い。

 夏休みがあった頃は言(って聞いてもら)える立場に無いし、大学の頃は毎日が休みだし、卒業してバイトを始めた時は発売日で一ヶ月を把握したけどそういう感想は抱かなかった。

 入社日が8/1で一ヶ月を少しでも感傷的に受け取ろうとしているのはあるだろう(それでも8/31も9/1も気にしてるヒマはなかった)し、忙しくて時の流れにかまってられないのもあるし、まあいろいろあるんだけども――

 とりあえず夏休みは短い。

 関係ないけど
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2006年07月04日

表現は孤独なのか?

 ようやくプロフィールの音楽欄を更新することができました。気にはなっていたんですが、新しい(好い)ものがないと、更新しようがないもので。

 それで思ったんですが、音楽ってコラボレーションに向いている表現形態ですよね。文章メディアでも、競作のミステリーとか連歌とか「冷静と情熱のあいだ」とか(三段落ちのつもりなんでよろしく)、ないわけではないが、音楽に比べると華がないような気がします。企画の域を越えないというか。川端康成と三島由紀夫の往復書簡といわれても「資料」の匂いがしますしねえ(別に本人達が公表を前提にしてたとも思えないし)。

 音楽で表現されるハーモニーだけが複数の人間で奏でられる、と言うと抵抗を感じるのですが。

 たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて にんじんのえじき
 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや にんじんのはらわた
 (以上2首「個人的な生活」森本平著 より。副題はアタック・オブ・ザ・キラー・キャロット)「トマト」の記事はこちら(リンク先「『珍』の煮こごり」様)

 コラボどころか本歌取り(技法)ですらない(と私は思う)。読んで反射的に笑うんだが、どう面白いのかはまるで分からない。それから時間をおいて読むと、上の句などは(自分が(啄木に)より親しみを感じるからだろうが)なんとなく伝わった気が起こってくる。それがまた恐いんだけど。
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2006年06月24日

小泉首相が日本の政治にもたらしたもの

 おおっと! 大上段に構えてしまいましたが、本当にそんなことが書けるのか!? にわか政治部記者ぶるLG18ですこんばんわ。国会議事堂前よりお送りしていません。

 今期の通常国会の閉会をもって小泉首相が退陣することは決まっております。実にいろいろなことがあったようにも思われますが、思うほど(政治的)変遷があったとは思いません(なんだって?)。
 私の印象に残っているのは「自衛隊が派遣されるところが非戦闘地域だ」という名言(あまりに名言すぎるので、「名言!」に採りあげるにはもう少し時間が必要)と、郵政選挙と呼ばれたおぞましい選挙戦略ぐらいですか。道路に関しては、わが道路族が粘り勝ちと言ったところで、一安心しております。断っておきますが、道路は必要です。

 何がおぞましい戦略だったかと言えば、郵政民営化に反対する候補者の出馬する選挙区にそれぞれ女やら犯罪者やらを送りこんだこと。それで寝取らせて議席を掠め取ろうとしたことですね。某公営TV局のパクりではありませんが、あれは今日の「その時」といえると思います。逆らう奴は皆殺しと言ったって、あそこまで表立ってミもフタも大人気も無い手法は今まで考えられなかった。今の時代はなんでもありだと言われるが、それを国政レベルでやってのけた。それが小泉首相だった。
 加えていえば、あれが大勝したというのは、国民が全体的に大人気がなくなった、と言わざるをえないだろう。勝因として、(郵政民営に賛成か反対かのみを問うという)シンプルな点が良かったといわれてましたが、それは結局同時に二つ以上のことを考慮することができない人間が票を投じてるということです。でまたそうやってバカにされていることにも気付かない、と。
 かねてから何度も言うように私は右翼です。自民も民主も極右なんで、安泰です。ただしそれは、私個人の(感情的な)思想に限ったことです。今の日本の政党政治の有様が、日本の国政に有益かは甚だ疑問です(まあそんなことをこんなところで言ったって何の意味もないですけども)。

 ――レポートの最中ですが、サッカー日本代表監督は、ジーコの後任に、オシム氏が選ばれたというニュースが入りました。
 レッズの元ストライカーがやった方が良いんでしょうが、三敗を止めるという点が気に食わん。これは私個人の感情の問題ですけども。
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2006年06月17日

出直し

 先日はくだ巻きのような記事を書いて静かに気を落としていたのですが、「『とても好きだというのだ』というセリフは萌える」というメッセージを頂いて、就職活動で考えていた自分の長所から「視野が広いこと」というのを省こうかと考え直しているLG18ですこんばんわ。自分には想像もつかないことがまだまだたくさんある。言い忘れたのかどうか定かではないですが、試験に落ちました。あと1点だったとか関東地区なら合格だったとか、何を言っても無駄なんでせめてここではそれくらい言わせてください(もっとも、最終結果は受験後の予想の通りだった)。

 さて、サッカーW杯はクロアチア戦が近づいてきました(今はオランダ×コートジボアールを観ている。因みに4年前はオランダとスペインを応援していた。8年前はアルゼンチン。その前は(略))。今の段階では結果は出ていないので、まだ可能性は残されているわけです。これはもちろん、一次リーグ突破なんていうチンケなものを指すのではなく、優勝の可能性を指します(監督はベスト4進出なんて言ってるが、試合に出る以上は、頂点を目指さないのならやらない方が良いというのが自論です)。とはいえ、現実には非常に厳しい。たぶん私が今年の司法試験に受かるぐらい厳しいだろう(今年は受けてない)。それよりはマシだろうか。だったら良いのだが。
 私の予想ではクロアチアに1−1で引き分けてブラジルに2−0か3−0でゲームオーバーです。やや希望的観測として、十分にあり得る予想でしょう。だけど予想は予想でしかない。たとえそれが当たったとしても。実際のところは、やってみないことには、何も始まらないのだ。
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2006年06月04日

「それも昔の話」

 久しぶりでバイトを再開しました。ハードな仕事に体がついていかず、上半身各地に手広く筋肉痛を展開しているLG-フランチャイズ-18ですこんばんわ。他人の怒りに触れると怒りを覚え、悲しみに触れると悲しみを覚える。喜びは素直に喜べず、兎角この世はイキ難い。

 バイト再開の記念に競馬……では俗なんで、もうちょっとローカルなネタを展開します。
 術師「『デスノート』は絵が上手いな」
 LG「あの人は絵で売ってますからね」
 術師「1巻からいきなり化物が出てきて、『お前、ノート要らねえか』って」
 LG「そんな展開でしたっけ(どうでもいい)」
 術師「ハナテン中古車センターじゃないって」
 LG「……! はっはっはっ!」
 術師「『あなた車売る?』って」
 LG「あのCM最近やってませんよね」
 術師「ていうか今も(会社)あるのか」

 これは年齢も居住地も限定されるネタなんですが、あのCMは今考えても秀逸でした。古めかしい、しかし突飛な映像と、どうにも不自然な日本語から与えられるインパクトは、ユーポス(これも関西地区限定なのか?)なんて目じゃない。
 今調べてみたらCMの映像が会社のHPにあったのでリンクを貼っておきます。
あなたCM観る?

 ことのついでに、友人との間でモメた「ねるねるねるね」のCM(現在放映されているおとなしいCMではなく、例のやつ)について、最後の「ねるねるね〜るね♪」の直前が、「ねってねるねる」か「ねっておいしい」か、映像が無いか探してみました。
 お宝映像はコチラ

 私の記憶は破られましたが、私の中では今でも「ねってねるねる――」です。ルパンの歌も「ルパンルパーン♪」です。

 生きてるのか死んでるのか知れない、真っ白な目(白内障)で動きもせず蚊にさされるままの飼い犬にエサをやりに外へ出たら、頼りなげに灯る一点の光を見ました。虫だった。生まれて初めて蛍を生で見ました。
 「ねるねるねるね」のCMに出演していた魔女のおばあさんは既に死んでいるそうですが、経った時間を考えれば驚く話でもなく。
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2006年05月23日

人は物語が好きなのだ

 資生堂の「TSUBAKI」というシャンプーが非常に売れているらしいです。
 トップアイドルの曲に乗せてトップアイドルがかわるがわる髪を靡かせるだけのCMをバンバン流すだけでバンバン売れるんだから楽なもんだ、と冷ややかに構えていたのですが、事はそう簡単ではないらしい。不景気のときに、ピンで使える女優をCMで何人も使ったりしたら白けてしまうとか、単に数集めりゃ良いってわけじゃなくて、需要を多様化させてきた販売戦略を統合へ向かわせるべくそれぞれイメージの異なる女優を起用したのだとか、それなりに意図や賭けの要素はあったらしい。
 まあ、サクセスストーリーには紆余曲折がないと(お客様である)世の女性が食いつかないからな、とやはり冷淡を決めこむLG18ですこんばんわ。経済には疎い方が、金には縁がなくとも幸せに生きていけるという、妙なポリシーがあります。(妙でも何でもない、単なる貧乏人のひがみだ)
 前回の記事で漫画に文章が多すぎると文句垂れましたが、なぜ活字が昔に比べて増えたかといえば、実際にはその方が人気があるからだろう。RPGの影響も大きいと思うのですが、活字を読むことでより面白く感じる、と。
 知りもしないで書きますが、かつて、それこそ天才バカボンが流行っていたような頃は、(漫画が大好きな)子供は、活字を読むのが嫌だった。極端に言えば、絵であればなんでもよかった。今はというと、たとえばカードゲームのカードの半分は活字で埋まっている。それもビックリマン(今の子供は知らないだろうが)のシールの裏にあった、紙の向こうが透けて見えるような、すなわち一人の人間が一夜で100も200も書く姿が自ずと想像されるようなもの(私は好きだけど)ではなく、いかにももっともらしく書いてある。別段ゲームの進行に必要なわけでもないのに、どうもあれがないと駄目なようだ。インベーダーゲームとFFの違いも同じ。教科書にもイラストが氾濫しているし、絵に対するハングリーさが根本的に違うことも一因だろう。漫画に文章が増えたことは、そういった流れも大いに影響している(もちろんそんなことは承知で、そこを絵で描くのがマンガ家だろって言ってるのが昨日の記事なんだけど)。

 以前この記事を書いたときに私が想定していたのは、噂話より活字の方だった(テレビは宗教だからまた構図が違う)。聞いた話よりも読んだ話の方が、より疑いを挟む余地が少ないように思われる。感情よりも理屈の方がウエイトを占めるからだろうか。理屈の定義でもあるが、そこでは大抵のハッタリはまことしやかに見えてしまうからくれぐれも気をつけなければならない。もっとも、本当のことを書くといかにもハッタリのように見えてしまうことも少なくない、けども。
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2006年05月16日

他人の邪魔をしているときは

 たいてい自分が他人を邪魔しているなんて露ほども思っていない。よくあることです。

 (P.S.)
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2006年04月17日

杯盤狼籍

 先日、数学の勉強法について「公式を覚えようとせず公式に至る過程を理解すれば良い」というありがたいコメントを頂きましたが、ふと考えると法律学にも同じことが言えるんですよね。すなわち、個々の規定や判例を知識として覚えても法律家とはいえない。なぜ、何の為にその規定があるのか、その規定が他の規定にどう影響するのか等を繋げて考えないと理解は深まらない。道理です。

 ところが、今日本屋で「国家の品格」という本を立ち読み(あんまり売れる売れるとうるさいもんだからいっぺんどんなもんか、と)してみると、大切なことは論理では説明できない、というようなことが書いてありました。
 なるほど、「だからてめぇらバカどもは死ぬまで貧乏人のまま御上のためにせっせと働けボケ」って書いてあるんだな(*注:書いてないと思います。たぶん)と理解して静かに本を置きました。
 私に言わせれば、この命題は半分真で半分は真ではない、結論としては偽となります。確かに、論理をつきつめていけば最後は論理でなくなります。以後の段落を、「→」を「なぜか」と読みながら進んでください。

 人を殺したら罰せられる→刑法に定めがあるから→国家が国民を守らなければならないから→憲法に国民の権利として定められているから→歴史的に国民が国家に虐げられたから→・・・。

 「歴史がそうだから」というのは、論理ではありません。「悪い過去を繰り返してはならない」といっても価値観でしかないし、そもそも国民が施政者の言いなりになることが「悪いこと」というのもひとつの価値観でしかない。論理的ではないわけです。その意味で上の命題は正しい。また、私自身も論理というものは他人を説得するための道具である、ぐらいにしか考えていません。論理的であることが正しいことかどうかは、本当は分からない。だから実質的にみても(論理には限界があるという命題は)正しいと思う。
 しかし、その対象を「大切なこと」とするのは作者個人の評価でしかない。これは真とは言えない。そしてこれを作者は意図的にやってるんでしょう。大切なことは論理的でないというそれ自体偽の命題を、さらに文章を重ねて巧みに逆転させて、書いてあるかないかは知らないけれども、読者の印象として「論理的でないものが大切なことだ」との錯覚を起こさせる。そしたらあとは何を書いても筋が通るということになる。
 これはこの人がそう言ってるんだろうという推測ではありません。私がこういう(前)振りで文章を書くならそう持って行くだろうという推測です。

 もうひとつ付け足しておくと、今蒸し返されてる武士道やらサムライやらは、江戸時代以降に上が押しつけた精神であって、それも朱子学(儒教)なんだから、つまり輸入モノです。中国からの。それ以前は全くなかったとまでは言わないが、とりあえず世に平安が訪れて時間が経って、士といっても戦うでもなければ新たな領土が与えられるでもなし、目を向ける先を御上の都合の良いものにしなければならないというので、敷衍された宗教です。目上の人を敬わなければならないということに根拠(論理)はない(もちろん蔑んで良い根拠もない)。
 鎌倉時代には「御恩と奉公」という概念があったとされていますが、あれは給料をもらったらその分は働くという、今でいうところの契約関係を指したものに過ぎません。給料がもらえなければ働かない。実際、幕府の弱体化の一因として、元寇を追い払った際に活躍した武士達に給金を支払って金がなくなったとか、支払えなかったとか言われます。あれはつまり「支払わなければならなかった」というわけで、江戸時代にいう武士とは別物なわけです。
 「国家の品格」がどう言及してるかは読んでないから分かりませんが、とりあえず貧乏士族の目を背けるための宗教を「連綿と続いてきた武士の精神(カタカナでいうとサムライ・スピリッツですか)」などと吹聴されると、またその手の思想統制かと辟易しますね。

 国語やその背景にあるものがろくに掴めない段階で英語を学ぶことに何の意味も無いという点などはその通りだと思うし、決してこの本一冊全てが受け容れられない内容のみで綴られてるとは考えてませんが、ベストセラーをすらすら読めるほど自分はメジャーな人間ではないのだろうと。
 他にも脈絡のない色んな話をするつもりでタイトルをつけたのですが、思いのほか長くなったので終わりにします。
 ともあれ、私は右翼を自称してる、ということでよろしく。
posted by LG18 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと・つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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